新しい居場所には執事がいた
「...さん.....りさん」
走り続ける車の振動とは別の揺れで伊織は目を覚ました。
「...あえ?」
「目が覚めましたか?」
寝ぼけまなこを擦る伊織を楓は優しく起こす。
「あ、ごめんなさい!僕寝ちゃってましたよね!」
段々と意識が覚醒し始めたと同時に状況を把握したのか一気に顔を赤くして隣に座る楓に頭を下げた。
「全然大丈夫ですよ~今日は色々ありましたのでしょうがないです」
【祝い酒】の事務所から夕食を挟みながら車を走らせること一時間強。
話題が尽きるということは無かったのだが、乗せられている車のシートと振動が心地良かったのか、三十分ほどで船を漕ぎ始め、そのまま夢の海へ出航してしまったのだ。
「楓様、伊織さん。そろそろ到着しますよ」
寝てしまった伊織とは違い、しっかりとハンドルを握っているマネージャーが振り返ることなく二人に告げた。
「聞いての通りです。もうすぐで私たちの家に到着しますよ」
席を立つことが待ち遠しいのか、楓は長時間の移動で固まっていた背中を軽く伸ばす。
「今日はもう遅いので、本格的な部屋紹介は明日でもいいですか?」
「ぜ、全然気にしないでいいですよ?」
「だーめーでーす!伊織さんはもう私の...仲間ですから!それに少しやりたいこともありますからね」
面倒をかける訳にはいかないと遠慮気味だった伊織に食い入るように話を進めた。
「じゃ、じゃあ、よろしくお願いします」
伊織にとってその態度が珍しかったが、驚きながらも提案を受け入れた。
「はい、任されました!」
◇
「ただいま帰りました」
「お、お邪魔します....」
二枚扉の玄関を開けて楓は帰宅の挨拶をする。
一緒に扉を潜った伊織は自分が知るどの家よりも大きい玄関に気圧されながらその家に入った。
「おかえりなさいませ、楓様。そちらの方がご連絡にあった方ですかな?」
燕尾服に身を包んだ蒼い瞳と見事な髭を持つ初老の男性が楓に礼をする。
「ただいまです、栗栖さん。今日から【カロン】に入ってくれる伊織さんです」
「な、成瀬伊織です。よろしくお願いします」
燕尾服を始めて見た伊織は若干遅れながらも自己紹介をする。
「これはご丁寧にありがとうございます。
「栗栖さんはこの家で働いている、お手伝いさんのリーダーをしてもらっています。何か困った時は彼に聞いてください。私よりこの家のことを知っているわ」
「御冗談を、私よりも旦那様の方がこの家を熟知されていますよ。それは別として、何かわからないときは遠慮なく聞いてくださいね」
好々爺然としたその笑顔はとても優しく、心強いものだった。
◇
そのまま二階に通され、一つの部屋に案内された。
中にはベットなどの人が寝泊まりするために必要な家具が一通り備えられており、その配置や装飾からホテルと見間違うほどの部屋だ。
「近いうちに伊織さんの部屋を用意しますので、今日はすみませんがこの部屋で泊まっていただけますか?」
「え!?こんな綺麗な部屋を使っていいんですか!?」
申し訳なさそうに眉を下げて謝る楓を慌てて止める。
逆に「こんなに整った綺麗な部屋を使ってもいいのか」というのが伊織の心境だろう。
「普段は泊りがけのなったスタッフさんなどの客室になっているんです。まあ、ここ最近はそういう機会も減ったので使われずにいたんですけどね」
「伊織さん。私たちが部屋を綺麗にセッティングするのは使っていただくためですから」
伊織の少ない荷物を持った栗栖には伊織が断ろうとするのがわかっていたのだろうか、さらに言葉を続けて伊織を説得する。
「じゃ、じゃあ...お部屋をお借りします」
その言葉に満足したのか栗栖は伊織に荷物を手渡す。
「ありがとうございます」と自然に受け取ったが、自分で持っていたはずなのにいつの間にか伊織の手から荷物が栗栖へ移っているのことに驚き二度見をしてしまう。
栗栖は微笑ましいというような表情で伊織からくる視線を返した。
◇
トイレの場所やら色々説明を受けているうちに時刻は22時を回っていた。
夜も更けてきたということで今夜はもう解散して明日また話をすることになった。
(.......眠気が全くない)
持ち出した寝巻に着替えながら伊織は心中呟いた。
完璧に不規則な生活を送ってきた伊織には決まった睡眠時間や時刻は存在しない。
しかし、そんな中で共通していたこともあった。それは、日付は必ず超えるということだ。
おかげで日付を超える前に眠るということが久しぶりすぎて逆に違和感を覚えているである。
「...寝るか」
部屋の電気を消し、ベットに横になる。
「うおっ」
使い古された薄い敷布団で寝ていた伊織はマットレス初体験。通常よりも分厚いマットレスは伊織の体重を綺麗に分散しその体を優しく受け止める。
布団も羽がへたってしまいぺしゃんこだったのが、ふわっふわの軽くて暖かい。
枕も言わずもがな以前使っていたものとは比べ物にならないくらい心地よいものになっている。
「ほわぁぁ.....」
伊織はその感触から自然と声を出してしまう。それと同時に疲れが抜けていくのが感覚でわかる。
抜けていった疲れと引き換えに猛烈な睡魔に襲われた伊織はなすすべもなく眠りの海へ流されていった。
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