決断
あれから少し時間をおいてから検査をしてみるも、体のどこにも異常は見つからずに一晩が過ぎた。
「...家よりも目覚めが良いってどうなんだろ」
一人の病室で自虐的に伊織はそうつぶやいた。
しばらくして朝食が運ばれてきたのでそれをいつも通りに口に運ぶ。
「あら?病院食はやっぱり体に合わなかったかしら?」
配膳を下げに来た看護師が半分ほど残ったご飯を見てそう言った。
「ぜ、全然美味しかったです!...僕、あまり量が食べれないだけで...」
申し訳なさそうに眉を下げて肩も落とす。伊織の体格も相まってさながら小さくなっているようにも見える。
「そっかそっか、最低限食べてほしい量は食べれてるし、別に怒ったりはしないよ。でも、伊織くんは育ち盛りなんだからしっかり食べておいた方がいいわよ?」
まるで親戚の子供に言い聞かせるような言葉を残して看護師は去って行った。
それと入れ替わる様に医者が病室に入ってきて簡単な診察をする。
結果は変わらず、異常なし。このまま行けばお昼には帰れるとのことだ。
(帰る...か......)
そうして浮かんできたのはリビングや自室の記憶ではなく、仕事が山積みになっている作業デスク。
以前どこかのタイミングで見たネット記事に書かれていた『社畜のHELPサイン』
に見事当てはまっていることを思い出し、また自嘲気味に小さく笑ってしまった。
◇
「伊織さん、おはようございます。と言うよりこんにちは、ですかね?」
「この時間の挨拶って迷いますよね。こんにちはサクラさん」
昨日、別れ際に「明日また来ますので」と言ったサクラは宣言通りに伊織の病室を再び尋ねた。
太陽がもうじきてっぺんに昇る時間になって来たので、伊織は元からあまり持っていなかった荷物をまとめて退院の準備を進めていた。
「...昨日の件、答えを聞いてもいいですか?」
前置きなど一切置かずにそう聞いたサクラの言葉でピタリと体の動きを止めた。
「...ごめんなさい」
「どうしてですか!?あ、まだ条件を伝えていませんでしたね。住居はもちろん保証しますし、完全週休二日で三食+αでおやつ付き...後はえ~と」
言葉を続けようとした伊織を無視して言葉をまくし立てる。普段のおっとりした優しい雰囲気とは違って焦った子供の様に早口で次々と条件を伝えていく。
「あ、あの~」
「私の専属マネージャーでどうでしょう!お給料はもちろん弾みます!」
伊織の静止の言葉も届かず、そのままどんどん進んでいってしまうサクラ。
どうしたものかと頬を掻いていると、病室の扉からノックオンが聞こえて来た。
ノックに「どうぞ」と返すと昨日から伊織を診てくれている医者が顔を出した。
「伊織くん大丈...夫?」
医者はどうやら状況がつかめないようで何とも言えない表情を浮かべる。
「席、外した方が良いかな?」
「いえ、僕が時間に気が付かなかったのが悪いんです」
すみませんと伊織は医者に頭を下げると、医者は爽やかな笑みで構わないよと返した。
「ごめんなさい、実はこれからちょっと手続きがあるんです」
「え、あ」
サクラは自らの早とちりに気が付いたようで、顔を少し赤くして一歩離れる。
「わ、わたしったら飛んだ早とちりを…」
「僕の方こそ最初にちゃんと話せてなくてすみません」
お互いに自分の不注意を引き出して頭を下げる。
そしてまたお互いに”あなたがあやまることじゃないですよ”と相手に頭を上げさせようとして頭を下げる。
そんな不毛で徳も見当たらない謝罪合戦が始まりかけたところで苦笑した医者がテーブルに書類を並べ始める。
「それじゃあパパっと済ませてしまいましょう」
そう言って伊織にペンを手渡す。
促されるままに伊織は書類に目を通して不備がないことを確認した後にサインをしていく。
数枚の書類にサインを済ませたところで、医者は口を開いた。
「...実を言うと、伊織さん。昨日は栄養不足と睡眠不足と言いましたが、あなたは非常に危険なラインにいたんですよ」
「それはどういうことですか?」
「過重労働ですよ。貴方の年齢ではありえない状態でした。因みになぜ昨日言わなかったかと言うと、あの時顔色が優れていなかった事と、部屋を訪ねた時に熟睡されていたからですね。元々ちゃんと伝えるつもりだったので、そこは安心してくださいね?」
「お、起こしてくれれば良かったのに...」
「いやはや、あんなに気持ち良さそうな伊織さんを見ると起こすのは悪い気がしましてね」
実際は声を掛けたりと試したのだが、とても深い睡眠をしていた伊織は知る余地もない。
「
「楓...?」
「リアルでの自己紹介はしていませんでしたね。改めまして、【カロン】リーダーのサクラこと、
「ええっと、成瀬伊織です」
思わぬタイミングでの自己紹介となったが、話を続ける。
「どちらを選択かは伊織自身が決めることなのででなのであまり言いません。しかし、現在の環境にいても、百害あって一利なしと言っても過言ではないと私は考えますね」
大きく頷きながら医者は言った。
きっと他にも言いたいことがあるのだろうが、それを全てさっきの言葉に込めて伊織に伝えた。
「大丈夫です。もう、僕の答えは決まっていますから」
伊織は楓の方へ向き直りその決断を話す。
「たった6人のチームをサポートしきれなかった僕なんかで良かったら...雇ってください!」
そう言って頭を下げる伊織の肩を持って楓は言った。
「忘れないでください。"なんか"じゃなくで伊織さんだからです!伊織さんだからお願いするんです!うちで...【カロン】で働いてください!」
2人は医者をそっちのけにした病室で固い握手を交わした。
こうして伊織の新しい居場所が小さく芽吹き始める。
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