打ち合わせ—―②

「続きってなんですか?」


下げていた頭を少し上げてサクラの方を見る


「単刀直入に言いますと...伊織さん、【カロン】に移るつもりはありませんか?」


「え?」


突然そのような申し出をされた伊織はその言葉を理解するのに少し時間が掛かった。


「それって...どういう事ですか?」


「要は引き抜きです。【祝い酒】を辞めて【カロン】に移籍して欲しいという事です」


「えっと...誰がですか?」


「もちろん伊織さんです。この場には私と伊織さん以外いませんし」


当たり前の事を聞いてしまうほどに伊織は困惑していた。

処理しきれていない情報を何とか整理しようと頭を抱える。


「返事はもちろん今じゃなくても大丈夫ですよ。こちらとしては早く欲しいというのが本音ですけど、伊織さんにとって今後を決める大切なことなので焦らずに決めてください」


内心早く返事をしなきゃと齷齪している伊織を宥めるようにサクラは付け加えた。


結局時間内に答えは出せず、返答は後日と言うことでこの日は解散となった。



「...ただいま戻りました」


件の喫茶店から家に帰ってきた伊織は邪魔にならないように静かに玄関を開けた。


「おせぇんだよ!」


「ぐッ!?」


荷物を置こうと屈んだ瞬間、伊織は首根っこを掴まれ宙に浮かんだ。

...いや、吊り上げられているといった方が適切だろう。


「こんな時間までどこほっつき歩いていたんだ?あ!?」


「まだ...16時...」


「口答えするな!」


少ない力で拘束を解こうとしたのが気に食わなかったのか、伊織を吊り上げていた張本人ヨルはそのまま伊織を壁に投げ飛ばした。


「うう....」


「お前のせいでどれだけ仕事が滞っているかわかってるんだよな!?」


「...ごめんなさい」


頭に血が完全に上ってしまったヨルはもう手がつけられない。ひたすら謝り続けて機嫌が良くなるのを待つしかないのだ。


「騒がしいと思ったら、リーダーはいったい何をやっているんだ?」


この騒ぎを聞きつけてか、見るからに煩わしそうな顔をした一号が自室から出てきた。


「こいつが勝手に外出して仕事に支障が出たから説教してるところだ!」


「確か、今日は【カロン】のリーダーに会いに行くと連絡があったはずだが?」


「..俺は聞いていない!」


伊織はきちんと【祝い酒】共有のカレンダーに今日の予定を書き込んでいたし、朝の連絡メールでも追記してあった。


これはそれをめんどくさがって見なかったヨルのミスある。


「...だそうだ。これからはしっかりと連絡を入れるように」


これ以上何を言っても無駄だと瞬時に判断した一号は早々に話を切り上げて自室に戻っていった。


「わかったか?お前がやること全部が問題になるんだよ!わかったらさっさと仕事に戻れ!!」


一号が味方に着いたと思っているヨルはさらに強気に伊織を責める。


「...わかりました」


「謝罪はどこに行ったんだ!?」


「ごめんなさい」


「ッチ!面白くねぇ」


何かに満足したのか、それとも飽きたのかはわからないがヨルはその場に伊織を捨て置いて自室に戻っていった。


伊織はその足音を確認すると、痛む背中を庇いながら自身の作業デスクに戻る。

その場に残っていたらいたで責められることは目に見えているからだ。


デスクに無造作に積み上げられた仕事の山を見て伊織はまた徹夜を確信したのだった。



◇◇◇


 喫茶店で伊織さんと打ち合わせをしてからもうすぐで一週間になる。

未だに彼から連絡は来ていない。

 今回私が彼にした提案は彼の人生を大きく変えるようなものだから仕方ないのだけど...今までは遅くても3日で返信が来ていたので余計に不安が募る。


「ねえ」


部屋に控えるスーツ姿の女性に話掛けるとすぐに返答が帰ってきた。


「まだ連絡は来ていませんよ」


「私、まだ何も言っていないのだけど」


「かれこれ一週間同じことを3時間おきに聞かれましたらいやでもわかりますよ」


長いこと一緒にいる彼女だからこそできる会話だ。

そのまま軽く雑談を交わしていると、もう一人部屋に飛び込んできた。


それもかなり焦った形相で。


「サクラさま!急ぎお伝えしたいことが!」


よほど急いできたのか、そう話す彼の肩が上下に揺れる。


「続けてください」


少し息を整えてから彼はそれを伝えた。




「伊織さまが倒れられたとのことです!」




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