第三章 漢だったら、試練の洞窟を抜けろって言うのか、やっぱり?

「前、にも、こんなふうに、お主に助けられたことが、あった、のう」

「フローさん、黙って!」


 俺は、荒い息をつきながらも何とか歩いているフローさんを短く、たしなめた。俺が肩を貸さなきゃ歩けないぐらい消耗しているっていうのに、この人から『余裕のある態度』というものは無くならない(こんな時でも、弱さを見せてはくれないんだな、フローさんは)(いや、むしろ、「こんな時だからじゃ」って言われそうだけど)(苦笑)


 ……ああ、一応、説明しておくと、今、俺は、フローさんに肩を貸しながら薄暗い地下道を歩いている(フローさんの唱えていてくれた《明かりの魔法》のおかげで近くの物を見るのに支障はない)。


「軽口なんて叩いでないで、今は、歩くことだけに集中してください」

「そうは、言っても、これは、わしの性分でな。止めたくても、やめられ、ゲホッゲホッ!」

「フローさん!」


 言葉の途中で、フローさんが咳き込んで吐血する。道中で引っ掛かった毒矢のトラップのせいだ(《ニュートララライズ(解毒)》の魔法の効かない特殊なタイプの毒みたいだ)(そんな罠があるなんて、依頼者からは聞いてねーぞ?!)。


 ネ子だったら罠に気がついて解除できたかもしれないし(……まあ、気がついても《罠解除》には失敗したかもしれないけど)(汗)、モーのやつだったらその身体能力で回避できたかもしれない。でも、フローさんは、〈魔術師〉。〈盗賊〉の技能もなければ、〈武闘家〉の身のこなしも持っていない。くそっ! 俺が前を歩いてさえいれば……!


(……集中を乱すな。冷静に、平静に…)


 動揺する心を無理やり押さえ込んで俺は、癒しの《魔法》を詠唱する。



【偉大なる[無尽蔵の力の持ち主たる]

  光の主神[万物を照らす光の主神にして] 

   アルディーン[秩序の守護神アルディーンよ]

    御身が力を[御身が力を偉大なる癒しの魔力に変え] 

     分け与えたまえ[敬虔な僕たる我が手を通して彼の者に与えたもうことを請い願う]】



 仲間が苦しんでいるのに冷静でいられるはずがない。だけど、集中を乱して《魔法》に失敗するわけにはいかない。フローさんの職業(クラス)は生命力が低い〈魔術師〉。彼女の命を護るためには、一度たりとて《魔法》を掛け損なうわけにはいかないからだ。


「ふう……っ」


 《魔法》は即座に効果を表し、フローさんの呼吸が少し穏やかになる。


「大丈夫ですか、フローさん?」

「……ああ」


 息を整えたフローさんが俺を見てぎこちなく笑い、


「……済まんな、コウ」


 憔悴した顔で礼を言う。


「すまないと思うんでしたら、がんばって歩いてください」

「ふふ。言うようになったな、コウ」


 目を細めるフローさんに、


「俺だって、いつまでも子どものままじゃありませんよ」


 俺はおどけて肩をすくめて見せる。


「ふっ、そうじゃな。……先に進むとするか、コウ」


 口元を歪めて笑い、前に進もうとするフローさんに、肩を支えている俺も足並みを揃えて歩き始める。


「……ねぇ、フローさん。やっぱり一度、戻った方が……」


 躊躇いながらも、俺は進言したのだが、


「……この洞窟は“基本的に”一方通行でな。入り口の方からは、出られん。それに、賊を捕まえるという依頼を果たさんと、な」


 あっさりとフローさんに却下されてしまう。


「仕方ない、ですね。分かり、ました……」


 彼女を説得できるような言葉が思いつかず、俺は不承不承、頷いたのだった。



 ……どうして、俺たちがこんなことになっているのかというと――






「――貴殿に頼みがある」


 突然、城の近くに呼び出されて(いきなり、“一角亭”に王家からの使いと名乗る男が押しかけてきて、ちょっとした押し問答になったのは秘密だ)、しぶしぶながらも向かった俺とフローさんを出迎えたのは(どうしてだかは知らないけど、俺たち二人が指名されてたんだよ)、クロウ・ニーンどのだった。


「何なんですか、いきなり? 少しは状況が分かるように説明してくださいよ?」


 苦笑しながら肩をすくめた俺に、


「済まんな、時間がない」


 クロウどのはこの上なく真剣な表情で告げる。……仕方ねー、話だけでも聞いてみるか。


「ほんの少し前、“試練の洞窟”と呼ばれる場所に賊が侵入した。……我々は入ることが許されていないため、貴殿に賊の捕縛を依頼したい」


 何故か、俺に向かって頭を下げるクロウどのに(この場にはフローさんもいるんだから、『貴殿』じゃなくて、『貴殿ら』とかだろー、普通?)、


「は? 何で、俺たちだと入れる……」


 俺は疑問を口にしたのだが(他にも言いたいことはあったんだが、取りあえず、それが一番気になったんでな)、


「……分かった」


 黙って話を聞いていたフローさんが静かに頷いた。


「ちょっ、フローさん?!」

「詳しい説明は、後できちんとしてくれるのじゃろう?」

「……はい」


 クロウどのは重々しく頷き、


「今は、賊を捕らえることを最優先にしてください。それと、お……」

「心得ている。我らに任せられよ」


 何か言いかけたが、フローさんはそれを遮るように依頼を許諾し(『お…気をつけて』、とかだろうか?)(苦笑)(そんなに急がなくてもなー)、


「行くぞ、コウ」


 俺に目配せして歩き始めた。


「え? は、はい!」


 疑問はまるで解決していなかったものの、確かに、急ぎの依頼のようだと無理やりに自分を納得させて、俺はフローさんの後を追いかけたのだった――






「――まったく、こんな目に遭うと分かってたら、引き受けるんじゃなかったですね」


 フローさんにしゃべらせないかのように、妙に俺は饒舌になっていた。


「クロウどのに後で文句言わねーと。ってか、ホントにちゃんと説明してくれるんですかね? 何だか、テキトーなこと言ってごまかされそうな気がします」

「ふふ……」


 フローさんは俺の“心遣い”が分かってか、こんな状況だというのにどこか楽しげな笑みを浮かべる。


「そう言えば、コウ」

「……何です?」


 止めようとも思ったけど、軽口を叩いていた方が気が紛れる、か。


「こんな時になんなのじゃが、……どうして、あの時、わしを助けたのだ?」

「あの時?」

「お主とわしが最初に出会った時のことじゃ」

「……!」


 予想もしていなかった質問をされたため、思わずフローさんのことを凝視してしまった俺のことを彼女の灰色の瞳がじっと見つめている……。






『何か用か、小僧?』


 自分の前に立った少年に言ったつもりの言葉は、音にすらならなかった。


(……ふむ)


 そんな自分の状態を意識することで、フローは改めて傷だらけの己の身体を自覚した。


 ナイフがかすっただけでも意識を失いそうな重傷だ。歩くことはおろか立ち上がることさえできない。このままでは、やがて気絶し、死に至るだろう。魔法は既に使い切ってしまっている。武術や体捌きの心得はまるでなく、買収に役立ちそうな金品も、既に盗られてしまっているため、ない。


(これは、お手上げといったところか……)


 妙に冷静に判断している自分に対しておかしさを感じたフローにはしかし苦笑する体力もない。無言のまま観察するような視線を向けてくる少年を見上げて、唇の端だけをわずかに歪めてみせることが精一杯だった。


(ふむ。……わしは、お主にとって役立ちそうなものなど、何も持っておらぬ。この身体ぐらいはお主が男であるならば多少なりとも“役立たせる”事もできようが、まだお主には、ちっとばかり早いようじゃな。さて、どうするのだ?)


 ある意味、絶体絶命だというのに好奇心丸出しで見つめるフローの目の前で不意に“小僧”の表情が動いた。何というか、心底『めんどーだなー』という顔つきになったのだ。そして、彼はずかずかとフローに歩み寄ってきた。


(ほう……?)


 見守るフローの視線の先で少年はかがみこみ、


(なに……!?)


 驚いたことに、少年はフローを背負って歩き始めた。身長差があるため、引きずるような形になってはいたが、どこかへ彼女を連れて行こうとしていることだけは間違いない。



『何故、じゃ……?』



 やはり言葉にならない問いを胸に浮かべつつ、フローは意識を手放した。






「どうしてって言われても、そうですね。……単なる気まぐれというか、『こいつは助けた方が得になる』って、スラムで鍛えられた鼻が利いただけですよ」


 俺は言葉を選びながら言い、苦笑した。


「お主が衛兵の詰め所まで連れて行ってくれたおかげで助かったわしが言うのもなんじゃが、あんな状態のわしを助けようなどと考えるのは、今を生き延びるため、打算で動くことが多いスラムの人間にしては極めて珍しいと思うのじゃがのう?」


 どこか探るような視線を向けてくるフローさんに、俺は苦笑を深くする。


「何て言うか、ホントに、……“勘”みたいなもんです。ほら、だから今こうして、〈冒険者〉としてきちんとした依頼を受けて、真っ当な事をして金を稼げるようになっているし、何より、貴女の事を支える事ができるぐらいの“力”をつけられたじゃありませんか?」

「ふふ、そうじゃな……」


 俺の軽口に少しだけ照れくさそうな笑みを浮かべたフローさんは次の瞬間、真剣な表情で目を細め、


「……あの時のわしには、お主が、損得の計算よりも『助けなければいけない』という衝動、言うなれば“義務感”でわしのことを助けたように感じられたのでな」


 ぽつりと、言った。


「えっ?」

「厳しい状況下にあってもそれを理由にせず、行動すべきことを行動できる種類の人間がいる。そういう資質を見込んだのが、お主を拾って育てた理由の一つでもあるのじゃ」

「それは、……買いかぶりすぎですよ。単にあの時から俺がお人好しだっただけかもしれないじゃないですか?」

「ふふ。……ネ子を見捨てんようにか?」

「フローさん……」


 いきなりネ子を持ち出されて驚くと共に俺は、……またしても苦笑してしまう。


「まあ、そうかもしれませんけどね。……こんな時に何ですが、俺は感謝しています。スラムをうろついていたどこの馬の骨だかも分からない洟垂(はなた)れ小僧の後見人になって、貴女が俺を育ててくれた事を。…この際だから聞きますけど、フローさん、『他の理由』って、何なんです?」

「ふっ。お主に命を助けられた恩返しと言う側面も当然あったのじゃが、そうじゃな。……見所のありそうな若者を見つけて育てるのが、わしの“趣味”だから、じゃな」

「“趣味”、ですか?」

「ああ。普通一般のものには味わえぬ贅沢な、ゴフッ!」


 言いかけて、再びフローさんが吐血する。


「フローさん!」

「コウ、もう、よい」


 《癒しの魔法》を唱えようとした俺にフローさんが首を振る。


「お主の魔法を使える回数もそろそろ残り少ないはずじゃ。無駄遣いするでない」

「ムダなんかじゃ……!」

「これから先、何が起こるか分からぬ。そういう状況ではできるだけ魔法と体力は温存しておくものじゃと教えたであろう?」

「ですが!」

「痛みを我慢すれば問題ない。こう見えても我慢強いのじゃ」

「我慢強いと言うより、強情のような気もしますけどね。〈魔術師〉系は〈戦士〉系とかに比べて体力ないんですから、危なくなったら言ってくださいよ?」

「うむ。心得ておこう」


 俺の言葉に頷いて微笑を浮かべたフローさんは行く手を見据えると、その後はただ黙々と足を動かし続けたのだった。






 ちょっとした広い空間にたどりついた俺たちが目にしたのは、


「あれは!」

「ふむ」


 最近、おなじみになりつつある(もう、見たくもない顔だが)、ワーキヤーク・ダ・ヨネーと、もう一人は見たことのない白いローブの人影だった(目深にフードを被っているので、男なのか女なのか分からない)。ここから少し前方に行くと急に道が狭くなり、石像がずらりと両側に並んだ細長い通路のよう

になっているんだが、……何やってんだ、あいつら…?


「あいつ、こんなところにまで!」

「……ほう」


 フローさんは驚いたような顔をして、


「あやつを知っておるのか、コウ……?」


 しげしげと俺の顔を覗き込んでくる。


「知っているも何も、二度も会ってますよ、あいつと。……ワーキヤーク・ダ・ヨネーとかいうそうです。この前、報告したじゃないですか?」

「……ああ」


 フローさんは納得したような、……予想が裏切られたような不思議な顔をして頷いた。


「やつの方か……」

「え?」

「……いや、何でもない」


 フローさんは苦笑して首を振る。


「反王家を掲げるやつがこんなところにいるとは不可思議だと思うただけじゃ」

「……本当ですか?」


 不審げな顔をして聞いてしまう俺に、


「まあな」


 と、いつものはぐらかすような物言いでフローさんは視線を前方に戻した。……こりゃー、聞いても答えてくれそうもないな……(嘆息)。


「むっ?」

「どうかしました?」


 フローさんの声に顔を向けなおすと、


「あいつら!」


 ヨネーと白いローブの人物が、石像の間を歩き出した!


「いかんな」


 フローさんは舌打ちすると、俺の肩から手を離し、一人で立とうとする。


「ちょっと、フローさん!?」

「これほど早くここに来ることになったのは予想外じゃったが、」

「えっ?」

「いや、何でも、ない」


 フローさんは首を振って何でもないように微笑むと、


「あやつらの後を追え、コウ」


 きっぱりと言って、前方を指差した。


「しかし、フローさんを置いていくわけには、」

「依頼が最優先じゃ」


 フローさんは言いながら懐を探り、


「この護符を持っていけ。右手に持ち、決して手放すでないぞ?」


 俺の右手に、手渡した。


「はい……」


 護符を受け取り、不承不承頷く俺に、


「……わしのことを信じられるか?」


 不意に、フローさんは真剣な表情で聞いてきた。


「えっ?」


 戸惑う俺に、


「よいか、……何があっても動じるな。決して立ち止まったり振り向いたりしてはいかん」


 ゆっくり一言ずつ噛んで聞かせるように言うと、


「行くがいい。今言ったことを忘れるな」


 フローさんは目で『行け』と合図する。


「……分かりました」


 俺は頷いて歩き出した。






(……よく見たら、この石像、十二柱の神々の姿をかたどったものじゃねーか)


 近づいて、ようやく俺は気がついた。


 神像は、光の神々が左側、闇の神々が右側に、手前が“魔”で奥が“聖”という順番で等間隔に並んでいたのだ。


(そういや、“試練の洞窟”っていう名前だったな、ここ)


 本来は、何らかの儀式のための場所なんだろーな(つーか、俺ごときがこんなところ通り抜けていいんだろうか?)(苦笑)。


「ぐっ?!」


 その時、手にした護符が熱くなった。あっという間に温度は上昇し、このまま持っていたら火傷してもおかしくない。


(けど、今は、フローさんのことを信じて進もう……!)


 俺は覚悟して歩みを速めた。




 ――光にして“魔”を司る「慈愛の神」ロレイア。

「……始原にして混沌たる“魔”よ…」

 ――闇にして“魔”を司る「暗黒神」ダネス。


 俺の口から自然に、神官になった時の祈りの言葉がこぼれる。


 ――光にして“地”を司る「大地母神」キーリア。

「……揺るぎないものにして抱きとめるもの“地”よ…」

 ――闇にして“地”を司る「安寧の神」リーリラ。


 それは、神官の資格試験に合格した時、初めて覚えさせられた祈りの文句だ。


 ――光にして“水” を司る「知識神」ティネーゼ、

「……流れるものにして穿つもの“水”よ…」

 ――闇にして“水” を司る「破壊神」ディニア、


 自分の属性守護神や信仰神だけにではなく(ちなみに、俺は属性守護神も信仰神のどちらもアルディーンだ)、


 ――光にして“風” を司る「幸運神」ジリス、

「……吹き渡るものにして留まらぬもの“風”よ……」

 ――闇にして“風” を司る「流転の神」ギール、


 この世界を形作る全てのものへの感謝と、


 ――光にして“火” を司る「戦の神」リムファー、

「……熱を与えるものにして焼き尽くすもの“火”よ…」

 ――闇にして“火” を司る「復讐神」リヴェン、


 尊敬を込めた祈りの“言葉”なのだ。

 

 ――光にして“聖” を司る「秩序神」アルディーン、

「……秩序をもたらし抗いがたき縛りを与えるもの“聖”よ…」

 ――闇にして“聖” を司る「運命神」ミレタイト、


「……我らが行く手に試練と希望と護りを与えたまえ……!」



 俺は、十二柱の神像の間を通り、抜けた。



(……これで試練は全部なのか……?)


 何かが引っ掛かっている俺は、内心首を捻った。


(神話を基にしているなら、もう一柱いるはずだが……?)



「!」



 俺の目の前に、突然、女神の石像が立ちふさがった。


(やっぱり……!)


 最後に待ち構えているのは、



 ――人間が神となったと伝えられる、「光と闇の中立神」フィーヌ。



 その手には“中立”を象徴する三叉の矛が構えられている。俺の胸を抉るか

のように。


(……でも、フローさんは『立ち止まるな』って言ってた)


 俺は心を決めた。


(……このまま進む……!)



 そして、



 フィーヌの手にした鋭い三叉の矛の切っ先がまさに俺の胸に突き刺さろうとしたその瞬間、


「!」


 フィーヌの姿が掻き消え、同時に右手の護符の熱も消える。慌てて手を開いてみると、……うわ、やっぱり火傷しちまってる(魔法を使う程じゃねーが、跡は残りそうだな、これ)。


「ん? これ、どっかで見た記憶が……?」


 いつかどこかで見たような、まるで“紋章”のような火傷の跡に首を捻っていると、



「ご苦労だったな、〈神官戦士〉!」



「何!?」


 聞き覚えのある声が、背後から聞こえてくる。思わず振り返ると、


「何だと!?」


 フローさんに剣を突きつけている二人の人影を認めて、俺は思わず叫んだ。ヨネーとそして白いローブの人影!


「お前ら、先に、ここを抜けていったんじゃ!?」

「残念ながら、あるものがないと、そこは通れないんでな」

「何だと!?」


 じゃあ、さっきのあれは、


(……まさか……!)


 ヨネーのやつが《魔術師系魔法》の使い手なら、アレを使えるはず……!


「……さっき俺たちが見たのは、《イリュージョン(幻覚)》の魔法だったっていうのか?」

「ご名答」


 ヨネーは肩をすくめ、


「気がつくのが遅かったな」


 嘲るようにニヤリと笑った。


「まあ、魔法に素人の貴様じゃ、見破れなくても仕方あるまい。本職の〈魔術師〉がこの有様ではな」

「くっ!」

「仕掛けた罠が有効に機能してくれて嬉しいよ」


 白いローブの男が(ちょっと高めだが、確かに男の声だ)フードの下からくぐもった笑い声を上げる。


「お前か! フローさんをこんな目に遭わせたのは!」

「彼女が元気だといろいろと厄介なのでね、仕掛けをさせてもらった。身体の自由が利かないけれど、時間で消える毒だから、安心して欲しい」

「何が、『安心して欲しい』だ、この野郎! 許さねぇ……!」


 俺はすぐさま通路を戻ってやつを叩き斬りたい衝動に駆られたが、相手がどういう行動に出てくるのか分からない現状では迂闊な真似はできないと、何とか踏みとどまる。


「さて、〈神官戦士〉、こいつの命が惜しければ、そいつをこっちによこせ」


 ヨネーが勝ち誇ったように俺の手の護符を指差す。


「コウ、わしが言うまでもなかろうが」

「渡すな、っていうんでしょ? 分かってますよ、そんなことは」


 フローさんはそう言うだろうけど、けど……!


「わしは、……この身にちょっとした呪いを受けておってな、死ぬことも歳をとることもない身体なのじゃ。じゃから、気遣いは無用じゃ、コウ」

「前にも言ってましたよね、それ」


 以前の冒険の時にフローさんがそう言ったのは確かに聞いたことがある。でも、……。


「うむ。じゃから、」

「……そして、その時に、俺も、言いましたよね。『例え、それが真実であろうと、フローさんをここにおいてはいけません』って。その言葉には従えません、フローさん。俺の言葉もあの時と同じです」

「しかし、コウ、あの時とは事情が」

「違いませんよ。その時、俺はこうも言いましたよね? ……『それに、俺が一人で逃げないのは、あなたをここに見捨てていったら、ネ子やあなたを慕うモーシンに顔向けできないからです』って」

「お主という男は……」


 思わず苦笑するフローさんに、白いローブを着た人影が話しかける。


「ずいぶんと躾(しつけ)が良いようだな、我が姉タルムニア。いや、今はフロー=フシと名乗っているのだったか?」

「ふん。従順に命令だけに従う人間を育てる趣味がわしにないことぐらい知っておろう、我が弟タルムニス。今は、セン=ニンという通り名を使っておるそうじゃな?」

「へー、そいつ、セン=ニンって名前なんですか。……って、タルムニアとタル

ムニス!?」


 伝説の建国女王と王弟の名前を聞き、俺は唖然とした(早く気付けよ、俺)。


「……まあ、そんなことはどうでもいいじゃろ。行け、コウ。ここを抜ければ、王城の隠し部屋に出るはずじゃ」

「……いやです」

「コウ!」

「俺には、こんなものより、フローさんの方が大事です」


 俺は、護符を持ち上げてフローさんに首を振った。


「良く聞け、コウ。それは、ある意味、わしごときの命よりも大事な」

「命よりも大事? そんなもの、“誇り”がどうとか、正統な“証”がどうとか、“王家”がどうとか、そんなご大層な、“形のないもの”でしょう?」

「それでも、我々には“それ”が必要なのじゃ。お前の言うとおり、それが形のない、たかだか“幻想”に過ぎなくても、な」

「幻想よりも、現実の方が大事です、少なくとも俺にとっては」


 俺はそうフローさんに言葉を返して、護符を、“王家の証”とやらをヨネーに向かって放り投げた(つーか、距離が離れてたんで思いっきりぶん投げたというのが正しいな)。


「コウ!」


 叫んでフローさんが立ち上がろうとするけど、突きつけられた剣のために果たせない。


「確かに……!」


 護符をキャッチしたヨネーがイヤらしく口元を歪めた(くそっ! 覚えてろよー!)。


「ふむ。王子様は人間味にあふれてらっしゃるようだ」

「……そいつはどーも」


 セン=ニンとかいうやつのイヤミに俺は肩をすくめた(つーか、“王子様”かよ。俺とフローさんはそんな関係じゃないんだがなー)(苦笑)。


「どうやら、王には不向きなようだな。貴女が育てた割には判断が甘すぎるようだ」

「ふむ。まあ、そこがいいところでもあるのだがな」


 そんなことを姉弟(仮)で話してるんだけど、……今、俺、聞き間違ったか? “王”って聞こえた気がしたんだが……?


「史上最高の名君と呼ばれた貴女の仰ることとは思えませんな。歳を取って耄碌(もうろく)しましたか、タルムニア?」

「ふっ、いまさら何を言っている。我らに時の流れなど無意味じゃろう、タルムニス?」

「無意味ではないでしょう? 我らが意味を見いだせなくなったという側面は確かにありますが、しかし、貴女は今もこうして王を作り出す努力をしているではありませんか?」

「ちょ、ちょっと待ったっ!」


 やっぱり、聞き間違いなんかじゃない!


「聞き流しそうになったんですが、『王』って、いったい何のことですか……?」

「お前、耳が悪いのか? 王と聞いて、他に何が思い浮かぶんだ?」


 呆れたようにヨネーが嘲笑する。


「じゃあ、俺は……」

「死んだとされていた、王子の片割れだ」

「はぁっ?!」


 俺は唖然として、ぽかんと口を開けてしまう。


「俺が王子だとかいうのは取りあえず保留しておくとして、……死んだはずの王子が生きていただけじゃなく、しかも、双子だったっていうのか?」

「頭はそれほど悪いわけじゃないようだな」


 ……放っとけよ。


「そう、一般には伏せられているが、双子だったんだよ。そして、そのことが俺たちが襲撃された理由のひとつでもある」


 ヨネーは、ニヤリと笑いながら肩をすくめる。“俺たち”、なんて言い方は気に食わねーが、俺に嘘を言っているとか騙そうとしているふうではない、な(もっとも、疑いなく信じていればそういう口調になるんだろうが)。


「運命神ミレタイトの神託にある。『王家に双子の男児生まれるとき、戦乱の時来たらん』とな」


 詠うようにセン=ニンが言い、


「くだらんと思っていたが、実際、このような事態になっているからのう。巫女どもの予言も馬鹿に出来んと言うわけじゃな」


 フローさんが苦笑する。


「双子がどうこうというより、王位継承者が多いほど暗闘が増えるのは必然。面白くもない現実ですよ、それが」

「ふん。暗闘を仕掛けている本人に言われるとはな」

「心外ですね。私は、むしろ、正当な王位継承者を推薦しているだけ。貴女のやっていることのほうが、策略だと思いますが?」


 姉弟はお互いの腹の底をうかがうような会話を続けていく。


「ふむ。そう言うからには、そちらの継承候補者が王家の血を引き王たる資質があり、こちらの継承候補者がそうではないという確かな証拠があるというのだな?」

「ええ。今から、そのことは証明させていただきますよ。この“試練”をワーキヤーク様が抜けることで、ね」

「ふむ。“試練”を抜けた者に王位継承の資格があるというその点においては我々の見解は一致していると見えるな」

「さて、どうでしょう?」


 ……うう。どっちが嘘をついているとか、ホントの事を言っているのかとか、全く分からねー!(彼らが本物のタルムニアとタルムニスでないとしても、確かに見た目と年齢は異なっているようだし、それぞれ思惑を持って動いているということだけは分かったけど)。


「さて、それでは、ワーキヤーク様、『王位継承者の試練』を」

「分かった」


 セン=ニンの言葉に頷き、ヨネーは神像に向かって歩き出した。


「コウ! そやつを行かせるな!」

「邪魔をなさらないでください、“王子様”。状況はお分りでしょう?」

「くっ……!」


 セン=ニンがフローさんに剣を突きつけた状態じゃ、何もできない。歯噛みする俺の前でヨネーのやつは、さっきの俺みたいに(もっとも、祈りの文句なんかは呟いたりはしなかったようだが)(まあ、こいつは〈神官〉じゃねーからなー)、神像の列の間を通り抜けていく。


 最後に待ち受けているフィーヌ神の試しも、……ちっ! あっさりクリアしちまった(さっきの俺のことを見てりゃ分かるか……)(実際、全然、これって試練にはなってねーよなー)(苦笑)


「ハッハッハッ! “証”は、いただいたぜ!」

「くそっ!」


 後数歩、というところで立ち止まり、火傷した手のひらを俺に見せつけながらそんな憎たらしいことをほざくヨネーに、思わず斬りかかりそうになった俺だったが、


「コウさん!」

「にーちゃん!」

「えっ?!」


 背後から聞こえてきたよく知っている声に俺が思わず振り向いてしまう。


「ネ子、それに、モー!」


 ネ子とモーシン?! どうして、ここに!?(王城側からはここに来れるのか?!)


「ハッハッハッ! また会おう! オレの弟、コウ王子よ!」

「! 待て、ヨネー!」


 慌てて振り向いた俺の前で、ヨネーとそして白いローブの人影の姿は掻き消えたのだった(うおっ?! 《魔法》なのか、これも)。


「王子……?」


 駆け寄ってきたネ子が怪訝そうな表情を浮かべ、


「どういうことですか?」


 まっすぐな瞳で俺に問いかける。


「それは、……」


 どう説明していいものか戸惑う俺に、


「王子、ご無事ですか!?」


 更には、クロウ・ニーンどのの声が聞こえてくる。



(……クロウどのは、知って、いたのか……?)


 疑念ばかりが浮かぶ混乱した頭で、呆然と俺はその場に立ち尽くしたのだった。

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