第4話 一つの合理的可能性

 今日、午前も午後も講義はない。一日中フリーダムだ。

 こんな日は決まって昼間までグースカ寝る——ことにしたいけど、無理矢理起こされてできなかった。今までは。けれど、私が目を覚ましたのは午前十一時前で、つまりはそういうことだ。

 思いのほか長時間眠りこけていた私は、制服ではなく休日用の普段着に着替え、部屋を出た。予定を二つほど思い出したのだ。

 向かう先は日用物資補給室。寮生活を余儀なくされる生徒がよく使う、できるかぎりなんでも無料で手配してくれるところだ。


「すみませーん。今って開いてますか?」

「はいはい。開いてるよ」


 人懐っこい笑顔を浮かべるかわいい感じのおばちゃんが、カスタード色のカウンターから姿を見せる。その奥にはあらゆる棚、あらゆる段ボール、あらゆるボックスが犇めいていて、その中に押しこまれた歯ブラシやらお菓子やらが見え隠れしていた。


「すごい寝癖だね」

「はあ。鏡見てなかったもんで」

「それで、なにか欲しいものでも? 週末まで待てば、外に出てショッピングモールにでも行けるんじゃないかい?」

「そんな選り好みするようなものじゃないからいいです」


 そうかいそうかい、とおばちゃんは頷いた。茶けたパーマをあてた髪が揺れる。もさもさだ。私の髪を指摘したけど、こっちはこっちですごいだろと思った。


魔法の注射くすりのストックの追加の申請がしたいんですけど」

「何箱分?」

「じゃあ、五箱分くらいで」

「了解。この書類にサインしてね」おばちゃんは私に一枚の紙を差し出した。「結構な手荷物になると思うけど、自分で持って帰る?」

「いや、このあと教官室に寄らなきゃいけないので、部屋に送っといてもらえますか?」


 おばちゃんは愛想よく「はいよ」と言って承諾してくれた。私は軽く手を振ってその場を後にする。次の目的地は、おばちゃんにも答えたとおり、教官室だ。

 パートナーであるキハが死んだ。

 だから、代わりのパートナーが必要になる。

 我らが幸福の桃想郷ユートピアを守る退桃士ピンクピンカーになるための養成所・退桃士官学校ピンキング・アカデミーでは、二人一組が原則だ。パートナーと寝食を共にし、授業を受け、訓練を行い、パトロールに向かう。

 その重要なパートナーがいないとなると、授業及び教育方針の都合上、どうしても支障が出てきてしまうわけだ。

 そこで、キハの代わりに、私に新しいパートナーを据えることとなったらしい。誰が相手なのか、どんな人間なのか、まだなにも聞いていないが。


「失礼します」


 私は教官室のドアを開けた。

 手前のソファーに二人座っているが見える。

 一人はおそらく次のパートナーだろうが、こちらに背を向けて座っているため顔が見えない。もう一人は馴染み深いバル教官で、ほんの少し苦い顔で私のほうを見ていた。


「ノックをしろ」

「はい」

「入っていいというまで入ってくるな」

「最初からやり直せと言うことですか?」

「もういい。座れ。新しいパートナーを紹介する」


 バル教官の言葉の後、背を向けて座っていた子が、体ごとこちらを向く。

 男の子だ。彼はさっとソファーから立ち上がって私を見下ろす。座っているときはわからなかったが背が高い。けれど、もやしのようにひょろりとしているわけでもなく、よく育っている。色素の薄い短髪と眼鏡が特徴的。一見すると穏やかそうな少年だ。

 彼は爽やかにニコッと笑い、上からの体勢で私に言う。


「君があのサヨだよね? よく知ってるよ。学年トップクラスの優等生。みんなうるさいくらい囃したててる。パトロールで二度も〝アタリ〟を引いたんだっけ、運悪すぎでしょ」

「うん。私はサヨ。君は誰?」


 思ったままを口にすると、彼の眉はぴくりと動いた。

 愛想のいい顔をしてもらってなんだが、この見下ろされるような体勢は気に食わない。私は彼を見上げなくちゃいけないし、さっきから首が痛い。それでもそのことになにも言わなかったのは、彼がこれから組むであろう新しいパートナーだったからだ。

 私は歩み寄りのために名前を聞いたのに、どういうわけか、彼はそうは受け取らなかったらしい。笑顔から一変して不機嫌そうな顔をするのを、私は黙って見ていた。


「ラギ。出会ってそうそう不和を起こすな」


 バル教官が彼の背中に向かって言った。

 なるほど、彼はラギという名前らしい。

 ラギはバル教官を一瞥して私から離れた。もう一度ソファーに座りこんだものの、彼の視線は私のほうを向かない。

 そんな様子に、バル教官はため息をつき、私を見遣った。


「悪いなサヨ」

「いえ。その子に悪気があったわけでもあるまいし」

「あるから悪いんだ」

「なるほど?」


 私は開いていたスペース——ラギの隣である——に座りこむ。覗きこむように彼をじっと見つめるが、彼は頑なにこっちを見ようとしない。


「よろしくね、ラギ」

「どうもー」


 ラギは気だるげに片手を振って言った。けれど、あくまで視線はこちらを向かない。なんとなく腹の立つやつだった。

 もしかすると、この小憎らしい性格に愛想を尽かされて、前パートナーから解散を迫られたのかもしれない。だとしたら可哀想に。性格なんてそう簡単には直せないし、しょうがないよね。ここは私が譲ってやるのも吝かではない。


「前回のパトロール、あのときは不運にも二ヵ所でピンキーが出没したため、サヨたちのほうの応援が遅れた。その結果、」私を見遣る。「なんだ、その、キハが亡くなったわけだが。実を言うと、もう一か所のピンキーの出没地でも被害が出てな。お前は自分の報告書にしか目を通していないだろうが……九人もの死者が出た」


 ラギはなにも言わず、すいとそっぽを向く。

 私が固まっているのもおかまいなしに、バル教官は続ける。


「そのうちの一人にラギのパートナーも含まれていた。非常に残念だよ。お前たちはパートナーのいなくなった一人者同士だ。ちょうどよかったので、お互いを組ませようと方針は決定された」


 私とラギは互いにちらりと目を合わせる。

 ラギは数秒後、不機嫌そうな顔から一変し、笑顔を浮かべる。


「バル教官がそうおっしゃるのなら、僕はそれでかまいませんよ」

「いきなりのことで不服かもしれないが、お前にも新しいパートナーは必要なはずだ」

「嫌だなあ。誰も不服だなんて言ってないじゃないですかあ。あの同期の中でも優秀と名高いサヨと組めるなんて、僕にとってもいい経験ですよ」


 にこにこと笑っているけど、バル教官の言動から見るに、本心ではあまり芳しくないと思っているのかもしれない。だとしたら、ヒネた態度を取る人間だ。目上の者を相手に皮肉を返すなんて、剛胆なんだか気が短いんだか。


「サヨ、お前はどうだ?」


 どうと聞かれても、正直この先上手くやっていけるか不安だ。

 パートナーとは常に行動を共にする相手である。ラギがどういうスタンスかは完全に掴めていないが、今の状況が続くようなら訓練自体に影響を及ぼしかねない。

 それでも、彼と組むことが決まっているのなら、私はそうするまでだ。


「なんの問題もありません。私は必ずや全うして見せます」


 私としては誠意のある対応をしたと思った。けれど、ラギの機嫌がよくなることはなかった。それどころか、嘲笑のような溜息をひとつこぼされる。


「なにそれ。君は命令されたからって、なんでも簡単に受け入れるような人間なの? 嫌だなあ。あのサヨがどんな人間なのかって楽しみにしてたのに、こんなつまんない女の子だったなんてね」

「おい、ラギ」


 私は半分うんざりしていた。もう彼を前にどんな対応をするのが正解なのかわからなくなっていた。バル教官に対する慇懃無礼な態度も、笑いながらにこぼす裏腹な言葉も、正直に言うと私には新鮮すぎる。いままで私の隣にいた子は、そんな子じゃなかった。


「君は最初に言ったよね、私のこと、よく知ってるって」


 私は合わせてくれない相手に目を遣った。

 隣に置くには見慣れない男の子。


「なら、私がどういう態度を取るかわかってたはずでしょ」

「はあ?」

「ちなみに私は、君のことをよく知らないから戸惑ってる。今のところ私の中の君は、よく笑う子。一番最初に笑いかけてくれたのはすごく嬉しかったよ。新しいパートナーができるとだけで、なにも聞かされてなかったからね、どんな相手かわからなかった」まさかこんな小癪なやつだったとは。「だから、君を受け入れた。君が先に賛成してくれたように、私と君は今日かられっきとしたパートナーだ。時間はかかるかもしれないけど、頼りあえる仲間になれるといいな」


 ストレートにそう言うと、ラギは沈黙した。

 視界の端では、バル教官が事のなりゆきを見守っている。

 次第にバル教官はにやりと口角を吊りあげ、それを一瞥したラギが息をつまらせる。それからラギはやっと私のほうを見て、淡泊な口調で言った。


「まあいいけど」


 バル教官はおかしそうに声を上げて笑った。ソファーに寄りかかりながら「お前たち、案外いいパートナーになりそうだな」とからかい口調でラギにかまっている。

 ラギにどんな心境の変化があったのかはわからないが、まあいい方向に向かっているようなのでよしとしよう。

 バル教官は「としたらな、」と言って、切り替えるように口を開いた。


「いくつか言っておかなきゃいけないことがある。まずは部屋についてだな」

「は? まさかこの子と共同部屋になるんじゃないですよね?」


 ラギは引き気味に言った。

 それにバル教官は「いや、まさか」と首を振る。


「流石にこの年齢の男女を一つの部屋に入れるわけにはいかないからな」

「なるほど」

「心外ですね。僕がこんなのに手を出すとお思いで?」

「私が手を出すかもしれないよ」


 教官側の考える一つの合理的可能性を呟いただけなのに、彼はとんでもない顔で私を睨んできた。解せない。


「そういうことだ。だから、お前たちには今までどおりの部屋を使ってもらう予定だ。一人で二人分の部屋を使えると思って贅沢がっとけ。授業、主に実技訓練についてだが、次の授業から二人でやってもらう。念のため事前に調整しておけ。お互いの力量を知っておくいい機会だ」

「なら、この後やります」

「授業ないのに? 冗談でしょ?」

「大丈夫。ちゃんと着替えてくるから。君はちょっと待っててよ」


 舌打ちのあとに「そういう問題じゃないんだけど」と聞こえた。

 私はそれを無視して、バル教官に続きを促す。


士官学校在籍証アカウントデータに記載されているパートナー情報も、今日中には書き換えられるはずだ。明日には正式にパートナーと認定され、パトロールなども二人で行ってもらう。今はそれくらいだな。あとは見つかり次第追々、というところか」

「わかりました」


 私が立ち上がるよりも、ラギが立ち上がるほうが先だった。邪魔そうに私の前を通って離れていく。私もバル教官に一礼したあと、そこから立ち上がった。


「上手くやれそうか?」

「自信はないです」

「キハのことは残念だった」バル教官は気遣わしげに続ける。「だが、悲しみに浸るのはよくないからな。新しいパートナーも見つかったことだ。今回のことをバネに、より一層精進しろ。お前ならできる」

「……はい」


 私は微笑んで返した。失礼します、と言って教官室を出る。

 教官室のドアを背に振り向くと、窓側の壁にラギが背を預けていた。彼なら先にどこかへ消えていることも考えられたが、流石にそんなことはしなかったらしい。


「ご飯食べてから訓練場に行こうか。野外のほうでもいい?」

「本当にやるの?」

「やるよ。だから君もどっか行かずに待っててくれたんでしょ?」


 ラギは黙りこんだ。

 それをいいことに私はまくしたてるように続ける。


「先に食堂に行ってて。一緒に食べよう。席も取っててくれるとありがたいかな。食べ終えたらすぐに訓練場に行くつもりだから、一度部屋に戻って武器を取ってからね。私は一度戻って着替えてから食堂に行くよ」

「注文が多すぎない? 僕は君に遣える騎士かなにかですか?」

「私を待ってたらラギの時間が無駄になると思って。私の着替えてる時間に君にもやりたいことがあったなら謝るよ、ごめんね」


 ほんのりと笑んでそう言ってきたラギに、私は切り返した。

 ラギは無表情になる。


「わかったから。あんまり待たせないでよね」

「うん」


 早歩きにラギはその場を去った。

 私も、待たせないようにしなければ。

 部屋に戻ると、頼んだ魔法の注射くすりのストックがもう届いていた。ケースに詰められたそれらを一本一本棚に直していく。

 けれど、ラギのことを思い出してその作業を中断させ、私は自分の制服を探すことにした。あちこちに散らばっていたパズルピースのような制服を全て見つけだし、順番に腕に通していく。

 完璧に着終えたところで、私はもう一度届いたストックのほうに目を遣る。念のため、一本だけ取りだして自分の腕に打った。すぐにハルバードを持って部屋を出る。

 食堂につくと、いつもより空いていた。ガラス張りになった一面から注ぐ光がこんなに眩しいと感じたことはそうない。訓練生がいないだけで、これほど明るく見えるとは。


「なにぼうっとしてんの」

「あ、ごめん」


 ラギは探すまでもなく手前のほうに席を取っていた。私の好みとは少し違うけど、食事も持ってきてくれている。手間が省けた。

 その彼の隣の椅子には、大きな武器が鎮座している。きっと彼のものだろう。涼しい顔をした彼には意外な、大きなメイス。柄頭が装飾的ながらに超重量的で、多面に渡る突起やフランジが、あの重みを伴って振り下ろされるのだと考えると……相当な攻撃力になるはず。超かっこいい。


「なにぼうっとしてんのって言ってんの。君って耳と脳みそちゃんと繋がってる?」

「耳と脳みそは元から繋がってないと思う」


 私が座ろうとした椅子を蹴られた。嫌がらせのつもりかもしれないけど、結果的にテーブルから離れたせいで座りやすくなった。私は気にせずに彼の目の前に腰を下ろす。


「センスのいい武器だね」

「センスがいいのは武器だけって言いたいの?」

「君のセンスは知らないけど、いい武器だって言いたかった」

「はは、優秀な君には、凡庸な僕なんて、目に入んないよね。僕の名前だって知らなかったくらいだし」

「君の戦いかたはこのあと知るよ」

「お手柔らかにね」


 それ以降、特に会話はなかった。

 私はいつもよりずっと早く食事を終える。

 こんな素っ気ない調子で大丈夫なのかと思ったけど、よくよく考えると、私自身がみんなに淡泊と言われがちだった。もしかしたら前からこんな感じだったのかもしれない。私が気づかなかっただけで。こんな私といて楽しかったのだろうか、彼女は。

 二人で訓練場に向かっていると、ラギが私の頭を見ながら眉を顰めた。


「ずっと思ってたんだけど、それなんで? 髪がぼさぼさなんだけど」

「あ、うん。いつもやってもらってたから」

「あっそ」


 ラギも私と同じくらい淡泊だ。しかも出会ったばっかりで、空気がぎこちない。会話のテンポが掴めない。この訓練でお互いのことをもっと知れたらいいんだけどな。


「さて」


 野外の訓練所に着いて、まず行わなければならないのが、偽ピンキーの仕掛けの確認だ。

 士官学校アカデミーが所有する敷地内にあるトンガリ木の林の中、いたるところに設置された仕掛けを、ピンキーに見立てて討伐する。その仕掛けはランダムに入れ替えをされているので、どこから出てくるかは毎回わからなくなっている。

 訓練の内容は、移動しながら十体討伐するので一セット。今回は連続して三セットこなす予定だ。討伐にかかる時間は短ければ短いほどいい。そのためには戦闘能力と同等、もしくはそれ以上に、観察眼が必要になってくる。ピンキーを即座に見つける観察眼も退桃士ピンカーには必要なものだ。

 私はハルバードに内蔵された銃器の点検をしながら、スタート地点である、林の一歩手前というラインに立った。ラギも私の隣に立つ。

 その手に持つ獲物エモノと彼との距離感を見て、私は少し離れた。私のハルバードも彼のメイスも基本的には振り回すものだ。近づきすぎて接触するような凡ミスは避けなければならない。最悪、どっちかの武器が破損することもありえる。

 開始の十秒前の急かすようなブザーが始まる。この徐々に上がっていくトーンが、最後に長く鳴り響いたとき、訓練はスタートだ。

 私はラギのほうを見ずに問いかける。


「目標タイムは?」

「五分以内」

「そんなタイム今ままで出したことないよ」

「へえ? 天下のサヨ様も案外大したことないんだね」

「一人のときはあるけど」

「なにそれ。雰囲気悪すぎ」


 ビ——————……

 訓練開始。

 私とラギは勢いよく駆けだした。男女の力量差や筋力差を懸念していたけど、私が彼に置いていかれるようなことはなかった。おそらく彼がスピードを合わせてくれている。足手まといなんて思われたくなくて、私はいつもよりも少し速めの速度を意識する。

 そのとき、前方にピンク色の大きな人形を発見。

 ハルバードの穂先を背面に向け発砲、その反動で一気に加速する。目標の眼前に躍りでた私は、ハルバードを思いっきり振り下ろした。

 ラギのほうも降りかかってくるピンキーの仕掛けを発見していて、メイスを振り回すことで大きくいなした。仕掛けの中のゼンマイがまだ狂っていないのか、地面でバタバタと手足を動かすそれに、もう一度メイスを振り下ろす。


「ラギの戦いかたってけっこう荒っぽいね」

「君が言う? どっちもどっちでしょ」

「君のほうがちょっとガラ悪い」

「頭かち割られたいの?」

「ほら。そういうとこ」


 そう言い返した私は、ラギの反応を無視し、先に進むことを促す。ラギは眼鏡のブリッジに触れて位置を整えると、少し不機嫌そうながらもついてきた。

 しばらく無音、無気配が続いたが、それはほんの数分のことだった。

 林の奥から、七体もの仕掛けが一斉に現れたのだ。

 私は数メートルほどラギから離れ、ハルバードを構えなおす。撃鉄音を鳴らしながら、加速するハルバードを振り回していった。銃を発砲して目の前の獲物を倒し、その発砲の反動で反対側の獲物の懐に飛びこみ、ハルバードの斧部を突き上げる。

 ラギも私と反対側から獲物を攻めていった。あちらからも太い発砲音が聞こえる。

 ちらりと視線を遣って見ると、その音は間違いなくラギのメイスからしていた。

 メイス柄頭の側面の装飾に二つ、てっぺんに一つ、おそらく銃口がある。そこから発砲することで、私と同じように、攻撃の威力や機動力を上げているのだ。

 彼はメイス柄頭を下に降ろすように構え、即座に跳躍、それと同時に発砲音が響く。人間ではありえないほどまで高く飛んだ彼は、真上からメイスを振り下ろして獲物の頭をかち割った。

 勢いを殺すようにぐるんと一回転。反対側から攻めていた私と鉢合わせ、背を合わせあう。


「ラスト」


 ワイヤーとエアーを利用してあちこちを移動していた獲物を私が狙撃。

 一セット目終了のブザーが、木々に設置されたスピーカーから鳴る。発表されたタイムは四分二十九秒。


「バル教官の言うとおり、私たちって、けっこういいコンビかもよ」


 眼鏡の位置を直しているラギにそう言った。

 彼はメイスを肩に担ぐように持つ。そのままてくてくと歩いていったので、おそらく私の無視をしたのだろう。しかたないので私も彼の後についていった。

 ビ——————……

 二セット目開始のブザーが鳴る。

 今度は、ラギの動きに注視しようと思い、なるべく後を追うような形で戦った。

 予想どおり、彼のメイスの柄頭には三つの銃口があった。位置まで予想どおりだったので、やっぱりねと私は内心でほくそ笑んだ。

 ラギは前方にピンキーを発見すると、メイス柄頭を自分の背面へと向けて発砲。加速した勢いのまま、メイスを振り下ろす。一撃必殺。獲物は音を立てて壊れた。

 発砲のときの反動を推進力にするのはバル教官のやりかただ。ということは、ラギもバル教官の教え子なのだろう。そういえば彼を紹介したのもバル教官だったな。

 余り者をくっつけただけとはいえ、同じ戦いかたをする人間と一緒なのはやりやすい。移動や威力向上のためにあちこちに銃をぶっ放すこの戦いかたは、下手をすると仲間に弾丸が飛ぶ可能性を孕んでいた。だから、バル教官の教え子はみんな、同じバル教官の教え子と組むことが多い。そのほうが勝手がわかっているし、お互い避けることを知り、やりやすかったからだ。


「えっ?」


 相当な数のピンキーを倒したころ、林の木々に紛れていた獲物たちが四方八方から姿を現す。しかし、そこでタイミングよく十匹目を討伐したのか、二セット目終了のブザーが鳴った。

 タイムは五分十二秒。

 さっきより少し遅くなってしまった。私が積極的に参加しなかったのが主な原因だろう。


「……これ全部、三セット目開始と同時に襲ってくるんだろうなあ」


 一時停止した大量の獲物たちを見回す。原則インターバルの間は稼働しない。けれど、三セット目が始まれば、一気に飛びかかってくることは目に見えている。

 私はそれに備えてハルバードを構えなおした。


「そんなんじゃ無理でしょ」


 ラギは小さく吐息して、メイスを宙に放り投げた。

 メイスはくるくると柄頭を軸に回転、落下する。持ち手である柄ではなく、柄頭を掴んで、両手で構えた。装飾の一部である突起を彼が押すと、今までメイスだった形状が、展開するように大きく開いていく。

 異様な光景だった。まるでメイスが生きているみたいに、孵化するみたいに、大きく膨れあがって形を変える。柄だった部分は重みを増して、跡形もなくなる。すっかり展開しきったころには、メイスとは程遠い武器に——何本もの銃身を持つ、ガトリング砲に、変化へんげしていた。

 ビ——————……

 三セット目開始のブザーが鳴ると同時に、ラギは発砲した。

 超絶的銃撃、眩むほどの強発光。毎秒何十発もの発射速度、大量の射撃攻撃は、ほぼ一瞬で獲物を蹴散らす。目にも耳にも痛い、鮮烈な砲火だった。

 とんでもない音量の撃鉄音に、私は「うぎいぃぃ……」と呻く。鼓膜が破れそうだった。その悲鳴さえも掻き消されるほどの砲火は、やがて終焉を迎える。

 ラギーがぐるりと体を自転するように、銃口を三百六十度回し終えれば、あれだけの数の獲物も跡形もなく消えていた。

 三セット目終了のブザーが鳴る。

 タイムは、八秒。

 耳を押さえていた私は「チートすぎる」呟いた。


「すごいね。その武器、どうなってるの?」

「ちょっと、危ない」私が触ろうとすると、ラギはガトリング砲を庇うように持ちなおした。「この銃身を見てわかなんない? 連続射撃による熱が溜まってる。火傷でもしてハルバード握れなくなったらどうするの? 僕のせいにされても困るんだけど」


 私はすごすごと手を下ろした。だけど、目線はガトリング砲に向けたままだ。私の視線があまりにもしつこかったからか、ラギはとても面倒くさそうな顔をした。


「これ、ラギが考えたの?」

「発想はマカ教官から」

「マカ教官? バル教官からじゃなくて?」

「バル教官に教わる前に師事してたから。武器改造による多種多様な攻撃、及び長・中・短の全距離からの攻撃がマカ教官の戦闘スタイル。その教え子もそれに倣ってる、ガジとかね」

「ああ。たしかに」

「僕には合わなくてバル教官に教わるようになったけど、どうせ機動力のために銃器も扱うなら、両面持つ武器にしようと思ってこれになったんだよ」


 可変式ガトリング砲メイス。

 打撃用のメイスと大量発砲のガトリング砲の両形態を持つ。

 なかなか武骨なメイスだと思っていたけど、それはおそらくガトリング砲形態時の質量によるものだろう。長所はさっきのように一度に多くのピンキーを討伐できる点。短所は形態変化に時間がかかる点、あとは、射撃後の熱が冷めるまで元の形状に戻せない点か。

 メイスに戻しても、最悪内部で熱が溜まって故障や融解を起こす可能性がある。三セット目までラギが出し惜しみしていたのもそのためだろう。


「冷却機能もあるからじきに冷めると思うけど、しばらくはこの状態だよ」

「そっか。三セットこなせたし、今日はここまでにしよう」


 二人で訓練所を後にする。

 寮に戻ろうとする道中、私はぽつんとこぼす。


「にしても、ラギってすごいんだね」

「……は? え? なにが?」

「訓練のタイム、八秒だって。士官学校最速記録じゃない?」

「……運が良かっただけ」ラギは微妙そうな顔をして言った。「大勢を目の前にしてるときでないと、あんな攻撃はできないよ」


 なるほど。ピンキーを探しだす必要のないとき、あんなふうに目の前に現れたときは、確かに一番いいやり方だろう。しかし、あれはその場で腰を据え、最低限の所作で済むタイミングでしか使えない。

 そうでないとき、たとえば、ピンキーを自力で探しださなければならないときには、木々や建築物を破損させる可能性もあるわけだ。銃を扱う武器を持つ者は、周りへの被害を常に考えなければならない。ラギーの火力ならなおさらだ。


「そう言う君はどうなのさ」

「私?」

「あのサヨと言ったら、士官学校アカデミー内でも有名人。第一回目のパトロールでも活躍した優等生、被害者数をゼロで抑えた英雄。実際に退桃士ピンカーになったとしても、スピード出世は間違いないでしょ。そんな君にすごいって言われても、厭味としか思えないんだけど」

「私のどこがすごいの」


 そう返した私を、ラギは呆れ顔で見て、すると、何故だろう、みるみるうちに表情を変える。すごく間抜けだった。


「君が気にしてるのはこの前のパトロールのこと?」意外そうにラギは言った。「君っておかしなひとだよね。あんなの失敗でもなんでもないでしょ」


 あのことはラギにとっては失敗ですらない。

 私にとってはそれがショックだった。


「むしろ、あの日だって君の株は上がるばかりだったと思うけど。マカ教官も褒めてたって聞いたし。あんな状態で生き残ったこと自体が評価されてしかるべきことだ」

「どうして? 二人も死んじゃったのに」

「君、学年次席のくせに平均被害者数も覚えてないの?」ラギは私を馬鹿にするように言った。「六。と小数点加えて九。四捨五入すれば、七人。訓練生とはいえまだ子供、見習いだ。あの功績は奇跡だよ。今回君が生き残ったのだってすごいことなんじゃない?」

「そうなんだ」

「うわ。他人事。あのね、君も知っていることを承知で言うけど、実際の平均被害者数はもっと多いはずだよ。退桃士ピンカーの戦死は被害者数にはカウントしないから。地下で身を匿っていればいい一般人とはわけが違う。最前線で戦う兵士はもっと死んでるんじゃない?」


 たしかにそれは授業でも習った。

 私たち訓練生や一般人は被害者として扱われるが、退桃士はそうではない。大量死の報道が私たちの心臓ハートにどんな影響を与えるかわからない。その旨を考慮して、一般公開されないことになっているのだ。

 なにより、戦死は栄誉の死とされる。人々の幸福を守り抜いた、世界で最も誉れ高い死として。そのために悲しみの一切を纏わせないのだ。習っているよりも、きっとずっと、戦死は静かに忘れ去られていく。


「ちなみに、ラギのほうはどうだったの?」

「三人、新卒だったとは言え、現役の退桃士ピンカーが踏みつぶされた。前のパートナーも」

「前のパートナー」

「そう。君のとおんなじで死んじゃった……馬鹿みたいな死にかただったよ。応援が来たあとにどてっ腹食べられて。ビビリのくせに、張り切ったりするから」

「…………」

「でも、出現要因は無事保護したよ。一度に大量注入したおかげで。いまも元気にしてるんじゃない?」


 ラギのほうは応援も早く到着したのだろう。第一処置も的確だったに違いない。被害者数を聞いた覚えはなかったが、そう数もなかったのではないだろうか。出現要因も生きていることだし。

 私がぼんやりと考えこんでいると、ラギは再び口を開く。


「でも、君のところの出現要因、あの少女に関しては賢明な判断だったよね」

「え?」

「僕のチームの付き添いだった退桃士ピンカーもそう言ってたよ。死なせて正解だったって。ピンキーの出現数がとんでもなかったし、抑制するにはそれが一番手っ取り早かった。応援が駆けつけるまで、マカ教官と二人だけで戦ってたんだって? まったく、本当に恐れ入るよ、サヨ様には」


 褒められているはずなのにちっとも嬉しくない。

 どうしてだろう。

 いつもなら誇らしいのに、今は自分を賛辞することもできない。

 賛辞するには私にはいろんなことが重すぎた。

——ひとたびピンキーが出現すれば誰かが死んでしまう。

 いままで何人も何十人も何百人も、もっともっと多くのひとが死んできた。だからみんな、ピンキーを呼び寄せないよう魔法の注射くすりを打つ。嫌なことを忘れ去ろうとする。幸せであることが、ピンキーから逃れられる唯一の防御策だから。


「……もう限界」


 そこで、ラギはそんなことをぽつんと呟いた。

 私は「は?」と顔を見上げる。

 ラギは私をギロリと睨んだあと「ちょっとこれ持ってて」とガトリング砲を持たせる。すごく重かった。こんなのを涼しい顔して持ち歩いてるなんて、こいつ、意外と怪力だな。

 ラギはあたりを見回したあと、一番髪の長い女の子のもとへ走っていく。それから二言三言交わし、なにかをもらって戻ってきた。彼の手には小さすぎる、すごく女の子らしいデザインのヘアブラシだった。


「みすぼらしくて見てられないんだけど」

「なにが?」

「君だよ」


 笑っているのに笑っていない、そんな顔でラギは言った。

 断りも入れずに私の髪をブラシで梳いていく。ときどき引っかかったけど、そのたびに止まって丁寧にほぐしてくれた。


「さっきから視線がうるさすぎ。気づいてなかったの?」

「え? あ、なんか見られてるかも、とは」

? 鈍すぎじゃない? ていうか、ちゃんと鏡見た?」


 そういえば、朝っぱらから髪が乱れていた。訓練後ならなおさらだろう。爆発しまくった私の頭を見て、ラギは「本当によくその髪で歩けたよね」と言った。

 その隣を歩いていた人間に言われたくない。まあ、だからこそ恥ずかしくなったんだろうけど。


「…………」


 どんどん柔らかくなっていく髪。自分の頭皮に触れ、流れていくブラシの歯。優しくて心地好いけど、だからこそなにか違った。

 それがあまりにも鮮明なものだから、私は思わず口に出してしまう。


「痛くして」

「は?」


 すぐに手を止めて私から距離を置いたラギに、「間違えた。ごめん」と言う。

 でも、フォローは無駄だったようだ。彼は顔を引き攣らせたままで、私に対する侮蔑は変わらない。侮蔑以上かもしれない。心底気味の悪いものを見るような目を私に向けて、じりじりと後ずさっていく。

 やがて、ラギは私の手からガトリング砲をもぎ取り、メイス形態へと戻す。すたすたと歩いてブラシを女の子に返してからは、もう私のところへ戻ってきてくれなかった。顔を顰めたまま「あの女やばい」とこぼし、わたしを置いて寮へと戻っていく。

 まあ明日には忘れているだろうと思ったが、結果から言うと、それから三日は口を聞いてもらえなかった。






 久しぶりに夢を見た。

 最初はなにもかもがぼやけていて、ただ光があることだけがわかる状態だった。私はそのなかへ沈んでいくのに、浮かびあがっているみたいで、黄金の粒がきらきらと舞って、泡となって私を掠めていく。不思議な感覚だった。

 聞こえるのは笑い声。ピンキーの泣き声なんかとは違う、穏やかで優しい声。

 ふわふわとしている。その声を聞くだけで、身を捩るほど心がくすぐったくなる。くすぐったくて、それと同じくらいドキドキして、だけど安心そのもの。この感情はきっと世界で一番尊いものだ。

 なんて心地好いんだろう。

 だんだんと視界がクリアになっていく。眩しさに潰れてしまった目が開いていく。

 見えたのは二人の男女。白いシーツの乱れた大きなベッドに並んで寝転んでいる。二人とも楽しそう。事実楽しくてしょうがない。今までにないほどの安らぎを抱いていた、少なくとも、彼女、セレナは。


「ああ、見て。これ」美しい顔を綻ばせてセレナは言った。「懐かしいわ。貴方がモルモットみんなに名前をつけたときの写真よ。最後にはみんな実験で殺してしまって、貴方ったら次の日、目が腫れるほど泣いてしまったのよね」

「そんな昔のものを引っぱりだしてこないでほしいね。恥ずかしいったらないや」

「あら、私にとってはどれもかわいいわ。特にこれよ。モルモットのチャーリーがレーザー光線で消えてなくなってしまったとき……貴方はショックで落ちこんでしまったけど、実はあたしが隠していただけなのよ」

「数時間後、君が笑顔でチャーリーを寄越してきたときは女神かと思ったよ」

「実際は悪魔だった?」

「それも魅力的なね」


 セレナとその男のひとはくすくすと笑っていた。

 ベッドに俯せになって立体となって浮かびあがっている——こちらの世界ではホログラムと呼ばれる——アルバムを眺めている。思い出話に花を咲かせているのだろう。彼女の横で肘をついて覗きこんでいる彼も、表情は柔らかく、また温かかった。

 いつもとの悲しい夢とは違っていた。

 セレナは終始、蕩けるような満面の笑みで、いつも鋭くしている涼しげな目を、赤ちゃんのように細めている。きっと信頼できるひとの隣じゃないと出ない、安心しきった心からの笑み。

 殺伐したような雰囲気は感じない。いつも不幸そのもので、鬱屈としていた、そんな彼女はいない。甘くて、優しくて、温かくて、尊くて、そして愛しい。

 そう、愛しくて愛しくてたまらなかった。セレナはとてつもない幸せを、この一時に見出している。まるで私まで彼のことを好きになってしまったかのようで、そう錯覚するほどに、彼女の感情は強かった。


「そういえばセレナ、聞いたよ。君、また危険な任務に行ったんだってね? 最近ずっと忙しそうにしてたけど……本当に大丈夫なの?」


 彼は少しだけ寂しげに言った。

 愛しい彼がそんな表情を見せるのが悲しい。そんな表情をさせたくない。私が——セレナがしてほしいのはそんな表情ではないのに。

 セレナは彼の髪を手でわしゃわしゃと掻き回した。


「大丈夫に決まってるでしょ? 貴方の目には、私が女神や悪魔でなく、幽霊になってるように見える? むしろ手柄をもぎ取ってきてやったわよ。お父様ボスもあたしにゾッコンってわけ。あの傷野郎に言ってやりたいわ。あたしは宣言どおりの大金星おおてがら、あんなに鼻息を荒くしてた貴方は指をくわえて見てるしかなかったみたいね〝Helloどうも〟~?」


 皮肉をこめたエアクオーツ。セレナはおどけてそう言ったけど、彼の表情はあまり変わらなかった。彼もセレナが大切なのだろうとわかった。だから、危険なことをするのを笑って見すごせない。彼がまだ浮かない顔をするので、セレナは言葉を強めて続ける。


「それにね、貴方が作った反電撃体シールドがとても役に立ったのよ。あれのおかげで私も私の部下も無傷だったの。お礼を言うわ。私の勇者さま?」


 そう言って瞼にキスを落としたセレナに、彼はようやっと微笑んだ。

 彼も愛しそうにセレナにキスをする。

 なんだかこっちが恥ずかしくなってしまった。


「それで? 貴方の大事な研究は進んでいるの? 私はこの数日間、それだけを楽しみに生きてきたのよ」

「大袈裟だなあ」


 大袈裟じゃない。私だけはそれを知っている。けれど、セレナは彼に心配をかけさせないように笑ってごまかした。


「でも、どうか聞いておくれよセレナ。いよいよ、実用化に向けての試験が行われるんだ」

「まあ! 素敵だわ! いよいよなのね!」セレナは彼に抱きついた。「素晴らしいわ。やっと貴方の研究が認められる日が来たのよ。これは偉大なことだわ。この2315年の今、貴方よりも神に近い研究者はいないでしょうね。どういうことなの。どうかあたしに詳しく聞かせて」


 しなを作ってすり寄るセレナに、彼は誇らしげな表情をした。傲慢な感じはしない。目はキラキラと輝いている。それに没頭するのが本当に楽しいのだろう。

 なんとなくわかった。

 セレナは、彼と彼のしたいことを守るために、あんな苦境に身を置いているのだ。

 彼女は果てしなく彼を愛している。嫌なことがあってもそれに耐えられるだけの愛を、彼に抱いている。だから今、こんなにも幸せなのだ。

 正直に言うと、彼の話すことの半分以上を私は理解することができなかった。当のセレナも全てを完璧に理解しているわけではないだろう。超弦理論、重力、時空、素粒子。なにが言いたいのかさっぱりだった。でも、聞き慣れない単語が彼の唇から止め処なく語られるのを、セレナは絶品の音楽に耳を傾けるような表情で聞いていた。


「創造神話のような世界の始まりよりも、ビッグバンの類のほうが僕の研究の材料には向いていると思うんだ。このことは前にも話したっけ?」

「ええ、話してくれたわ。ブレーンワールドがどうとかの話でしょう?」


 なんだそれは。さっきから私は置いてけぼりである。

 もちろん私にはさっぱりでも、そんなことを知る由もない二人は、会話を続けていく。


「宇宙は、僕たちよりもさらに高次元の時空に埋めこまれた、膜のような時空なんだ。ビッグバンとはその膜同士の衝突によって起こったもの。低エネルギーはこの世界に閉じこめられるから、それ以上の世界を観測できないけれど、他にも世界は無限に広がっているんだ。だから、世界というのは僕たちの住むこの地球、太陽系に限った話じゃない。僕たちとは違う世界がきっと存在する。だろう? セレナ」

「ええ、そうね。あたしもそう思うわ」

「みんなはそんなものはどこにもないって笑うけど、どこにもない場所っていうのはね、どこ以外の場所にならあるんだよ」

「ふふ、貴方はそこを探すのが楽しいのよね?」

「果てしない旅だけど、だから果てしない物語ネバーエンディングストーリーはロマンがあるのさ」


 彼は目を細めた。そして、夢見るように語る。


「どこにあるかわからないだけで、世界と世界同士がおそらく間近にあって、過去にビッグバンで接触したなら、また交わることだって可能なはずだよ。だからねセレナ、そのときの重力を上手いこと使えれば、」

「異世界へと渡ることだってできるんでしょう?」


 セレナはもう何度も聞いたわとでも言いそうな穏やかな表情で言った。けれど、彼のことを馬鹿にするつもりも絵空事だと囃すつもりもないようで、悪意は微塵も感じられない。


「時空の歪みが重力だと貴方は前に行ったわよね? 歪みということは、きっと規則的なものじゃないでしょう。それを意のままにコントロールしようってことよね?」

「察しがいいね。セレナ。まさしくそのとおりだよ。次の試験で使う機械で、そうだなあ、もう九十二回目になるよ……だけど僕は諦めない! きっと異世界はあって、そこに行くためのマシンを作ってみせる。いずれは異世界旅行も可能になるだろうね! ああ、考えるだけでも楽しみだよ」


 セレナはゆっくりと頷いた。

 異世界。なんだか突拍子もない話を聞かされた気分だけど、それほど突拍子もない話でもないと思ってしまうのは、この夢のせいだ。私はこうして、セレナという異世界に住む女性の夢を見る。

 彼女はある男のひとの追う夢を守っている。異世界へのロマン。わけのわからないことなら今まで散々見てきた。今さら驚くようなことではない。


「……ねえ、セレナ。ずっと聞きたかったんだけど」


 と、彼はさっきまでの興奮した声を抑えて、少し慎重そうな声で尋ねた。

 セレナも彼の顔を覗きこんで続きの言葉を待つ。


「どうして君は僕の話を信じてくれるの? 異世界の話や、そこに行くための研究をしてるなんて、大抵のひとは……特に君の周りのひとは絶対に馬鹿にするだろうに」


 セレナはその言葉を聞いてきょとんとした。けれど次の瞬間、美しい眉を嫌そうに顰めてぽつりと彼に返す。


「また傷野郎にでもなにか言われたんでしょう? Heebie-jeebiesあーキモッ

「いや、でも、しょうがないよ。彼の反応がきっと世間一般の反応なんだから」

Urghウザッ

「セレナ、君はこっちに来てから汚い言葉ばかりを覚えるね。掃除機にでもなったの? それも、シェルターから中身が漏れちゃうようなポンコツ掃除機に」

「しょうがない子ね。ふふふ。あたしもきっと馬鹿にされるだろうから今まで誰にも話さなかったことを、貴方にだけ教えてあげるわ。特別よ」


 突然に、セレナは人差し指を唇に当て、妖艶な表情でそう言った。

 誰にも話さなかったことを彼だけに——私まで聞いてしまうけどいいのかな。いや、セレナにはばれないだろうし、っていうか不可抗力だし、っていうかむしろただの夢だし、よくよく考えるとなんの問題もないんだろうけど、なんとなく罪悪感がある。

 けれど、私の気なんてお構いなしに彼は「なんだい?」と身を寄せる。

 ああもう、これが夢だということがとてつもなく腹立たしい。私には見てる以外なにもできない。ごめんねセレナと思いながら、私は彼女の話に、耳を傾けることになる。


「あたしね、異世界の夢を見るの」


 その言葉に私は心臓を掴まれるような感覚を覚えた。

 ひやりとして、けれどとてつもなく熱くなる。

 私はセレナへの心遣いなど忘れて、今か今かと彼女の話の続きを待った。


「いつも見るわけじゃないわ。ときどきよ。いつからだったかしら。そこまで古くはないと思うんだけど。こことは全然違う世界、似ても似つかないわ。いいえ、大体は同じだけど、世界を形成するシステムがまるで違うの。夢にしてはとてもリアリティーのある、おかしな夢」


 次は彼が興味深そうにセレナの話を聞く番だった。少しだけ上体を起こして彼女を見下ろす。


「そこはね、世界と言うには箱庭のような世界よ。まるで玩具箱のなかみたい。私たちが宇宙と呼ぶものが存在しなくて、地球でさえないのよ。本当に、まるで別の世界なの」

「へえ」

「けれど、世界は球体に似ていてね。私たちが地球と呼ばれる球体の星の上に住んでいるのだとしたら、あれはきっと球体の中に住んでいるのね。見上げれば天井があって、と呼ばれる太陽が設置されているの。その世界を、人々は桃想郷ユートピアと呼ぶわ」

「ユートピア……トマス・モアかな? 現実には決して存在しない理想的な社会」

「かもしれないわね。その世界はとても理想的よ。そこにはね、犯罪がないの。だから警察もない、あたしたちのようなマフィアもいない。戦争さえも。とても安全で、みんなが幸せな世界。それが誇りでもあるわ。その世界では誰もが幸福なの。素敵でしょう?」

「僕らの世界とは大違いだ」

「大違いなのはもう一つ。その世界にはと呼ばれる化け物がいるのよ。その化け物たちは、人々の悲しみや不幸に呼び寄せられて姿を現すの。人々に害を成す危険な存在よ」

「おっと、いきなりおっかなくなったな。まるで絵本に出てくるモンスターみたいだ」

「そうね、けれど大丈夫よ」セレナは自信ありげに笑った。「そのモンスターを退治してくれるスーパーヒーローがその世界にはいるの。あたしが今から話すのは、そのスーパーヒーローになるだめにがんばっている女の子、サヨのお話」


 彼が「サヨ」と私の名を繰り返す。

 私はやっと確信した。もしかしたらと思っていたことが本当であると――夢を見ているのが、自分だけではないことを。


「パワフルでチャーミングなティーンエイジャー。黒髪ブルネットのショートボブがよく似合ってる。不愛想な顔、でも愛嬌があるわ、だからキュートなの。あたしの若いころにそっくり。髪や目の色を変えれば、もっと似るんじゃないかしら? 彼女はね、スーパーヒーローになるためのスクールに通っているの。とっても強いのよ。いろんな仲間と素敵な先生に囲まれて、楽しそうな生活を送っているわ。まるで青春ドラマね。ハンサムな男の子までいるのよ。貴方に声がそっくりなの。なんだか笑っちゃうわ」


 セレナは言葉のとおりくすくすと笑った。それから、しみじみとした顔で話を続ける。


「あの子ががんばってると、あたしもがんばろうって思えるのよ。あたしには遠い夢のような、無邪気な学校生活のエピソードと、小さな体にある屈強なハート。あたしは、ただ一方的にそれを感じているだけにすぎないわ。あの子とあたしはまったくの無関係。それでも、ただの夢とは思えないの」


 何百もの幸福を一つにしたかのような気持ちが次から次へと流れこんでくる。

 温かくて切なくて、まっすぐで優しい。

 わかる。この気持ちは本物だ。

 セレナは私を思ってくれているのがありありと伝わってくる。


「彼女が楽しいときはあたしも楽しくて、彼女が苦しんでいるとあたしだって苦しい。その世界はとても理想的だけど、素敵なことばかりではないから。彼女も戦っているの。あたしと同じように。でも、あたしよりタフなのよ。信念が強いの。だからあたしも〝負けないで〟って応援したくなるわ。たとえ彼女に届かなくても、あたしがいるからって伝えたい」


 伝わっている。セレナの言葉は、心は、私に伝わっている。

 どうしてだろう。悲しくなんてないのに、もしも私が実体を持っていたら、その目から涙を流すような気がしていた。じわじわと滲むそれを持て余す私は、言いようもないほど幸せだった。


「なるほどね」と彼は微笑んで言う。「君が異世界の話を馬鹿にしないのはそれが理由か」

「そうよ。愛の力でなくてごめんなさいね」

「妬けちゃうけど、でもそっちのほうがずっといいさ。なんてったって、僕のロマンを実際に見たひとが、僕の目の前にいるんだからね。すごく幸運だよ」


 彼の言葉に、セレナはくすりと苦笑した。


「夢なのに?」

「確かにそうかもしれないね。でも、夢って侮れないよ。脳科学では記憶の整理によるものだとか言われてるけど、実際は、経験したことのないものが出てくることのほうが多いと思うんだ。君が見る、その不思議な世界のようにね」

「そうなの?」

「古代の人たちはね、ゴーストというものは身体に宿るものと考え、眠っているあいだに身体を離れ、自由に飛び回るものと考えられていたんだ。そして彼らは、眠っているあいだ、自分の魂が霊的な世界に出会うときに、夢を見ると考えていたんだよ」

「つまり、あたしの魂は寝ているあいだに彷徨さまよって、あの世界を見たってわけね?」

「そもそも夢っていうのは、の体験を見る行為だという説もあるくらいだからね。重力を、時限を超えて、別の世界へ行ったとしても、おかしなことではない」


 違う世界の自分を夢に見る――私にとってのセレナであり、セレナにとっての私。

 私たちが互いの夢を見るのはそれが理由、なんだろうか。

 所詮は夢だ。私の見るただの夢。これまでの一連の会話も私の脳が造りだした幻影にすぎないのかもしれない。そう考えるのが普通だろう。だから、セレナはいままで誰にもこのことを話してこなかった。

 私にしてもそうだ。話せば頭がおかしいのではないかとからかわれた。やはりこれはとてもおかしな話なのだ。本当に、夢物語のような話。

 だけど、それでもいい。


「ああ、素敵ね。だとしたら、サヨは、今あたしのことを夢に見たりしているのかしら」


 だって、この胸に流れてくる幸福は本物だ。なにもおかしいことなんてない。叫べるなら叫びたかった――そうだよ、セレナ。私はここにいる。貴女の出てくる夢を見て、私もこの瞬間、喜びをもらっている。

 夢の目覚めは、ふわふわとした心地好さだった。

 柔らかい二人の笑い声が遠くなるのを感じながら、私は徐々に眠りから覚めていった。

 窓から照明光輪イルミナの陽光が射す。その輝きが私の眠りを完全に覚ましてくれた。

 一生で一番の目覚めで、今までにないくらい気持ちがよかった。

 まだあの至上の幸福感が残っている。

 寝起きは最悪だと言われるけれど、今日は心が跳ねあがっているのがわかる。頭もすっきりしていて、いい一日が始まる予感。きらきらと輝く窓ガラスに思わずはにかんでしまう。この喜びを、胸の高鳴りを、早く誰かに伝えたい。

 私は大急ぎでベッドから跳ね起きて梯子を下りていく。


「ねえ、あのね、」


 馬鹿みたいに浮かれていた私は、下の段のベッドを覗きこんだ。

 そして、でも、もう、そこにはもう、誰もいないことを思い出した。






 素敵な夢の後は、幸せをもぎとられたようなぽっかりとした虚無感だけが残った。あまりにも寒々しくて、胸が震えた。すぐに魔法の注射くすりを打ったけど、それでもこの変な気持ちはおさまらない。

 そして思い至る――いい夢でも、悪い夢でも、セレナの夢は私にとって害でしかないのかもしれない。

 私の世界とは違う、別の世界の夢。この世界とは違う社会。違う感覚。違う感情。触れてしまって、知ってしまったからこそ、もうだめだった。

 私がおかしくなってしまう。

 その日から、私は夢を見たくなくて寝ることをやめた。もちろん眠気には勝てないから、努力空しく屈してしまうこともあったけど、夢を見ないノンレム睡眠のタイミングだけ寝るという対策を取れば、私の本意を遂げるのは、そう難しいことではなかった。

 起きているあいだは座学の復習を行った。夜の暇な時間を怠惰に過ごすのではなく、自分を高めることに費やそうと思った。ノートに書き写して、自分の考察も付け加える。おかげで知識の深みも増したし、教員にノートを見せれば成績の加点もされる。

 いい考えだと思ったのも束の間、ピンキーのまとめに入ったあたりで私の心は拒絶反応を起こした。寝不足の頭でさえ警鐘を鳴らす。このままじゃいけないと、魔法の注射くすりを打ったて、それなのに気持ち悪さが拭えない。

 しょうがないからイメージトレーニングでもしようと思ったのだが、それもすぐに嫌になった。こんなことは初めてだった。

 ようやっと、セレナの気持ちがわかる。心の中では銃という武器を取ることをいつも躊躇っていたセレナの、あのときの私には疑問でしかなかったセレナの気持ちが。

 夜がすっかり嫌になる。夜は暇だから、嫌なことをついつい考えてしまう。そして気が滅入ってしまう。学業に専念していられる昼間のほうが、ずっとよかった。

 ちなみにラギはまだ私と一緒にいたくないらしい。座学の授業で、私が彼の隣に座ると、彼は一つ前に席を変える。食堂で一緒に食事を摂ろうとしても、食堂に行くタイミングをずらされる。二人一組の実技訓練は、否が応でも顔を合わせなければならなかったが、ラギは頑なに私の言葉を無視していた。せっかくこの前の野外訓練でそれなりに話すようになれたと思ったのに。おかげで私は終始一人ぼっちだ。

 ラギがやっとかまってくれたのは、訓練中に私が倒れたときだった。

 寝不足で調子を崩し、それがついに祟ったのだろう。目を覚ましたときには医務室のベッドの上で、珍しくラギが私のそばにいた。


「あれ? ラギじゃん。やっほう」


 もう大丈夫なのかと思い、気さくに声をかけてみたのだが、ラギは笑顔で拳骨を飛ばしてきた。

 私、一応病人なんだけどなあ。

 殴られた頭を撫でる私に、ラギは冷ややかな目を送った。


「馬鹿でしょ、君。寝不足、過労、軽度のストレス。倒れて当たり前。医務長さんが今日一日は安静にしてろだってさ」

「ラギって医務長のこと医務長さんって呼んでるの?」


 もう一発飛んできた。頭が痛い。

 布団の中でうずくまる私をラギは鼻で笑った。


「いま何時……?」

「昼の三時くらいじゃない?」

「ラギがここまで運んでくれたの?」

「ああ、そういえば君って、実はすっごく重いんだね。ハルバードを抱えてることもあっただろうけど、けっこう体重があってびっくりしたよ。なに食べたらそうなるの?」

「そっか。重かったよね。ごめんね。ありがとう」


 私がそう言うと、ラギは押し黙った。

 もしかして、ラギって素直な言葉に弱いのかな。今までラギが押し黙ったシーンを思い返しても、その傾向が見られる。


「ありがとう」


 もう一度そう重ねると、ラギはそっぽを向いて口も聞いてくれなくなった。

 またこれである。話しかけても、うんともすんとも言わない。


「ねえ、ラギ」


 沈黙。


「聞いてる? 医務長どこか知らない?」


 沈黙。


「あっ、聞いてもどうせわかんないよね。ごめんね」

「君はなにが言いたいの」


 本当に捻くれてるなあ。こういう言いかたをして初めて振り向くのか。勉強になった。覚えておこう。


「医務長はいま出てるよ。なんか急用らしくて」

「さんは付けてあげないの?」


 もう一度殴られた。今回は私が悪いのがわかる。

 でも、これじゃあ部屋に戻っていいのかわからないな。できればこんな薬品の匂いするところじゃなくて、もっと落ちつける場所に行きたいんだけど。

 ラギはそんな私の意図を察したのか、溜息をして言う。


「言っとくけど、今日一日は絶対安静。部屋に戻るのもなし」

「……私って、そんな重病人なの」

「ちょっと弱ってるだけでしょ」ラギは呆れ半分で告げる。「魔法の注射は打ったから大丈夫。すぐによくなる」


 そっか、と言って私は布団を首までかけ、位置取りを整える。

 そのはずみで髪が跳ねた。


「そういえば。最近は髪、ちゃんとしてるんだね」

「うん。まあね」


 今朝も自分でブラシをかけたのだ。

 やっぱりちっとも痛くなかった。

 ラギは「じゃあ僕は行くから」と言って医務室を出た。途端、一人きりの静寂が訪れ、真っ白い天上だけが視界を占領した。体を覆うのは無機質な温もり。

 私は自分の左腕を擦る。

 魔法の注射くすりは打った。

 たくさん、たくさん打った。だけど。

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