第1話 カウントダウン開始

 撃鉄音がこだまする。もう慣れたとはいえ、金属が一気にひしゃげるような音は鼓膜どころか頭脳を貫く。煩わしくないわけがない。

 足元でカラカラと散らばる薬莢を踏み荒らし、私は刃を獲物へと向けた。

 なんてことのない相手だ。試験とはいえ会場は学校の敷地内であり、これは実戦ではない。相手にする獲物はあくまで無機物。簡易な仕掛けで動く、ピンクの布に巻かれた綿や木材。脳みそどころか本能もない相手なんて、いつも通りにやれば私なら楽勝だ。

 ハルバードを振り回して斧部でピンクの塊を斬る。そのままピックに内蔵された銃の反動を利用して、地面から高く跳躍した。


「キハ! 後ろに一匹!」


 私の声でキハは振り向くも相変わらずのへっぺり腰で、瞬時に迎え撃てそうにはない。ビニール生地のピンクの人形は特定の角度でしか動かない鉤爪を今にも振り下ろそうとしている。

 彼女の反応では間に合わないと判断した私は、ハルバード槍部の変形式銃口を向け、引き金を引く。キハの後ろにいた獲物は吹っ飛んで、つやつやした生地を花びらのように散らした。

 我ながら今のは見事だった。自分に惚れ惚れしていると、半泣きになったキハが「サヨ~」と私を見上げる。


「やっぱり無理ですっ」

「いいよ。それなら全部私一人でやるから」

「そしたら私が合格できないじゃないですか!」

「だったらやるしかないよね」


 獲物の頭に着地した私はハルバードを突きたてる。最早ただの足場となった獲物はぐらりとバランスを崩した。すぐさま跳びおりて周囲を確認する。このフロアは広いが障害物が多い。どこから仕掛けの獲物が飛び出てくるかわからない。

 モニターから私たちの動きは見られているだろう。採点している教官や同じ訓練生、その全員の目が集中している。

 俄然燃える。

 私は武器を構えなおして「行くよ」とキハに呼びかけた。

 銃内臓ハルバード。斧槍ふそうとも呼ばれる私の武器は、刃渡り1メートル、刃幅2メートル強と大型だ。みんなは扱いにくいと疎遠にしがちだけど、ずっと付き合ってきた私からしてみればこれ以上の武器はない。

 鋭い槍、その穂先には斧頭、反対側にピックと、活用次第では多芸的多角的な戦闘が可能になる。実にもったいない。この魅力がわかるのは私だけなのかと思うと、寂しい半分誇らしい半分だ。

 鉄骨で組み立てられたタワーの陰から新たな獲物が現れた。

 後ろで聞こえたキハの悲鳴を無視して、ハルバードのピックを引っかけた。右脚を軸に力任せに一回転、遠心力で振り回して、勢いのついたところで真っ暗なほど高い天上へと放り投げる。最高到達点でふわりと静止したピンクの塊を狙撃した。


「お見事です、サヨ」


 落下してけたたましい音を立てるのを聞きながら、私はキハに返す。


「キハも戦わないと点数もらえないんじゃない?」

「タイミングを伺ってるんですよぉ……」へらりと力なく苦笑した。「突然出てこられるのには弱いので」


 確かにキハは突発的な攻撃に弱い。ひとたびアクシデントが起こると冷静な判断ができなくなるし、その場で硬直するなんてザラだ。

 私はそういうとき体が勝手に動いてしまうタイプなのでキハの気持ちはわからない。パパッと手を出してしまえばいいのだ。トトンと足を踏みだしてしまえばいいのだ。愚図っているあいだに自分がやられてしまったらどうするつもりなんだろう。実戦に出た先が思いやられる。


「あくまでこれは訓練なんだよ? 実戦だと、突然出てこられるのがほとんど。こうやって練習させてもらってると思ってチャレンジしてみればいいのに」

「でも——」


 と、そこで隣にあったタワーが薙ぎ払われた。

 見上げる。

 タワーを薙ぎ払ったのはやはりピンクの獲物。だけど今までの獲物とは少し違う。中身は綿でも木材でも空気でもない、鉄の塊。無骨なボディがぎの合間からニヤリと顔を覗かせている。正直ちょっとかっこいい。こういういかにもなロボに私は弱いのだ。

 にしても、壊されることが前提の試験で、まさかこんなものを用意してくるとは。手のこんだ機械仕掛けのそれは、ギチギチと硬い音を鳴らしながら、ブタの足のような両腕を掲げている。

 一瞬だけ呼吸が震える。ぞくりとした。さっきまでのよりもずっと本物に近い。


「体長は十五メートルってとこかな。流石に私一人じゃ倒せないよ」


 唇を噛みしめているキハに私は呟いた。

 今まで仕事のなかった武器を持つキハの手が、ぎゅっと握り絞められる。


「キハ、陽動をお願い」

「……了解」


 キハは両手のウォーハンマーを引くように持ちあげる。

 キハが駆けだした。降りかかってくる他の仕掛けを蹴散らしながら、目当ての獲物のアームを狙う。この豚足さえ潰せば、こいつの脅威はグッと下がるだろう。彼女もそこを狙ったに違いない。彼女は障害物を足場に獲物に迫っていく。その間もアームはしつこくその動きを追っていた。

 十分に近づいたところで跳躍し、槌頭の打撃を食らわせる。

 だが、今回の獲物の中身は今までとは違う硬度だ。

 そう簡単には破壊できない。私のハルバードでは斬ることもできないだろう。悔しいがこの局面での私は無力だ。

 キハもそれを察したのか顔色が一気に悪くなる。すぐにべそをかきやすい、彼女によくある気弱い表情だった。


「足元を狙ってキハ!」


 仕掛けの根っこである駆動系の太いバーはおそらくこの獲物の本丸だ。いくらピンクの肌の下に硬い鉄をしこんでいようともこの動力部を壊せば関係ない。打撃を与えつづければ支えも弱まり、自重によって倒壊するだろう。

 その考えをキハも読めたようだ。ウォーハンマーの反対側についたピックを獲物のボディーに突き刺し、ピンクの肌を真下に裂きながら下っていく。着地を決めた彼女はピックについた生地を振り払った。

 キハの武器は、私のハルバードと同じく、ピックと槌頭の両方に銃を搭載したダイナミックハンマー。私のハルバードでは担えない打撃面での攻撃が、彼女の十八番だ。

 パニックに陥りやすい彼女が使うにはアクティブすぎるのではないかと周囲に懸念されていたが、私としてはこれ以上キハにぴったりなものはないと思う。下手に振り回しても何気なしに攻撃できる利点、槌部の重量による遠心力で攻撃力が増す利点、どれを取っても文句なし。

 私のハルバードと形状も似ているから、ある程度の立ち回りかたなら教えてあげられる。そして私の狙いどおり、彼女は武器をものにしていた。

 キハは何度も何度も打撃を食らわせる。その大人しい性格からは想像もつかないような威力だった。これならもうそろそろオチる。

 ピンクの塊がぐらりと翳ったタイミングで、私は跳んだ。動いていた豚足に着地して、そこからさらに銃の反動で獲物のてっぺんにまで上りつめる。


「どいてな」


 キハに一言忠告をしたあと、私はその場から飛び降りる。体がふわりと浮いた瞬間にハルバードを振りかぶりドンと獲物を叩けば、その塊はあえなく傾き、抉るような音を立てて地に沈んだ。

 障害物の陰に避難していたキハがひょっこりと顔を見せる。すっかり獲物の見当たらなくなった周囲を見回して、私は穂先を下ろした。

 低く震えるようなビープが鳴り響く。

 試験終了の合図だった。

 どこに設置してあるかもわからないスピーカーから教官の声が降りかかる。


『サヨ・キハチーム終了。トータルで84点。実戦訓練前能力測定試験、合格』


 私たちは合格した。それもあの教官にしては破格である84点という高得点で。この得点はすごい。我ながらすごい。私たちの前に試験を受けたチームでもこれほどいい成績を修めたチームはいなかった。つまり学年でも一位である。モニターに映っているのもおかまいなしに、私はガッツポーズをした。


「サヨ! やりましたよ!」


 びいびいと泣くキハが両手を挙げて私に駆け寄ってくる。ハイタッチかと思って私も手を上げたのだが——どうやら彼女が求めていたのはハグだったらしい——私の手がキハの顔に当たり、彼女を拒むような体勢になってしまった。そのせいでさらに泣きじゃくってしまった彼女の鼻水が手につく。汚い。

 感慨深くなって、私は呟く。


「やっとここまで来たね」


 キハの肩に腕を回す。バレないように彼女の制服で鼻水を拭った。


「ぐす……はいぃ」


 私たちがこの退桃士官学校ピンキング・アカデミーに通いはじめてから三年。

 次からはやっと、ピンキー討伐の実戦訓練を行えるのだ。






 生態の多くは未だ解明されていない。どこから来るのかも不明。姿かたちは三者三様、十人十色。いろんな動物のパーツをごった煮にしたような形をしているときもあれば、ぬいぐるみや人形のように愛らしい形をしていることもある。出没頻度が多いのは照明光輪イルミナのブレーカーを落とした真っ暗い夜。不気味極まる真っピンクのいでたちで、人間の抱く悲しみや不幸に呼び寄せられ、人間を襲いにやってくる。そんな化け物がピンキーだった。

 そして、そんな化け物と戦うのが退桃士ピンクピンカーだ。

 襲いかかるピンクの化け物からみんなを守る愛と正義の戦士。まだ見習いだけど、あと二年で士官学校アカデミーを卒業する私も、愛と正義の戦士だ。うん、かっこいい。

 入学したての一年生、齢で言う十三のころから、私は退桃士ピンクピンカーになるために努力を重ねてきた。誰もが羨む好成績をマークし、学年ではトップクラス。授業中グースカ寝ていたやつらとは出来が違う。正直に言うと今回の試験だってなんの心配もしていなかった。

 試験会場から見学用のモニタールームに戻ると、ずっと見ていたであろう同じ訓練生たちが駆け寄ってきた。花火のような声で「すごいぞ」やら「流石だ」やら話しかけてくる合間に、ほぼ暴力と言ってもいい拳が飛んできた。

 仲間からの賞賛はくすぐったいし鼻も高い。だがこれほど痛いものだっただろうか。本当に祝う気はあるのだろうか。

 そんなふうにキハと一緒にいろんな人間から褒められ、それはとても嬉しいことだけど、満足はしていない。

 実のところ、私は、ついさっき自分が慢心していたことを知ったのだ。

 私とキハはトップで試験を合格したものだと思っていた。だがしかし。まるでそれを嘲笑うかのように、私たちのあとに受けたチームが、89点というそんなに欲張ってどうする気だと驚愕するほどの点数をもぎ取って見せたのだ。

 悔しさが胸に蔓延らないわけがない。華々しい一位から転落。私は二番。一番じゃなくて二番。思い返せばこの三年間ずっと二番だった。座学でも実技でも。トップクラスとは言ったがトップではないのだ。

 しかし、ここでくじけるような心臓ハートを私は持ち合わせていない。

 なあに、じきに一位をもぎ取ってやるさ。愛と正義の戦士の名のもとに。


「まずは合格おめでとう、諸君」


 落ち着いた声が室内に広まり、緊張のほぐれた体に染みこむ。隣に座るキハはあまりの安堵に寝そうになっていた。どうでもよくないから言うが、口元から垂れた涎がハンマーに雪崩れている。あとで拭かないと錆になりそうだ。

 私は教壇に立つバル教官をじっと見た。

 試験を合格したチームは別室に連れられ、教官からの有難いお言葉を頂いていた。その教官こそが、試験の採点官でもあり、私が大変お世話になったバル教官だった。

 黒髪を似合わないオールバックにする、一見して昼行灯そうなこの男教官に、私は何度しごかれ何度鍛えてもらっただろう。負けず嫌いな私は意地でもしがみついていったが、その懸命な私の姿を見て気持ち悪いと顔を青ざめさせた仲間も少なくない。いろいろとひどい。

 しかし、今の私があるのはこの教官のおかげなのだ。感慨深さに目頭が熱くなる。

 感謝と合格の意をこめて軽いウインクを飛ばしたが、美しく無視された。無論ダメ元だ。


退桃士官学校ピンキング・アカデミーに入学して三年、よくここまで成長してくれた」私のウインクを無視したとは思えないどこか優しげな面持ちでバル教官は言った。「君たちがここまでこれたのも君たち自身の努力の賜物だ。自信を持ちなさい」


 合格したチームの生徒たちが誇らしさからスッと姿勢を正す。

 生徒は士官学校アカデミーに入学してからの三年を、基礎身体能力の向上・適正武器の分析・武器の扱いに費やす。自分に見合う武器を見つけて、そのスペックを存分に使いこなすことが第一義務なのだ。たとえ座学で点を稼ごうと、それができない生徒は実戦に出してももらえない。永久に箱庭の生徒だ。

 でも、この場にいる人間は違う。


「次の授業からはインターンシップ、実際に現役の退桃士ピンカーに付き添い、実戦を体験してもらう。これから二年間、本場の技術を大いに学び、優秀な退桃士となることを期待している。以上だ」


 解散を促された私たちはガタガタと席を立つ。

 部屋に入ってくるときも思ったけど、今年はそれほど合格者がいない。何人かは不合格だったようで、部屋には空席がいくつかあった。

 私は涎の海を作ったキハを揺すり起こす。


「起きて。行くよ」

「どこにですかぁ……」

「一階の掲示板。実戦の授業のはじめは、付き添いで昼間のパトロールをするんだって。誰につくかの発表はそれぞれ掲示板に書かれてあるみたいだから、行って見てこようよ」

「そんなの掲示板に来てもらえばいいのに」

「実際に来られたら怖がるくせに」私はコツンと頭を小突いた。「ほら。疲れたなら今日は早めに寝ればいいから」


 キハは渋々立ち上がり、濡れたウォーハンマーを遠心力でぐるんと払いながら、私の後についてきた。涎が何人かの生徒に飛沫としてかかったが、私は知らんぷりをした。

 トライアングル状の階段を降りていくと、一階の踊り場でバル教官と遭遇した。

 ついさっきは私のウインクを華麗に無視してくれたというのに、私たちの降りてくる姿を横目にした途端、壁に凭れていた背を離してこちらへと向くのだから、やはり彼も私を労いたかったに違いない。ようやく私を素直に褒める決心がついたということだろう。私は歩調を変えないまま最後の一段を踏んだ。


「サヨ。お前ならもう少し点を伸ばせると思っていたんだがな」


 そのままずるりとこけそうになった。

 もちろん持ち前の反射神経で手をついて前転して見せたが、そんな自分に惚れ惚れしている暇などない。私はバル教官の期待を裏切ってしまったのだ。

 私は跪いた状態で教官の足元に囁く。


「次はもっといい成績を修めます」

「ないな。実戦訓練前能力測定試験は不合格にならないかぎりたった一度だけだ。そしてお前は試験に合格してしまった。お前が実戦訓練前能力測定試験を84点で見事合格した事実は今後二度と曲げられない。残念だ」

「くっ……私が優秀だったばっかりに!」


 固い拳を作って地面を殴りつける。まともに顔も上げられない。

 そんな私を察してか、バル教官は制服の襟を掴んで私を無理矢理立たせた。軽く放るように離して、後ろにいたキハと並ばせる。


「キハ、君も、もう少し動けたはずだ。後半の動きはよかったが、前半はサヨに任せっきりだっただろう」

「……はい」


 目を逸らし気味のキハに軽く吐息するバル教官。それからまるで喝でも入れるような、それでいて静謐な声で、私たちに言う。


士官学校在籍証アカウント名・サヨ、キハ」姿勢を正している間にバル教官は続けた「二人の最初のパトロールでは俺の付き添いをしてもらうことになった」


 その言葉に私は眉を顰める。

 昼間のパトロールは、現役退桃士ピンカーの付き添いとして、行われるはずだ。バル教官は士官学校でも有能で有名な教官だが、現役退桃士ピンカーではない。元はそうだったのを、後進の育成に力を入れるため、第一線から退いたというのが士官学校アカデミー内でも専らの噂だ。

 私が浮かべる表情で察したのか、バル教官は一つ言開く。


「現役の退桃士ピンカーとの都合もあってな。インターンシップとして参加できる退桃士ピンカーが合格チームの数に達しなかったから俺で穴を埋めることになった」

「数合わせってことですか?」


 私がそう呟けば、横にいるキハが肘で脇腹を穿ってきた。けっこう本気だった。ちろりと私はキハを睨む。

 キハはバル教官に「許してください。サヨはちょっと無神経で失礼なだけなんです」と頭を下げている。ひどい。そんなキハに対して「だろうとも。慣れてるさ」と返すバル教官もひどい。

 私は釈然としなくて顔を顰めたままだった。


「せっかくお前らを取られる前に俺がキープしたっていうのにな。不服か?」


 そう言うバル教官を上目遣いに見る。


「これでも、合格したのは嬉しいと思ってるよ。お前の活躍を間近で見たかったんだが、どうやら気に入らないらしい。しかたない。いまからでもかけあって、他に引き取ってくれそうな人間を探すとしよう。さらばだ」

「どうかしかと見ていてください。貴方のためにこの私は戦いましょう」

「そうか。教官冥利に尽きるよ」


 バル教官の言葉にすっかり舞い上がってしまった私は口早に言った。教官はなんでもないように手をヒラヒラと振って去っていく。

 キハが隣で「サヨの扱いに慣れてますねぇ……」と呟いているのが聞こえた。当然だ。バル教官は三年間も私を指導してくれたのだ。私を扱える人間など教官以外にいない。

 早くパトロールの日が来てほしい。だけど恥ずかしい姿は見せられない。その日に備えて訓練を重ねなくては。


「でも、少し緊張しますね」


 キハはぽつんと呟いた。

 私は「なんで?」とキハのほうに振り向く。


「今まで訓練ばっかりだったじゃないですか……でも今度はパトロールで、本物のピンキーに遭遇するかもしれないんですよ?」


 私たちは退桃士官学校ピンキング・アカデミーの訓練生だ。卒業すれば退桃士ピンカーとしてみんなを守る任に就く。遅かれ早かれ遭遇するのに変わりはない。嫌ならここに来ること自体が間違いだ。


「キハは本当に臆病だね」

「ははぁ……返す言葉もないです」

「まだ本当に戦うって決まったわけじゃないんだよ? パトロールなんだから」

「わかってますよう」キハはへにゃりと笑った。「でも、緊張はどうにもならないから」


 この三年間、キハが緊張をしない訓練はほとんどなかった。大袈裟すぎると思うけど、でもその緊張も大事だとも私は思う。いつも緊張を抱いているからこそ気を抜くことがない。その大事な要素をキハは持っていた。


「あんまりナーバスになるようなら、ちゃんとんだよ?」

「わかってますってば。薬液のストックならまだありますし」

「ならいいけど」


 私が安心したように頷くのを見届けるとキハはぽつりとこぼした。


「なんか……憧れます」

「私に?」

「ちょっと黙っててください。サヨの夢にですよ」


 私が黙っているとキハは「なんとか言ってください」と不機嫌そうにした。黙れと言われたから黙ったというのに、なんで私が責められないといけないんだろう。不機嫌になりたいのはこっちである。


「夢って、あのおかしな?」

「そうです」

「なんで」

「だって、ピンキーがいないんでしょう?」


 キハが私の顔を覗きこむように言った。それから前を見て、空想しながら顔を綻ばせる。


「素敵ですね。それってどんな世界なんでしょう」


 廊下の窓から明るい光が爽やかに漏れている。まるでプラチナみたいに煌めく埃は平穏の粒だ。穏やかで幸福な日々の象徴。笑顔を浮かべるに十分で、満ちるのにも事足りる。

 キハはそんなことを言うけれど、でも、その夢の中の世界は。


「あら」


 バッツン——と照明光輪イルミナのブレーカーは落とされた。廊下から漏れだす光は消え、外は真っ暗になる。私はキハのいる窓際まで近づき、時計塔の文字盤を見た。長針と短針がまっすぐに伸び、白い円を真っ二つに割っている。


「もう夜ですね」


 キハは呟いた。

 光のない空からはするするとテグスを伝った照明粒子フィルドスタが下りてくる。チカチカと瞬くその粒の明るさは照明光輪イルミナにはほど遠く、けれど夜を美しいものにしている。趣というやつである。次に世界が明るくなるのは十二時間後。時計の針がもう一度、文字盤を真っ二つにしたときだ。朝の始まりと夜の始まりはくっきりと分けられている。デザインによって空模様は変わるがシステムが誤作動を起こさないかぎりこのサイクルは変わらない。


「寮に戻ろう。食堂もきっと混んでるよ」

「今日はデザートいっぱい食べれるといいですねえ」


 食堂でも人気のデザートはなくなるのが早く、毎日が争奪戦だった。私はそのなかでもマカロンが食べたい。やっぱり争奪戦だ。

 さっさと食べてさっさと寝よう。

 急ごっか、と私は歩くスピードを速めた。






 真夜中に夢で見る異世界の女性は、いつもどこか暗かった。

 彼女自身が暗いとか性格に問題があるとかそういうわけではなくて。どこか浮かない顔で、自分のやっていることに嫌気を覚えていて、仲間内で話しているときも気を紛らわしているみたいな無理矢理さがあった。

 孤独なわけではない。むしろ彼女は人間関係に恵まれているほうだ。彼女に話しかける人間はみんな笑顔を向けていた。きっと人望があるのだろう。そしてその人望に足るだけの実力や地位を、彼女は有している。けれど、その女性は、いつもどこか——切なげだった。

 異世界の夢を見るとき、決まって私は、この女性の視点で世界を見ている。

 夢の世界では彼女が主人公のようで、私はその世界を鳥瞰しながらも、まるで彼女の目線に立ったような気持ちでいた。

 不思議なことに、彼女の気持ちが本当に自然に流れてくるのだ。私の心臓ハートは拒絶反応もなにもなく、容易く彼女を受け入れる。リンクでもしているかのように、彼女の感情は私のそれと直通していた。

 だからこそ、彼女が現状を嫌っているのがわかった。

 その感情は、いままで私が抱いたことのない感情だった。

 実体がないのに何故か重くて、でもぽっかりと空くように軽くて、なんだか煩わしい。

 今夜の夢でもそうだった。夢の彼女は端整な顔を冷たくして、広い廊下を歩いている。彼女の心情が影響しているのか、その豪奢な廊下には温かみがなかった。見たこともないほどの豪華な絨毯や芸術品の置物が、どうにも殺風景に、それでいてつまらないもののように感じる。

 こんなに綺麗で立派なのに、彼女にとって価値のあるものとは一体なんなのだろう。私には考えもつかなかった。

 ある扉の前で彼女が立ち止まる。一つ、深いため息をついた。躊躇いがちにノックをして、許可を得たあと部屋に入った。

 場面転換のように視界が変わる。

 部屋の中だ。彼女が入った部屋は今までに見た夢の中の光景のなによりも豪華で、ムカつくくらい気持ちよさそうなソファーに、ある男が尊大に座っていた。

 彼女の年齢より一回りも二回りも、三回りも上でありそうな男。この男を、彼女はあまりよく思っていないはずだ。その証拠に、私に流れこんでくる彼女の感情が、よりいっそう荒んでいた。

 男は彼女になにかを言う。言葉が全然わからない。おそらく私たちの話す言語とは違うのだろう。口元の動きに合わせて出てくる音は、私の理解の範疇を超えていた。

 だけど、不思議なことに、少しもわからないわけではないのだ。彼女とリンクしているからだろうか、音自体は不明なのに、意味を理解することはできた。脳みそに直接意味を打ちこまれているような感覚。夢の中だとしても不思議な感覚だった。

 どうやら、数日後になにか大事な任務に就けと言われているらしい。

 彼女は首を振って否定らしい否定を述べた。

 誰の言葉も理解できないのに、彼女の言葉だけは意味としてでなく、音としても理解することができた。それは硬い音だった。

 その否定を、男はさらに否定する。これは決定事項だと彼女に念押しをした。彼女よりも男のほうが地位が高いのは明らかだった。

 表情を厳しくする男に、彼女はこれ以上否定をしない。不甲斐なさそうな表情をして一つ頭を下げる。曇らせた表情のまま、彼女は部屋を出た。

 私なら——教官になにか任務を任せられたら、勢いよく首肯することだろう。でも彼女は眉を濁らせるばかりで、おまけに肩も落としている。

 また煩わしい感情が彼女を通じて流れこんできた。

 私はふっと鼻で一拍した。

 いくらピンキーがいない世界でも、こんなの素敵とは程遠い。

 私たちのいる世界は幸せそのものだ。不幸は存在しない。彼女のような顔をする人間も、彼女のような感情を抱く人間もいない。こんなもの、私たちにはいらない。

 彼女から流れこんでくる感情が嫌で嫌でしかたがない。どうしてこんな夢を見なければならないのだろう。いくら夢とはいえ、寝覚めが悪すぎるのだ。なんて面倒な夢なんだ。

 私は見下ろすような視点で彼女の顔を見る。綺麗な横顔は憂いに満ちていた。

 本当に、どうして私はこんな夢を見るんだろう。






 いよいよパトロールの日が来た。

 はじめての実戦訓練である。

 興奮のしすぎでなかなか寝つけなかった私のテンションの高さはキハからの折り紙つき。朝から元気よくごはんを三回もおかわりしてしまったのだから自分でも驚きだ。ハルバードの手入れをする手もうきうきと踊り、通りかかった連中に「タコがいる」「いやありゃイカだ」とこそこそ囁かれた。おかしい。このあたりに水族館はないはずなのに。

 また、午前の座学中には待ちきれずイメージトレーニングを行っていたのだが、どうやらそれが口に出ていたようで、お年寄りのヨボヨボ教員に「いつからここに機関車が開通したのかのう」と笑われた。シュッシュッ。


「恥ずかしいからもうやめてください」


 移動中もシュッシュとジャブをくりだすような素振りをしていた私にキハが言った。気弱い顔をさらに歪ませて責めるように私を見る。


「戦うことが恥ずかしいことなの?」


 ピンキーをやっつける愛と正義の戦士のどこが恥ずかしいのだろう。むしろ準備運動を怠って役に立たず終わるほうがよっぽど恥ずかしい。

 眉を顰めて首を傾げる私に、キハは否定を吐く。


「遠足に行く子供みたいな行動のことですよ」

「シュッシュッ」

「ああもうやめてください、みんな見てる」


 ハルバードをぐるんと振り回したと同時にキハが顔を両手で覆う。

 そんな気にするような人目でもないと思う。むしろ一生懸命努力し来るものに備える行為を嘲るほうがおかしいのだ。でもキハがあんまり嫌そうにするものだから、私もハルバードを持つ手を静める。

 私とキハは集合場所である学校屋上のヘリポートに向かっていた。五機のヘリに分かれ東西南北中央に移動し、そこからパトロールをするようだ。人生初のヘリパトに、テンションは最絶頂。なるべく顔に出さないようにしているが、口元の筋肉がどうにも制御しきれていない。口を開けば笑いだしそうだった。

 最上階につき、ペントハウスのドアを開けると、すでにヘリは到着していた。

 ローターの風切音がうるさい。体を震わせるように響いている。

 今日パトロールの予定の大半の生徒が到着していた。その固まりに私とキハも加わる。


「いよいよだ。これから君たちには最初の実戦訓練に向かってもらう。重々承知だとは思うが、同行している退桃士の言うことをよく聞くこと。勝手な行動は慎むように。それを冒せば命を落とすこともあるぞ」


 轟音に負けないほどの低い声で囁きだされた言葉に、生徒一同は返事をした。

 それに頷いてから、教官は「最後の確認を行う」と高らかに叫ぶ。


「ピンキーの主な活動時間は?」

「はい。夜です。人間の気が落ちこみやすい夜によく現れます」

「だから昼間にはなかなか現れない、だからと言って気は抜けないがね。よろしい、ガジ」


 答えようと思ったのに先に手を挙げられた。教官は即座に発言した彼を満足げに見つめている。悔しい。私だってわかったのに。


「次に、ピンキーに遭遇したときに我々のすることは?」

「はい」と、またもや私よりもほんの少しばかり先に手を挙げた彼が発言を許可された。「二つあります。まずはピンキーの出現要因でもある心の弱った人間の手当てをします。これ以上出現しない状態にしてから、ピンキーを駆除していきます」

「すばらしい、ガジ!」


 私だって答えられたのに。

 拍手を贈られる男子生徒を見遣る。

 このガジと呼ばれる同期の訓練生は、実戦訓練前能力測定試験において89点という私には取れなかった高得点で見事トップ合格を果たした、非常にいけ好かない男だった。

 試験だけじゃない。普段の座学も実技も、いつも私はこの男に負けていた。

 彼は常に主席をキープしているため、私はむくつけき次席というポジションに捕らわれてきた。彼の性格に難の一つもあったなら私もそれまでだっだろうが、こいつはなんと性格もいいのだ。なんてやつ。さっきはいけ好かないと言ったが、この男のことをそんなふうに言うのも私くらいのものだろう。これはこちらが一方的に敵視するしかない。

 ガジを睨む私の腕に、キハの肘がコツンと当たる。やめろと言いたいらしい。天性の負けず嫌いである私を、キハは「かっこいいけどたまにダサい」と言う。なんて相棒だ。

 私の視線に気づいたガジが色素の薄い髪と目を揺らしてこちらへ振り向く。教官に責められない程度の小さな動きで手を振ってくれた。くそ、いいやつだ。私は威嚇をしながら手を振り返した。


「では最後に。ピンキーの出現要因を見つけた場合の手当ての処方は?」

「はい!」


 怒鳴り気味に手を挙げた。これが最後とならば負けてられないので。

 終わりよければ全てよしの精神でそびえ立たせた高らかな挙手は、あまりの熱意に威圧された何人かが後ずさりをするほどだった。

 しかし、悲しきかな、私はちゃんと気づいていた。私が手を挙げるよりも数瞬先に、ガジが静かに返事をしていたのを。


「ええと、それでは……」


 私かガジか。どちらを選ぶか迷った教官が二方向に視線を振る。

 苦笑気味のガジが「サヨが答えていいよ」と手で促してくれた。確かにガジはさっきの二問に既に答えているし、それを考慮するなら私が答えるのが妥当だろう。

 だが、私はそれを許せなかった。これは少しも妥当ではない。もし私がガジなら、自分のほうが早かったのに何故迷われなければならないのか、と憤慨していたことだろう。彼のほうが早かったのなら彼が答えるべきなのだ。大体、その敵に塩を送られたような居心地に、私が耐えられるわけがない。

 私はむっつりと、答えるようガジに顎をしゃくった。


「……出現要因を見つけ次第、その心臓に魔法の注射くすりを打ちます」

「そのとおり。心臓の幸福彩度を回復させなければピンキーは次々と現れるからな。よくやったぞガジ。流石、我が校の誇る主席生徒だ!」


 教官の心底嬉しそうな声が癪に障る。涼しげな目を細めて「すまないな」とフォローを入れてくるガジも癪に障る。次はきっと私が先に答えてやるのだと心に誓った。


「では、各自パトロールに向かってもらう。点呼は各々のグループで取るように。引率の退桃士ピンカーは担当ヘリに誘導。では、健闘を祈る」


 一問も答えられなかった自分を未だに責めている私に、後ろのほうにいたバル教官はぶっきらぼうに「行くぞ」と囁いた。奥歯をギリリと噛みしめながら、キハと並んで後についていく。

 音がどんどん大きくなっているような気がした。ヘリに近づくにつれて、バル教官のコートが大きく波打つ。私たちが乗りこむヘリはペパーミントカラーの奇抜なボディーをしていた。機体の下部にはロケットランチャーがくっついていて、この一機単体でも攻撃可能らしい。すごくかっこいい。

 近づいてみるとかなり大きい。小さな兵団も抱えこめそうだ。ヘリの後部座席のガルウィングドアがスムーズに開く。順々に乗りこんでいったあと、バル教官は操縦士に合図を送った。


「私たちはどこへ向かうんですか?」


 ドアが閉まったのを見計らってバル教官に尋ねる。


「中央。首都アモロトだ。一時間周囲を旋回したあと士官学校アカデミーに戻る」

「一時間でいいんですか?」

「さっき確認したとおり、ピンキーは昼間には滅多に現れない。その程度でいい」

「へえ」

「だが覚悟はしておけよ」静かな口元をにやりと歪ませた。「俺が訓練生のときは、一発目のパトロールでピンキーが出現した。お前たちもかつての俺のように、戦うことになるかもしれないぞ」


 ドクンと胸が震えた。乗りこむときにキハを見たが、彼女は肩を竦め、怯えたような冷たい顔をしていた。私はその肩にぽんと手を置いて落ち着かせた。

 ヘリは私たちを乗せて上空を飛行する。あまり高く飛びすぎると証明光輪イルミナにぶつかってしまうのだが、操縦士のひとは上手く避けてくれていた。

 機体の窓から見下ろす町並みはいつもと違う。見たことのない光景はあまりにも新鮮だった。上から見れば、私たちの退桃士官学校の敷地はとても広いものだと知るし、高くそびえる時計台の大きさがありありと伝わってくる。

 窓の外ばかりを眺めていると、証明光輪イルミナに近づいたときに視界が眩りと白んだ。さっと窓から離れる。

 手持ち無沙汰になった私は「なかなか出ないね、ピンキー」と呟いた。


「出てほしいんですか?」

「出ないほうがいいとは思うよ。だからよかったね」


 納得したキハは「そうですね」と返す。平和な世界を脅かされないのはいいことだから、それは素直に喜べることだった。


「ピンキーなんて出るもんじゃないしな」バル教官もくつろいだ状態で言った。「みんなが幸せならあのピンクの怪物は現れたりしない。現れないことは幸せの証でもある。ここは幸福な世界なんだよ」


 上手いことを言うと思った。

 しかし、そんなタイミングで、機内のアナウンスが亀裂音を立てて響く。


『前方にピンキーらしき影を確認。数は五。繰り返す。前方にピンキーらしき影を確認』


 ビリリと緊張が走った。一気に体中の筋肉が引き締まる。

 私たちにも見やすいよう、機体が目標に平行になる。ゆっくりと視界が動いていく。私たちは窓の外から見下ろした。初めて見るかもしれない光景に肌が粟立った。遠目からでも目立つ。平穏な町並みに、ピンクの歪な塊が闊歩している――間違いなくピンキーだった。


「確認した。ただちに現場に向かう。パトロール中の四機に応援の連絡を頼む。時計台の鐘撞きには避難勧告のアナウンスを要求してくれ」

『了解』


 バル教官は操縦士とのコンタクトを終えると、私たちに向き直った。


「まさか本当に戦うことになるとはな?」


 憐れむような、問いかけるような笑みを、私たちにまっすぐと向けてくる。

 でも、私には憐れみも問いかけも無用だ。むしろこれはチャンスと考える。自分の眼の熱さに肩が震えた。ハルバードの柄を握り絞めて「バル教官、」と囁く。


「行きましょう」

「ああ」


 ヘリのドアが大きく開けて、強い風が髪を乱す。

 時計台のてっぺんからは脳神経を震わせるような警鐘。空気を割るように轟くその音の響きは照明光輪イルミナが痺れそうなほどに大きい。

 聞きつけた一般人は、すぐに身近な建物や家に引きこもっていく。ビルの各階に設けられた非常防桃室か地下シェルターに逃げるのが緊急避難行動だ。

 町に人影が見えなくなったところで、バル教官は一歩踏み出す。


「えっと」キハは暴れる髪を押さえながら呟いた。「あの……パラシュートは?」


 バル教官は呆れた顔をしていた。あまり表情を崩さないこのどこかシニカルな教官にこれほど味のある顔を出させるなんて、キハは相当やるかもしれない。


「空気抵抗を受けると地上への到着時間が遅れるぞ」

「でも」

「わざわざピンキーを野放しにしておく義理はない」


 そう言い残して、バル教官はヘリから飛び降りた。どんどん下降して、やがては点になっていく姿を見下ろしながら、私はキハに言う。


「ないってさ」

「……もう知ってます」


 私もバル教官の後に続くため、飛び降りる。

 ビリビリと薄っぺらい紙を何枚も破いていくように、私の体は急速に落ちていく。

 携えていたハルバードの斧頭の内側に両足をかけ、柄の引き金を連続で引いた。内臓銃の反動で徐々に失速していく。ちょうどいい速度になったときに斧頭から足を離して、背面に穂先の銃が来るようにハルバードを構えなおした。そのまま発砲して、前方へと飛行していく。

 目標を発見。

 いかにも平穏そうな住宅地、花壇や大きなY字の公道の合間に息づく一軒家の群れ群れに、野蛮なピンクのシルエットを見つける。私の周りを物凄いスピードで流れていく背景の消極点、その大きな図体に、私はハルバードを振り下ろした。

 見事に脳天をかち割ることに成功。

 ずんずんと地面にへたりこんでいくピンキーから跳躍し、民家の花壇の縁に立つ。

 見回した分でもざっと十匹。そのほとんどが三メートルもなく、ピンキーとしては小粒だ。形状は蹄を持つ毛深いネズミ。二足歩行。スピードはさほどない。硬い手足と前歯に気をつければ難なく倒せる相手だと推測する。

 ハルバードを構えなおしたところで、ピンキーの群れが大きく噴火した。

 ピンキーの、甲高い赤ん坊の癇癪みたいな鳴き声が、いくつも千切れて遠くなっていく。

 まるで爆発だ。

 圧倒されてぶっ飛ばされたピンキーの中から見慣れた男の姿が見える。バル教官だ。強面のダガーの双刀剣を握りしめている。籠手についたピンキーの目玉を薙ぎ払って、私へと叫んだ。


「お前は出現要因の捜索と救護にあたれ」


 私はその発言に少しだけムッとなった。子供だからって危ない仕事をさせないようにしているのだ。私の力量を見たいと言ったのはバル教官なのにそれはない。第一、いくら教官が強いとはいえ、この数のピンキーを一人で相手どるのは流石に無理があると思う。


「いえ。バル教官のサポートにあたります」

「だめだ」

「なんで」

「誰かがやらないといつまでもピンキーは増え続けるぞ」私が反論できなくなったのをいいことに続ける。「俺が道を切り開く。目標を発見したら処置をしろ。いいな」

「……了解」


 バル教官が先陣を切り、私はそれに続いていく。

 ピンキーは悲しみなどの負の感情に引き寄せられて出現する。つまり、負の感情を出している人間のいるところに集中することが多い。ピンキーがより集っている場所の中心に出現要因はいるのだ。


「あそこだな」


 蔦と煉瓦の壁面が可愛らしい一軒家を見つける。そこでは屋根によじ登るピンキーや壁を壊そうとしているピンキーなんかがいた。ピンキーの群れの中心というだけあってとてつもなく不気味だった。どこもかしこもファンシーな化け物だらけ。私たちを見つけた途端、しゃなりしゃなりと歩み寄ってくるその姿に、私は息を呑んだ。


「ここは俺に任せろ。お前は家の中の出現要因を」

「はい!」


 私が走りだすと、バル教官は援護射撃をしてくれた。弾からこぼれたピンキーはハルバードの穂先で突き殺す。倒したピンキーは花びらのように散って消えていった。蹴散らしながら進んでいくと、目標の家はすぐそこだ。


「ひぃいいいいあああ!」


 上からそんな悲鳴が降ってきた。そしてその瞬間、隣にあった街路樹の太い枝にハンマーを引っかけて一回転、勢いを殺してから地面に着地する、数分ぶりのパートナーの姿を私は見た。


「遅いよ、キハ」

「死ぬかと思いました……」

「死んでない。ほら行くよ。ここが出現要因の家だ」


 ウォーハンマー片手に前髪を整えているキハの背中を叩く。背後で戦ってくれているバル教官を一瞥してから、私たちは家の敷地内に踏みこんでいった。

 まずは玄関。駄目元でバーを押してみると、なんと鍵はかかっていなかった。これはラッキーだ。私はキハと顔を見合わせたあと、その扉を開ける。

 もしかしたらもうピンキーが中に入っているかもしれないので、念のためハルバードを前方に翳した。触れた感触も足音もない。クリア。私たちはそのまま家の中に入っていった。

 まだ昼だというのに家の中はどこか暗い。電気が点いていないせいだろうか。温かみのあるフローリングの廊下も、靴棚の上の水槽で泡を吐きながら生息するメダカも、なにもかもが不穏だった。他人の家ということを省いてもよそよそしい。まるでなにかに捨てられたみたいだった。

 順ぐりに部屋を回っていく。ドアに一番近い部屋、その次の部屋、手洗い場、風呂場、トイレ。次はリビングと来たところで、リビングの閉じたドアの向こうに人影を確認。ついでに言うと嗚咽さえも聞こえる。

 おそらく、出現要因だ。

 私たちは急いでリビングのドアを開けた。その音にびっくりして、中に一人ぼっちでいた少女が私たちのほうに振り向く。その顔は涙と鼻水で汚れていた。擦って赤くなった目元が痛々しい。

 リビングを見回してもこの少女しかいないことを見ると、やはり彼女が出現要因で間違いなのだろう。私たちは駆け寄ってその子のところにしゃがみこんだ。


「怪我はない?」


 息苦しそうに泣いている少女からの返事はない。つい最近十つになったばかりほどの華奢な体をびくびくと震わせていた。

 キハは棚や押入れを物色して、備えているであろう魔法の注射くすりを探している。


「ここには他にひとはいないの? お母さんやお父さんは?」

「い……っ、いっ、いなく、なっちゃったの」


 水浸しになった声で少女は言った。私が「いなくなった?」と聞くと、頼りなさげにこくんと頷く。


「どっか、言っちゃった、置いてけぼりで……おっ、お前なんかいらないって……! お母さんも、お父さんも……出て行っちゃった……!」


 この言葉どおりでいくと、目の前の少女は両親に捨てられたということになる。私よりも幼い、こんないとけない少女が捨てられたのか。それでこうして泣いているのか。彼女の表情は悲哀に溢れていて、見るも無残だった。

 私は少女の背中をとんとんと撫でる。

 少しでも少女が落ちつけばいいと思った。


「……泣きやんで。自分を捨てたひとたちのことなんて、忘れちゃおうよ」

「でも……でも、でも」

「少なくとも、今君が不幸でいる必要はないよ」


 なるべく穏やかな表情でにこりと微笑む。

 きっと今、この少女に最も必要なのは、だ。

 少し遠くのところからキハの「ありました」という声が聞こえる。とたたたっと床を走る音。私の隣にしゃがみこんだキハの手には、花のマークが刻まれた注射器。その中にはたっぷりと薬液が入っていた。


「つらかったよね……でも、もう大丈夫だよ」


 キハは少女の服を肌蹴させる。ぼこりと浮かぶ、すっかり淀んだ色を浮かべるその心臓ハートに、とすりと針を打つ。その心臓に薬液が流れこむと、みるみるうちに元の鮮やかな色を取り戻していった。

 細い針に顔を歪ませる少女の頭を撫でて、私は言う。


「悲しいことは乗り越えて、忘れて、君も幸せになろうよ」


 少女の目から最後の涙がこぼれ落ちた。頬を伝って、床の上で弾けて、それから彼女は弱々しい声で「うん……っ」と頷く。

 キハは懸命に涙を拭う少女の頭を撫でた。肌蹴させていた服を整えて、私は立ち上がる。

 外のほうはどうなっているんだろう。バル教官は無事だろうか。いくら私の師匠を務めあげたバル教官でも、あの数のピンキーを一度に相手どるなんて本当にできるのだろうか。

 私に出現要因の救護をするようには言ったが、そのあとのことには触れていない。

 待機しろとは、一言も言われていない。


「応援に向かうよ。キハ」


 私がハルバードを肩に担ぐとキハは「えっ」と小さく悲鳴をあげた。


「ほ、本気で言ってるんですか? サヨ」

「うん」

「でも、この子が」

「その子はもう大丈夫でしょう? それよりも、一人で戦うなんて、バル教官が危険」


 退桃士官学校ピンキング・アカデミーでは、パートナー制——常に二人で戦うことを教育している。だから入学してから戦闘を共にするパートナーを決めるし、そのパートナーと寝食などの行動を分かち合う。たとえば私とキハなんかがそうだ。ピンキー討伐においても二人一組で行うのが原則である。それなのに一人で戦わせるなど言語道断だ。

 玄関から少女の家を出る。

 あたりにはピンクの死骸が溶けたり散ったり砕けたりしていた。

 もうかなりの数を倒したらしい。流石はバル教官だ。

 そう感嘆していると、街路樹のそばになにかが飛来してくる。反射で仰け反った。木を滑り降りて着地してきたのはバル教官だった。双刀剣のダガーを見てみると、大変だ、片方の刃が欠けていた。

 バル教官は私を見て目を細める。


「お前は救護をしてろと言ったはずだが」

「終わりました。援護します」

「じきに応援が来る。いらない」

「大して戦えもしないのになに言ってんですか」


 バル教官に蹴り飛ばされた。三メートルほど先まで吹っ飛んだ私は無様に尻餅をつく。

 なにをするのだと抗議しようと思ったが、自分が蹴られた瞬間にとてつもない破壊音が聞こえたのを思い出した。振り返って元いた場所を見ていると、そこには大きなピンクの腕がめりこんでいる。ぞっとした。ひび割れたアスファルトから巻き上がる粉塵から逃れるために私は片腕で口と鼻を庇う。


「見てくれよりもよっぽど体が硬い。おかげでこのザマだ」


 バル教官は使い物にならなくなったダガーをくるくると回す。

 私たちに暗がる大きな影の主は、あろうことか十メートルほどの大きさをしていた。猫のぬいぐるみのような愛らしい姿。大きなボタンみたいな瞳に水玉模様のお腹は見るからにおちゃめでそれ故に気持ち悪かった。手足は硬質な鱗で覆われていてとにかく長い。胴体にはバル教官がつけたと見られる無数の切り傷。けれど、どれも致命傷としては程遠く、この最後のピンキーを倒す攻撃にはならないようだった。


「ならなおさら、教官一人じゃ倒せないでしょう」

「お前にそう心配されるほど俺も終わっちゃいないさ」


 そう言って、一人でピンキーに向かっていった。

 バル教官の武器である双刀剣はガントレット形状のショートソード。火器を搭載しているため、中距離での射撃も行える。起爆させて斬撃の威力を向上させることができ、その分見た目よりも攻撃力は高い。

 バル教官は銃砲の反動を利用して大きく跳躍し、振りかざされる獣腕を何重にも逃れた。そして、まだ生きているほうの刃で目玉に突き刺し、大きな額にぶら下がった。

 眼窩からおぞましい液体を血のように流すピンキーが、ぶるぶると首を振った。振り落されないように踏ん張りながら、片腕の刃のないダガーを振りかぶる。そのまま何度もぶん殴るように連続射撃をくりだした。

 弾丸がリロードされる金属音が小刻みに鳴り響く。籠手から薬莢を排出する隙のできやすいタイミングで、私は援護するようにハルバードで斬りこんだ。

 でも、バル教官の言っていたとおり、硬い。とてもじゃないが斬撃で倒せる相手ではない。ピンキーのくせに生意気だ。もし大きく脳天をかち割ろうとしても、この図体と硬度ならあまり意味はないのかもしれない。火器での攻撃だって威力は限られてくる。

 ピンキーが一際強く体をしならせてバル教官を振り切った。

 バル教官は吹っ飛ばされるも、私の隣に難なく着地する。


「ほら? 一人じゃ倒せないでしょう」

「ほざくな。お前と二人がかりでもこいつは倒せない」


 私の茶化すような言葉にバル教官はそう返した。遺憾ながらその通りである。今回のピンキー、どう考えても私との相性は最悪である。傷をつけることはできてもそれだけだ。だがよくよく考えてみると、そういう状況はつい最近もあった。


「だったら、ぶちこんでやりましょうよ」


 私は少女の入る家の玄関のドアを開けた。

 ドアに隠れて私たちの様子を伺っていたキハが、ころんと姿を見せる。

 自分がいることがバレたキハは変な声を出しながらあたふたとしだした。私は彼女にずいっと顔を近づけて言う。


「無念」

「……は? ど、どうしたんですか? サヨ」

「今回のトリも、キハにあげる」


 私はそう言うと、体をすいっとずらして背後にいるピンキーの姿を見せる。彼女の丸い目がそいつの影を映したとき、顔色は一気に蒼白へと変貌する。怯えを前面に押しだした表情はとんでもなく頼りなかった。


「無理です、無理……!」


 ほら。やっぱり頼りない。

 でも私は、今回の相手以上にこのパートナーの実力が引きだされる相手などいないことを、知っている。キハの武器はこういうときにはもってこいだ。


「陽動はする。キハは隙を見てとどめを刺すの」

「でも、だって、こんなに大きい相手」

「試験のときとおんなじだよ」私は臆病腰になって低くなっていた彼女の手を取った。「私と一緒にやったでしょ? 大丈夫」


 キハは唇を噛みしめて、両手でウォーハンマーをぎゅっと握った。

 私もハルバードを構えなおす。


「キハ。そのハンマーの銃の反動を利用しよう。威力は格段に上がる。あんたの一番の力をあれにぶちこむ勢いで、そのまま」


 ぶっ叩け。

 ぶるりを肩を震わせてから頷いたキハを見送り、私とバル教官は物陰に身を潜ませる。目標はたった一体だ。三人がかりでならきっと倒せるだろう。


「いっせいに飛びかかるぞ」


 目配せをしたあと、カウントダウン開始。

 囁くような呼吸が頭を流れる数字と入り混じる。小声のカウントを耳に流しこみながら鋭気を集わせた。徐々に刻まれる数字は減っていく。そのたびに研ぎ澄まされていくような感覚がした。


「かかれ!」


 駆けだした私とバル教官は、ピンキーの暴れる腕を伝って攻撃する。

 愛嬌のある鳴き声が聞こえたかと思うと、愛嬌とは程遠い鮮烈な頭突きが降りかかってきた。間一髪で避けるが、バランスを崩して落下。結構な高さから地面に倒れる。

 かなり呼吸が苦しい。涙出そう。でも、ぼんやりはしてられない。私を踏みつぶそうとするピンクの足を、寝転びながら避ける。起き上がったと同時に、ハルバードの穂先から射撃した。


「動きを止めてやれ!」


 教官の指示に従い、私はピンキーの足元に回りこむ。危うく蹴り飛ばされそうになったが裏側に行けばどうとでもなる。足にも広がる光沢のある鱗を踏み、そのままハルバードを突きたてることで地面に釘刺す。バル教官もダガーを突きたてていた。


「キハ!」


 建物の屋上に立つキハが、宣誓するようにハンマーの槌部をピンキーに向けていた。

 表情はまだ青くて、汗ばんでいて、緊張が伝わってくる。それでも、彼女の目には強い光が走っていた。彼女の覚悟はいつも遅咲きだ。でも、その分の働きは大きい。

 やるときはやる。私の最高の相棒で友達だ。

 キハはフェンスを足場にしてから、ピンキーの頭上へと跳ぶ。空中で一度大きく発砲。さらに体を回転させることによって遠心力をかける。

 キハの振りかざしたウォーハンマーが、凄まじい勢いでピンキーの頭をぶん殴った。

 ピンキーの顔は押し潰されるように変形し、次の瞬間、まるでマジックのように弾け飛ぶ。じきに胴体も霧散して消えていった。硝子がダストとなって宙に吹き上げられるように、ピンキーの死骸も粉々に舞い上がる。吹雪が湧いて広がっていく中で、着地したキハはゆらりと立ち上がった。

 キハはウォールハンマーをからりと落とす。


「…………やった」


 間抜けな声をぽつりと漏らした。そんなキハに私は笑いかける。


「うん。やった。よくやった」


 キハは涙を浮かべながら両手を上げて私に駆け寄ってきた。あまりの嬉しさに興奮しているのだろう。かく言う私も興奮している。ドクンドクンと、胸の奥の心臓ハートが高鳴って止まらない。

 私たちは本当によくやったと思う。ハイタッチかと思って私も手を上げたのだが——どうやら彼女が求めていたのはハグだったらしい——私の手がキハの顔に当たり、彼女を拒むような体勢になってしまった。こんなこと前にもあったような。

 遥か上空でヘリコプターの飛行音が聞こえる。ようやく到着した応援も、もう必要ない。

 バル教官のほうに視線を遣る。さっきとは打って変わって暢気に煙草を吸っていた。私の視線に気づいたのか、こちらを一瞥する。活躍と称賛の意をこめてガッツポーズを送った。いとも華麗に無視された。こんなことも前にもあったような。

 ゆるゆると拳を下ろしていると、教官は呆れたように宙を仰いだ。それから面倒くさそうな顔をして、私に言う。


「しかと見てたぞ。流石、俺の生徒だ」


 これは今までになかった!

 さらに急上昇した私の熱は気分を浮つかせる。いてもたってもいられない。

 ふとあたりを見回した。ピンキーの残骸や戦闘痕を見て、改めて私たちはすごいことをしたんじゃないかと思った。キハと顔を見合わせようとすると、その視界の端に小さな影を捉えた。


「……すごい」


 それはさっきまで家の中にいた少女だった。

涙の跡は乾き、光を浴びてキラキラしていた。キラキラさせているのはそれだけじゃない。あどけない表情で私たちを見上げている。


「すごい、お姉ちゃんたちすごい」


 小さな子供にそんな憧れの目を向けられて悪い気はしない。悪い気はしないどころか、最高だ。もっと褒めてとさえ言いたかった。どうだ。すごいだろう。私も自分が誇らしい。私たちがやったのは、みんなの幸福を守る仕事なのだ。

 少女に向かってにっと笑って見せる。


「私たちは愛と正義の戦士だからね」


 ふざけたことをぬかすな、とバル教官に野次を飛ばされた。

 解せなかった。

 応援に駆けつけた退桃士ピンカーや同じくパトロールをしていたグループがこちらへと向かってくる。すっかり討伐を終えて一件落着した現場に目を見開いていた。その目のなかにはガジのものもあったので、そりゃあ鼻だってパンのように膨らむ。現役の退桃士ピンカーも私たちを褒め称え、拍手を贈ってくれた。

 この世界は夢の世界とは違い、ピンキーによって苛まれることもある。

 それでも——これほど幸福に満ちている。

 後の処理を任せて私たちは士官学校アカデミーに帰還した。すごく驚いた。まるでヒーローにでもなったかのように、一斉に駆け寄られたのだ。すでに連絡を受けていた士官学校アカデミーは、帰ってくるなり私とキハを表彰した。準備が早すぎてびっくりである。

 バル教官が学生のころもこんなだったようで、教官は慣れたような顔をしていた。危ないことだと心配されもしたが、同期の仲間も他の教官も、みんな揃って私たちを褒めてくれた。みんなに小突かれすぎて体中に痣ができたほどだった。だから、みんなは本当に賛美するつもりがあるのだろうか。


「これは素晴らしいことだぞ」


 口々に囁かれ、報告書にも記載された内容に、私とキハは誇らしげに微笑む。

 ピンキー出現数は二十七体。被害はありません。

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