April Story5

 蒼太はドアの前で大きく深呼吸した。

 正方形のガラスには青色の画用紙が張られていて、中の様子を見ることはできない。

 この場所に着いてからどれくらい時間が経っただろう。蒼太は新しい教室の、後ろ側のドアを前に立ち尽くしていた。

 心臓が嫌にドキドキして、何度も手を伸ばそうとしては同じ数だけ下ろしてしまう。

 きっとクラスメイトはもう既に登校しているのだろう───そう思うと、顔を合わせるのが怖くて中に入る決心が付かなかった。

 遠くから、はしゃぐような声がして、蒼太はそちらに顔を向けた。玄関の方だ。

 その声を合図にして、蒼太は中に入ることにした。

 このままいつまでもこうしているわけにはいかない。こうしている間に浜田がやって来て、「初めて会う明るい女の子とうまくやれる気がしなくて……」などと話すわけにもいかない。

 そっと、ゆっくりと蒼太はドアを開けた。

 なるべく音を立てないようにしていたのに、真正面の位置にある窓の前に立っていた、青い髪をした少女と思いきり目が合った。

 蒼太はドキリとして少女を見つめた。思わず、背を向けて逃げ出したくなった。

「あっ!こんにちは!」

 少女が満面の笑顔でこちらに向かってきた。

「あー、今はおはよう、か。あっ、いや、とりあえず、はじめましてだね、はじめまして!」

 その早口で元気な声は蒼太に答える間を与えなかった。

「今日から転入の蒼太くん、だよね?」

 突然名前を呼ばれて驚いた蒼太に、少女はきょとんとした顔を見せた。

「ん?あれ、違った?」

「あ……、ええと……ちが……わない」

 蒼太は首を横に振った。

 少女と違い、その声はか細く、緊張が隠しきれていなかったが、少女は気にする様子もなく「あっ、ごめんね」と、答えた。

「浜田先生から聞いてたの。それにいっきに喋りすぎちゃった。あたし、中野(なかの)葵(あおい)、このクラスなんだー」

 葵は髪と同じ青色の瞳で蒼太を見つめ、にこっと屈託のない笑みを見せ、

「よろしくね!」

と、右手を差し出してきた。

(え……?)

 蒼太は戸惑いながら、おそるおそる、右手でその手を握った。

 葵の手は、優しい力で蒼太の手を握り返した。

「蒼太くんの席、その右ので、荷物は横に掛けることになってるの」

 葵は黒板に向かって置かれた二つの机のうちの一つを指さした。

 蒼太は緊張したまま頷き、机に向かった。

(先生が言ってた通り、明るい子なんだな……)

 蒼太は鞄を下ろして机の右のフックに掛けた。

(……今のところは、ぼくが転校初日で緊張してるだけって思われてそう……)

 椅子を引き、音を立てないように席に着く。

(普段からぼくがこんな感じって分かったら、嫌な思いさせちゃうな……)

 手を机の上で組み、隣に座った葵の姿をチラリとみる。

 青い髪を毛先が肩に着くあたりで2つに結んでいる。パーカーにショートパンツという、見るからに活発そうな服装をしている。

 自分とは住む世界が違う子だ───そう思った。

───ただ、共通点は今のところ1つだけ見つかっている。

(何の能力持ってるんだろう……?)

 蒼太はそっと目を逸らしながら考えた。それが気になってしまうのは能力者故だろうか。

「ねえねえ」

 葵が話しかけてきた。

 蒼太は逸らしたばかりの視線を戻す。

「蒼太くんって、どこの町に住んでたの?」

 そう聞かれて思い出すのは名前を聞くだけでも嫌になる、あの町だった。

 しかし、答えないわけにはいかない。

 葵が自分を見つめて答を待っている。

「……えっと……、黒霧(くろきり)市(し)っていうところ……」

「あ~!聞いたことある!ここから結構遠いよね?じゃあ、なんでこの町に来ることになったの?」

「……お父さんの転勤で……、前にこの町に暮らしてたから、その時に住んでた家に戻ってきたの……」

「あっ、そうなんだ!その家って、どの辺にあるの?」

 葵が首を傾げる。

 狭い町だ。ある程度の場所を説明すれば分かってくれるだろう。そう思い、蒼太は脳内で家の近辺を思い描き、家のすぐ近くにある石段を上った先にあるらしい、神社の名前を思い出した。

「え、と……、姫(ひめ)森(もり)神社っていう神社の近く……」

 そう答えると葵は「え!?」と声を上げ、目を丸くした。

「その神社、あたしのおじいちゃんがやってるところ!」

 全く予想していなかった答えに蒼太は「えっ……!?」と、焦りを感じた。

(これって……もしかして、一緒に帰ろうっていう流れ……?)

 今日は父が迎えに来てくれることになっていたが、今日がだめなら今度、となりそうな予感がした。

(でも、ぼくと帰ったって楽しくない……)

 しかし、蒼太の考えに反して、

「そっか~!家近いんだ!嬉しいなー」

 葵は本当に嬉しそうに、そう言った。その顔には屈託のない笑顔があった。

(あれ……?)

 その後、葵は「教科書、出し忘れてたー」と鞄の中を探り出した。

(一緒に帰ろうって言われなかった……)

 もしかしたら、後で言われるのかもしれない、と思いつつも、蒼太は出会ったばかりのこの少女に、既に「他の子と違う」という印象を持ち始めていた。


※                                          


 今日の授業ははどの教科も4年生の復習で、蒼太はこの学校で迎える初めての授業についていくことができた。

 葵は授業に積極的で、浜田が投げかける質問全てに反応し、浜田が何か冗談を言うと、その度に蒼太に向かって笑いかけてきた。

 蒼太は緊張から、浜田の言葉を素直に面白いと感じられず、曖昧な反応を返すことしかできなかった。

 それでも葵は休み時間も、給食中にも、蒼太に話しかけてくれた。蒼太はそれに対し、頷くか、返事も短いものしかできなかった。

 蒼太は申し訳なかった。

 笑いかけられた後、“この子関わりにくい”と思われているのだろうと疑った。

 頷きしか返せなかった度、次はもう、話しかけてこないだろうと悲しくなった。

 優しくしてくれるのは今日だけだと自分に言い聞かせた。明日になれば、呆れられて無視される。

 何度も何度も、繰り返しそう思って、葵の様子を伺った。

 葵はその度に蒼太の考えを裏返した。

 6時間目が終わる頃、蒼太は葵に申し訳なくなった。

 この子は本当に良い子なのだと、その時になって気が付いた。こんな自分と、仲良なりたいと本気で思ってくれているのだと、信じられるようになった。それなのに、今まで探るように見つめていた自分が、惨めで憎らしくて仕方がなくなった。

「蒼太くん、帰り歩き?」

 葵からその質問をされたのは放課後になった時のことだった。

 鞄を持ち上げようとしていた蒼太は「あっ……」と答え

「今日、お父さん迎えに来てくれることになってて……」

「あっ、そっか!なら、玄関まで一緒に行こ?」

 葵の誘いに蒼太は、

(ほんとに良い子だな……、この子)

 と、思いながら小さく頷いた。

 教室を出て、葵と肩を並べて歩く。

 葵の横顔を、気付かれないように見つめ、朝とは全く違う考えをしている自分に気が付く。

(今日は、一緒に帰ろうってことにはならなかったけど……ぼくもこの子となら……)

「あっ!あおちゃん!」

 声がして、顔を向けると、階段の近くに女の子が立っていた。顔は葵の方を向いている。

「京花!久しぶり!」

 葵は女の子の前で立ち止まった。

 蒼太は女の子を見たまま、足を止めた。

「元気?」

 女の子は蒼太とほぼ変わらないくらいの身長で、葵と並ぶと少し小さい。黒いショートヘアでピンク色のカチューシャを付けている。

「うん!元気!」

 葵が明るく頷く。

 女の子は「よかった」と笑って、ふと、葵の後ろに立つ蒼太に目を向けた。

 蒼太は身体が強張るのを感じ、合った視線を不自然に逸らしてしまった。

「あおちゃん、これから帰るの?」

 蒼太は自分に向かう視線が動くのを感じた。

「うん!そうだよ」

 葵の無邪気な声がする。蒼太が、まだ聞いたことのない声だった。

「そっか。今度、一緒に帰れる時あったら一緒に帰ろ?」

「うん!」

 2人は「ばいばい」と手を振り合うところを、蒼太は見つめることができなかった。

「あっ、ごめんね。行こ」

 葵が蒼太を振り返る。

 蒼太は下を向いたまま、頷いた。

 通り過ぎる時、女の子からの視線を感じた。その間、蒼太は決して顔を上げようとはしなかった。

 教室を出た時に感じていた期待が、しゅんとしおれた気がした。

(なんで……?この子に友達いない方がおかしいのに……)

 こんなにも明るくて優しい子には友達たくさんいるんだろうな、と今日の間に何度も思ったことだというのに、蒼太は矛盾していることを考えている今の自分に戸惑った。


「お父さん、いそう?」

 玄関から外に出たところで葵が訊いてきた。

 蒼太は駐車場の方を見て、首を横に振った。

「……いや……、まだ、みたい……」

「じゃあ、蒼太くんのお父さん来るまであたしもここにいよ」

 葵は何気なくそう言って、ドアから少し離れたところに立った蒼太の隣に並ぶ。

「あ……」

「ありがとう」と言おうとした瞬間、「靴ひも解けてたー」と葵がその場にしゃがんだ。

(……言うタイミング……、逃しちゃった……)

 出かけた言葉を蒼太はのみこんでしまう。

 後ろから賑やかな声がして、蒼太は半身を振り返らせた。

 ガラス越しに、数人の男の子が何をそんなに急いでいるのかという様子で靴を脱ぎ履きしているのが見えた。

 3年生か、4年生だろうかと蒼太は思い、彼らがドアに向かって走って来るのを見て、即座に前を向いた。

 何やら楽しそうに笑いあいながら、男子5人組は校門に向かって歩き出していく。

 その内の1人、一番右側───蒼太に近い方にいる丸坊主の男の子が何の前触れもなく後ろを振り返った。

 そして蒼太と葵の姿を捉えると、じっと観察するような目をした。

 しばらくその目を保ちながら歩いていたが、仲間に何かを話しかけられ、何事も無かったかのように「あはは」と笑った。

 蒼太は息が詰まるような時間から解放され、思わず、音が響くくらいの大きさで息を吐きだした。

 隣の葵はどうだろうと見てみると、葵の視線は他の場所にあった。

 まるで浮かぶ雲の数を数えているかのように、葵は目をしきりに動かして空を見つめていた。

 何か考え事でもしているのだろうか───蒼太はそう思い、再び息を吐いた。葵が自分と同じか、それ以上に傷付かなくて良かったと安堵した。

 直後、車のエンジン音が聞こえ、見慣れた車が駐車場へと入ってきた。

「あ……、来たみたい……」

 蒼太は声を上げる。

「ほんと?」

 葵はすっと蒼太を向いた。

 そして蒼太の視線を追うと、

「じゃあ、あたし行くね」

 と、笑顔を見せた。

 葵が歩き出した時、蒼太は「あっ、あの……」と呼びかけた。

 葵が振り返る。

「ありがとう……。一緒に待っててくれて……」

 そう言うと、葵は、「うん!」と笑顔を見せ、

「こちらこそ!今日楽しかった!また明日ね!」

「バイバイ!」と手を振り、校門までの道を駆けるように進んでいった。

 その背を見つめながら蒼太は「あれ……?」と心の中で呟く。

(明日って……、土曜日……?)

 気付いた時には葵はもう、蒼太の声が届かないところにいた。

 だが、蒼太は元気よく走っていく後ろ姿を見て、月曜日、また葵に会えると思うと、胸が高鳴るのを感じた。


「どうだった?」

 車に乗り込むと父が尋ねてきた。

「前の学校と、全然違った」

 蒼太が素直にそう言いと父は笑い、

「そうだろうな。クラスは?」

「あっ……、すごい、良い子だったよ。さっきも、お父さん来るまで一緒に待ってくれて……」

「そうか、そうか。それなら安心だな」

「うん……。お父さんの方はどうだった?」

 父は今日、転勤先に挨拶しに行くと言っていた。

「ああ、前に比べたら社員さんも少ないけど、その分、やりやすそうだったよ」

「そっか……、明日から仕事だっけ?」

 父は出版会社に勤めていて、その実績と実力は確かなものらしい。

 らしい、というのは、父の同僚から仕事の相談の電話が掛かって来るのを繰り返し見たことがあったからだ。

「いや、明日は休みで、明後日からだな。明後日、昼は用意しておくから、それ食べてくれな」

「うん……、わかった」

 発進した車の中で蒼太は明後日また海に行ってみようか、と思いついた。

 昼から出かけて、父が帰って来る頃まで帰って来られればいいだろう。


 駐車場を出た車は右折のため、校門のところで停まった。

 前を行き交う車を目で追った蒼太は、左側の道を見て、「あっ」と小さく声をあげた。

(葵ちゃん……?)

 だいぶ、離れたところではあるが、青い髪をゆらゆらと揺らしながら歩く後姿が見えた。

(どこか行くのかな……?家の方向と反対だけど……)

 車がまた走り出して、葵の姿が見えなくなる。

 蒼太は葵が蒼太を一緒に帰ろうと誘わなかった理由が見えた気がした。


 ※                      


 その頃、逢瀬(おうせ)高校では、中野 優(ゆ)樹(き)菜(な)が屋上の扉を開けていた。

 優希は風になびく長い、桃色の髪を手で押さえながら、扉の裏へと回った。

「……やっぱり、いた」

 溜息を吐くと、そこに立っていた幼馴染が優樹菜の方を見た、が、その視線はすぐに逸れた。

「1日中授業出ないで何やってんの?来てるんだったら、教室にはいなよ」

 そう言って注意するも、返事はない。

「……って言っても、もう下校時間なんだけど、いつまでいるつもり?」

 そう問うと、赤色をした目と目が合った。

「行けよ」

 ようやく口を開いたと思えば……、と呆れて優樹菜はその目に「あのね……」と返す。

「何の為に来たと思ってんの?矢橋(やはし)くんが降りるまで、私もここにいるよ」

 そう言うと、気怠そうな息を吐く音が返って来る。

 そうしたいのはこっちの方だし、実際、今日何度もした。

 屋上に上がってくるまでも、扉を開ける前も。

 そう言い返したところで意味はないことは分かっていたため、優樹菜は黙っていた。

 無言で自分の前を通り過ぎる彼を見ながら、優樹菜は「もう……」とつぶやく。

「自分勝手なんだから」という続きは心の中で言って、その後を追った。

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