April Story6
(えっと……、この道で合ってるんだよね……?)
日曜日の午後1時。蒼太はスマートフォンの画面を見つめながら歩いていた。
地図の機能を開いて、家から海までの道を案内して貰っているのだが、蒼太は表示された道を自分が正しく辿れているか不安になった。蒼太は地図を見るのが苦手で、そもそもGPSが出してくれたこの経路で本当に目的地に着くのか、信用できずにいた。しかし、まだ海まで行く道を覚えきれていないし、他に地図を持っていないのだから、GPSの力に頼るしかない。
蒼太は顔を上げると、真横には緑ヶ丘小学校があった。
海に行く道には、学校に行く道も含まれていたのだった。蒼太はそこで、自分がまだ学校に行く道も曖昧だったことに気付いた。
(この前、お父さんに連れて行ってもらった時は、車ですぐだったから……、もうすぐかな?)
蒼太は真っすぐ道を進んだ。地図上にそう示されているように。
10分程歩くと、見覚えのある道路に出た。
ザーッという波の音が微かに聞こえ、蒼太は無事に着いたことにほっとし、携帯電話をポケットにしまった。
ずっと先の方に、あの時と同じ、立ち入り禁止の赤いコーンが見える。
石段を3段目まで降りたところで、その場に座った。
今日は前回と違い、曇っていて、海がどんよりとした藍色に見える。
蒼太は膝の上に顎を乗せ、海を見つめた。
(夏になったら、海水浴で混むのかな……?)
そうなったら、自分は逆に来なくなるだろう───そう、考えてしまう。
(その頃には、絵もできてるか……)
そう思うも、何故か、絵を描く気持ちは湧かなかった。
ただ、こうして海を見つめて、波の音に耳を澄ましていたい。そうすると、時間がいつもよりゆっくり過ぎていくような気がする。それが、何だか心地良く、しばらくそうしていることにした。
不意に、後ろに人の気配を感じて蒼太は振り返った。
頭上の道を通り過ぎる人の姿が見えた。
蒼太よりずっと背の高い、黒髪で、高校生くらいの───。
蒼太は目を見開き、立ち上がった。
見えたのは、ほんの一瞬だった。だが、蒼太は“あの人”かもしれないと思えてならなかった。
石段を上がり、もう一度、その姿を見ようとした。
少年の後姿はもうだいぶ離れたところにある。
そうして、立ち入り禁止のコーンを通り過ぎて行った。
蒼太は既に、その行動を怪しむ暇さえなくしていた。
(あの人……)
蒼太は息を吸い込む。
(兄ちゃん……、なのかな……?)
思いながら、コーンの前まで行ってみた。
先にはどこまで続くのかも掴めない道路が続いている。
この道を進んで行った少年。
この方向に歩いて行って姿を消した人物。
突然いなくなり、蒼太の記憶の中からもいなくなってしまっていた兄。
全て、同一人物なのかもしれない。
だとしたら───と蒼太は思う。
会いたい。
会って、話がしたいと思った。
「立ち入り禁止」の文字に罪悪感が浮かんできたが、見てみぬふりをすることにした。
この先に何か危険があったとしても、兄に会うことができたら大丈夫だと蒼太は思い、赤いコーンの間を通った。
立ち入り禁止の道は何の危険もない、普通の道路に見えた。
ただ、真っ直ぐな道が続いていて、さっきと違うことと言えば、左にあるのが海ではなく、崖だということだ。
(もしかして……、この崖から石とかが落ちてきて、危ないのかな……?)
蒼太は崖を見上げて、そう思った。
前方を歩く人の姿は見当たらないが、今のところ、曲道は1つも確認できていない。
(少し急ごう……)
蒼太は代わり映えのない景色に急かされるように、速度を上げた。
そうして、崖に沿って歩いていくと、不意なタイミングで崖が終わり、コンクリートの壁が現れた。
蒼太はその不自然さに「えっ……?」と声を上げ、同時に、視線も上げた。
そうして見上げた先には、ビルが建っていた。
(ビル……?なんでこんなところに……?)
そう思って数歩進んで、目の前に広がった景色に、蒼太は呆然とした。
そこには、いくつかのビルが並んで建っていた。
そしてその奥にもそれが続いている。
ビル群───数えきれないほどのビルが1つの場所に集まっている。
「なに……?ここ……」
思わず、そう声を漏らした。
蒼太はビルとビルの間にできた狭い、真っ直ぐな道の前に立った。
そうして、そこに、導かれるように、足を踏み入れた。
※
(どうしよう……)
蒼太は泣きたくなった。
(迷っちゃった……)
これほどまでに、自分を責めた日は無いだろう。
ビルの間を赴くままに歩いていたら、気づいた時には、来た道がわからなくなってしまっていた。
まるで迷路だ、と蒼太は立ち止まる。どうしようもなく、頭上を見上げる。建っているビルはどれもボロボロで、今は誰にも使われていないようだった。
蒼太はもう一度、今度は口に出して「どうしよう……」と呟いた。
(このまま出口を探して歩いても、もっと迷っちゃいそう……。ここの地図、調べたら出てくるのかな……?)
どこに行っても同じ景色で、自分が今、どこを曲がってきたのかも分からない。
蒼太は途方に暮れた。
最終手段は地図だが、出てこなかった時のことを考えると、それを受け止める勇気は湧いてこなかった。
(バカだよね……。あの人が兄ちゃんだったのかも分からないままだし……)
蒼太はとことん、自分が嫌になった。
仕方がなく、とぼとぼと歩き回るしかない。
(……今、ここに兄ちゃんがいてくれたら……、どうなるんだろう……?)
思い出すのはどんな時でも頼りになって、いつでも自分を助けてくれた兄の姿だ。
(兄ちゃんって……、すごいな……)
あの時───一緒に暮らしていた時、勇人は今の蒼太と同じくらいの年齢だった。
(なのに全然違う……)
蒼太は深く、溜息を吐いた。
(兄ちゃんみたいになりたい……)
その時、人の足音が聞こえてきた。
蒼太は顔を上げた。
蒼太のいる、ビルとビルの隙間の向こうから、その音は聞こえてくる。
蒼太はおそるおそる、隙間から顔を出した。
ビルの間に他の通り道よりも広い道ができていた。
その道を歩いていく少年の後姿を蒼太は見た。
あの人だ───と、蒼太は息を呑んだ。
声を掛けようとして、少し迷う。
あの少年が勇人かどうか確かめるにはそれしかないのだが、仮に勇人じゃなかったとしても道を尋ねるという目的がある。
(それだったら、人違いだったとしても大丈夫か……)
蒼太は小走りに少年に近づき「あ、あの……!」と聞こえるような声で呼びかけた。
少年が振り返る間、自分は緊張で、実際の時間よりも長く感じているのだろうかと蒼太は思えてしまった。
そう思えるほど───少年の動きは、機械的だった。
蒼太は少年と目が合った時、体がはっと硬直するのを感じた。
自分が期待していた感動はなかった。
黒い髪の間から蒼太の目を見つめる赤い目には、蒼太が覚えているものとは違っていた。
「ねえ、きみ」
突然、肩を叩かれ、蒼太は、びくりと身体を大きく揺らして、後ろを振り返った。
そこには、少年が立っていた。
蒼太よりも背が高く、年齢は───中学生くらいだろうか。薄い茶髪に黄緑色の瞳をしており、蒼太は能力者であることを察した。
「ああ、ごめん……びっくりさせちゃって。もしかして、迷ってる?」
蒼太の目を覗き込む目は、穏やかだった。
「あ……、ええと……」
蒼太は口ごもってちらりと後ろを見る。
そこに、兄の姿は無かった。
「……は、はい」
蒼太は頷いた。
「じゃあ、出口まで一緒に行かない?」
少年の提案に、蒼太は「あっ……」と、声を上げ、どぎまぎと頷いた。
そんな蒼太に対し、少年は柔らかく微笑んだ。
「何年生?」
歩き出すと、少年が尋ねてきた。
「あ……、5年生です……」
「ここに来るのは初めて?」
その問いに蒼太は「あっ……」と、声を上げた。
急に現実に帰ってきたようなそんな気がした。
「ご、ごめんなさい……。勝手に入って……」
「あ、いやいや。僕が管理してるわけじゃないから大丈夫だよ」
少年は首を横に振ると、
「けど、ここ、あんまり近づかない方が良いって言われてるから、気になって」
柔らかく、こう付け足した。
(そう……、なんだ……)
蒼太はそう思うと同時に、じゃあどうしてこの人はここにいるんだろう?と疑問を持った。
この人と、そして勇人も───。
何か共通の目的があるのだろうか。
それを少年に尋ねることはできなかった。
気付くと、出口が見えてきた。
「ここまでで大丈夫?」
少年が蒼太を振り返る。
「あっ……、はい。……あ、あの……、ありがとう……ございます」
蒼太はおどおどと頭を下げた。
「いえいえ、どういたしまして」
少年が答える。その顔には笑顔があった。
蒼太はビル群を出た。
(あの人に会えて良かった……)
蒼太は自分を案内してくれた少年に対して感謝の気持ちでいっぱいだった。
(……それと、兄ちゃんに会った……)
蒼太は唇を噛んだ。
数年ぶりに会った、兄のことを思い出す。
(兄ちゃんはやっぱりいた……、けど……)
それを喜ぶよりも優先して蒼太の心に浮かぶのは緊張と不安だった。心臓がドクドクと嫌な音を立てている気がした。
(何であの時……、兄ちゃんと目が会った時……)
兄と───勇人と目が合った時のことを思い出すと、胸が苦しくなった。
(……何で、兄ちゃんのこと、怖いって思ったんだろう……?)
崖沿いの道は、歩いてきた時と、違う道に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます