April Story4

 蒼太は校内の駐車場で、父の車の後部座席に乗り込んだ。

 これから父と買い物に行く予定だったが、父が、車が発進する前に蒼太を振り返り、

「蒼太、お父さんが買い物してる間、海、行ってるか?」

「えっ?いいの……?」

 蒼太は思いがけない誘いに驚く。

「もし、行きたいんだったら、乗っけてくぞ。それで、買い物終わったら迎いに行くけど、どうする?」

 嫌だ、なんていうはずがなかった。

 蒼太は海に向かって走り出した車内でリュックの中にスケッチブックとカメラがあることを確認した。

(海の絵……描きたい)

 蒼太は昔から絵を描くのが好きだった。勉強に関しては人並みで、運動は大の苦手だが、絵を描くことに関しては特技といえるくらいには得意な自信があった。

 スケッチブックをパラパラと捲ると、これまで描いてきた絵がそこに残っている。

 殆どは風景画で、全部自分1人の足で行って見つけた景色だった。

 山の入り口で見つけた小さくて流れの緩やかな川。

 公園の隅に誰にも目をつけられていない、ただひっそりとそこにある池。

 いつか、部屋で夜遅くまで起きていた日、窓の外に見えたどのビルより高い位置にある満月。

(こうしてみると、あの町にも思い出、たくさんあるんだな……)

 大嫌いで、早く出ていきたいと願った都会の町。

 そこには蒼太が「良いな」と思う自然がたくさん隠れていた町だったのだ。

(……でも北山にはもっといい場所あるよね)

 そんなことを考えていると車が停まった。

 蒼太は顔を上げて「えっ」と声を上げた。

 車は広い路肩に停まっていた。

「もう着いたの……?」

「おお。ここからじゃ、ちょうど隠れて見えないな。降りたら見えると思うよ」

 父の言葉に蒼太は助手席側から車を降りた。

 潮の香りがし、蒼太は眼下に広がる景色に「わっ」と声を上げる。

 広い砂浜の先に青い、海が見える。

「そしたら、後でな。この辺に停まるから、あんまり遠くまで行かないようにな」

 助手席の窓を開け、父が蒼太に言った。

 蒼太が「うん」と答えると、父は「じゃあな」と片手を上げ、車を右に転回し、走り去っていった。

 蒼太は車を見送った後、砂場に降りるための石段に向かった。

 最後の一段久しぶりに感じるであろう砂の感触を想像しながら、そっと足を乗せた。

 さくっと足がゆっくりと沈んでいくような感覚。

 柔らかくて心地いいのに、少し油断をしたら転んでしまいそうな、砂の地面を蒼太は数年ぶりに歩いた。

 手で掬ってみると、さらさらと蒼太の指の間をすり抜けて元の場所へ戻っていく。

 風が吹いて、蒼太の足首の辺りまで砂が舞い上がった。

 その動きを目で追うと、海がある。

 ザーッと繰り返し音を立てながら、波が満ち引きする様子を蒼太は見つめた。

(ここ───北山に住んでる人にとっては見慣れた景色なんだろうな……)

 蒼太は深く息を吸い込む。

(でも、ぼくにとってはあたりまえじゃない……。海ってこんなに綺麗なんだ)

 どこまでも果てしなく続いていくような青い景色を蒼太は写真に収めることにした。

 去年の誕生日、父に買ってもらったデジタルカメラ。小さいが、蒼太にはちょうどいいサイズだった。

 こうして撮っておくことで、家でも写真を見ながら絵が描ける。

 写真を撮り終えると、蒼太は先程下りてきた石段の上に座り、スケッチブックを取り出した。

 絵を描いていると蒼太は無心になれる。

 誰にも干渉されず、考えて嫌になることを忘れて夢中になれる、蒼太にとって、それより楽なことはなかった。

 画用紙に鉛筆をあて、海と砂の境界線を描く。

 流れる雲も、水面を飛ぶカモメも、砂に埋まっている貝殻も、すべてがここにある景色で、蒼太はその1つ1つを丁寧に写生していった。

 静かな、自分だけの時間。

 それが、唐突に終わったのは、子供の声がした時だった。

「わーっ!」という子供の明るい声が遠くから聞こえてきた。

 蒼太は声のする方に顔を向け、立ち上がった。

 見ると、右方から駆けてくる2つの小さな影が見えた。

「嫌だ」と、脳が言う。

 蒼太は半ば、慌てて荷物を持ち上げると石段を駆け上がった。


 ※                                          


 蒼太は砂浜を走り回って遊ぶ小学校低学年くらいの男の子2人を横目に先程、父が車を停めた辺りを往復するように歩いていた。

(あのくらいの子だったなら、あのままいればよかった……)

 後悔を感じるも、もし自分と同じくらいの年齢だったら……と、考えるとこっちに来てよかったとなっていただろうと思う。

 蒼太は誰かに見られるのが苦手だった。

 特に自分と同い年か、少し上の年齢の人には自分の容姿や行動を馬鹿にされそうで嫌だった。

 2メートル内のスペースを行ったり来たりするのに飽きて、蒼太は立ち止まった。

(どうしよう……。戻ろうかな……?)

 見ると、男の子たちは少し離れたところに移動していた。

 父の車が走って行った方向を見るも車が来る気配はない。

 ふと、蒼太は逆方向を向いた。

「……あれ……?」

 その先には道路が続いていたのだが、途中がコーンで塞がれていた。

 コーンに吊るされたロープには『立ち入り禁止』と書かれた紙が付いている。

(あそこ、先に行ったら危ないのかな……?)

 ここから見ると、コーンの奥には特に変わった様子のない道路が続いているように見える。

 蒼太は何故か、その『立ち入り禁止』の文字に強く引き付けられた。

 あの先に何があるのか知りたくなった。

(いやでも……、たぶん、危ないし、お父さんに遠くまで行っちゃだめって言われてるし……)

 そう自分に言い聞かせ、蒼太はくるりと振り返り、視線を逸らした。

 その時───後ろから歩いてきた人物と、腕と腕がぶつかった。

 蒼太は全然気づかなかったと驚いて「ごっ、ごめんなさい……!」とつい、いつもより大きい声で謝った。

 しかし、それに対して返事が来ることはなく、蒼太はほんの一瞬、自分よりも背の高い、少年の顔の輪郭と黒い髪の毛を見た。

 気付いた時には、もうそこに───蒼太の視線の中に、誰もいなかった。

 蒼太は呆然と立ち尽くした。

 心臓がドクン、ドクンと脈打っている。

 少年が進んだであろう方向───立ち入り禁止のコーンがある方を向いても人の姿はない。

 蒼太はまだ、微かに残った右腕の衝撃を手で押さえながら、見えない人物に向かってこう呼びかける。

「……兄……ちゃん……?」

 その呼びかけに返事はなく、本来、あるはずの誰かの足音も、蒼太の耳には聞こえなかった。


 ※                                             


 蒼太は机の上に置いたカメラ越しに今日撮った海の写真を見つめていた。

 考えるのは海のことでも、絵のことでもなかったが、いくら考えても答えは出なかった。

(あの人……、ぶつかった人……)

 蒼太は机の上で組んだ腕に顎を乗せた。

(兄ちゃん、だったのかな……?)

 目を閉じて、答えを探っても確かな証拠も理由も見つからない。

 ただ、そう思うだけ───だが、そう思って見過ごすことはできなかった。

 何故なら、蒼太が「ぶつかったと思っている人」は、蒼太の家族───蒼太のたった1人の兄弟だからだ。

 その人は、今この家にはいない。

 しかし、4年前、この家を出た時にはいたし、その前、この家に住んでいた時もたしかにいた。

 前の家のマンションにも一緒に暮らしていた記憶が蒼太にはあった。

 だが、マンションで暮らしていたある日を境に、兄と過ごした記憶は無い。

(たぶん……、この家から引っ越してすぐだったのかな……?そんな気がする……)

 蒼太は曖昧な記憶を辿る。

 何故なら、蒼太は自分に兄がいたということを、ほんの最近になって思い出したからだ。

 蒼太は立ち上がっていつも持ち歩いているリュックの内ポケットを探った。

 そこには、水色の布で作られた御守りが入っている。

(これ……、兄ちゃんがくれたやつ……)

 それを握りしめると、引っ越しの準備をしていた時の記憶が蘇る。


 その日───蒼太は自分の部屋で段ボールに荷物を詰め終わり、ベッドのシーツを剥がしていた。

 すると、シーツの下からこの御守りが出てきたのだった。

 それを見た時、蒼太は体に電流が走ったような衝撃を感じた。

 今まで忘れていた、無いと思っていた事を、その瞬間に思い出した。

 自分には5歳離れた兄がいたこと。その兄は能力者だったこと。父も母も同じたった1人の兄弟が今はこの家に存在しないこと。その存在を、いつの間にか忘れてしまっていたこと。

 蒼太はリビングにいた父に震えた声でこう尋ねた。

「ぼくって、兄弟いる……?」

 それを聞いた父は「どうした?」と、心配と驚きが混ざった困惑の目で蒼太を見た。

 蒼太はその反応を見て、怖くなった。

 父はお守りを見つける前の蒼太と同じように「蒼太に兄弟はいない」という認識でいると察しがついた。

 ならば、自分がおかしいのかと、蒼太は思った。

 しかし、その直後に「いや、違う」と、自分の考えを否定した。

 兄は、たしかにいた。

 そして、今、自分の記憶にも存在している。

 兄は、きっとどこか、こことは違う場所にいて、その存在を何らかの事情で自分は忘れてしまっていて、父は今も忘れてしまっている───そう、確信した。確信できるほどにその頃には、蒼太の中で兄の記憶が鮮明になっていた。

 そして、その気持ちは今も変わらない。

 蒼太は記憶にある、兄の姿を思い描く。

(えっと……、名前は……)

 開いたスケッチブックにその名を書く。

(勇気の˝勇˝に……˝人˝で、勇人(ゆうと)……)

 蒼太にとっては˝勇ましい人˝というよりは、˝優しい人˝という印象が強いが、よく考えると、優しくもあり、強い人だった。

(いつも自分より、ぼくのこと優先してくれて、ぼくのわがまま、怒らないで全部聞いてくれて、いつもそばにいてくれて……)

 そんな兄───勇人が、蒼太は大好きだった。

 そして、いつも勇人が自分の見本だった。

(髪は、ぼくと逆で黒くて、目は赤色で……能力は……)

 蒼太は自分と衝突した後、透明人間のように消えてしまったあの人物と、勇人の共通点を思い浮かべた。

(姿を消す能力……)

 ただ、透明化の能力を持った他の能力者の可能性もある。

 髪が黒かったことと、自分より年上だったこと、同じような能力を持っていることで、断定するには無理がある気がした。

 しかし、蒼太はあの人物が勇人ではないかと思えて仕方が無かった。

(もし、仮にあの人が本当に兄ちゃんだったら、兄ちゃんは……、この町にいるのかもしれない……)

 蒼太は強く、会いたいと思った。

 勇人に会って話がしてみたい。

 自分のことを勇人は覚えているのか、今、どこに住んでいて何をしているのか、自分が勇人のことを忘れてしまっていた理由を知っているのか、何故、突然姿を消してしまったのか……。

 考え出すと、色々な可能性や憶測が見えてくる。

(でも……、今日は、とりあえず寝よう)

 蒼太は壁に掛かった時計を見て立ち上がった。

 時刻は午後9時半。

 明日は転校初日だった。

(明日、来て欲しくないけど……、起きて待ってても来るものは来るから……)

「それなら寝た方が良い」そう思い、蒼太は御守りを元の場所に戻すと、電気を消した。

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