April Story2
車は狭い、二車線の山の中の道を進んでいた。木々と電柱ばかりが蒼太の視線をすり抜けていく。
この山の道を抜ければ、もう北山町に着くと父は言った。
(どんな感じなんだろう……?覚えてる場所とかあるかな?)
蒼太は自分の記憶にない、故郷の景色を頭の中に思い描く。
北山町に住んでいた当時、蒼太はとにかく体が弱く、幼稚園や保育園に通わず、殆どの時間を家で過ごしていた。
ただ、多くの時間を過ごしたその家の記憶も、あまりない。その理由は分からない。ただ、父が知り合いに“母親を失ったショックによるんだと思う”と話していたのを、偶然耳にしたことはあった。
それまで木々に遮られていた太陽の光が、さっと車内に差し込めた。
蒼太は突然の眩しさに目を瞑る。
そうして目を開けた時、そこは北山町だった。
何故、そう気付いたかというと、目線の先に「北山町」と書かれた看板が見えたからだ。緑色で書かれた町名の周りの白い地は微かに汚れているように見える。
蒼太は少しだけ窓を開けてみた。
木々が消え、周りには田んぼが広がっている。心地よい風と草木が揺れる音がした。今まで住んでいた町の、ビルの間を通り抜ける生暖かい風とはまるで正反対だ。
「気持ちいい……」
思わずそう呟く。
「この辺は変わってないなあ、街の方がどうなってるかだな」
半ば独り言のように父が言う。
蒼太は窓を閉め、この辺りは町の中心部から少し離れたところなのだと理解した。
車が進むにつれ、段々と田んぼと畑の間に家が何軒か見えてきた。
(たぶん、農家の人の家なのかな……?)
蒼太はあまり綺麗な外観とは言えない、木製の古そうな家々を見て思った。
そこからはしばらく、真っ直ぐな道が続き、町に入ってから初めての信号の前で車は停まった。
父がウインカーを出したので、見てみると、左側に曲がる道があった。
信号が青に変わり、車が動き出す。
曲がった先にはトンネルがあった。そのトンネルはとても短く、蒼太はトンネルを出た後の景色を見て、明らかに入る前とは景色が変わったことに、すぐに気付くことができた。
信号機の前で停車する車、通過して走っていく車が見える。
横断歩道の向こうにはコンビニエンスストアがあり、店内に入っていく若い女性の姿が見える。
少し向こうにはガソリンスタンドの高い看板が見えた。
「おお、思ったより変わってないな。良いのか悪いのかは置いておくとして」
父が笑った。
(ここが北山町……)
蒼太は、人々の暮らしが垣間見える様子を見て思った。
(さっきの、田んぼと畑のところは、町の外れで、こっちが中心ってことなのかな……)
そう、理解するも、周りの景色に懐かしさは全く感じられず、蒼太は少し、寂しい気持ちになった。
車は新聞会社の建物の前で右折し、小さな公園の横を通り過ぎた。
そうして公園の奥にある細い坂道を進んでいく。
(ここ、歩いて行くの大変そう……)
蒼太が他人事として考えた時、坂を上り終えた車は、砂利の地面に停車した。
蒼太はフロントガラスに映る引っ越し業者のトラックと、木造の大きな家を見てその考えが他人事ではないことを察した。
「さ、着いたぞ」
父にそう言われて、小さく頷くも、蒼太は首を傾げずにはいられなかった。
(こんな家だったけ……?)
今時珍しい平屋のその家は横に広く大きさだけで見たら「立派な家」と言いたくなるが、長いこと人が暮らしていなかったせいで周りには草が伸び放題で、木の壁にもかなり年季が入っている。今日の朝までいたマンションの造りとは良くも悪くも違っている。
「とりあえず、家の中入っていいのか訊いてくるな」
父はそう言うと、車を降りて、トラックの横で手袋を脱いだ引っ越し業者に向かって歩いて行った。
蒼太は足元に置いていたリュックサックに、スケッチブックをしまい込んだ。
そうして降りる準備をしていると、父が戻ってきた。
「もう荷物は全部運んでくれたらしい。お父さん、引っ越し屋さんに挨拶しなきゃだから、蒼太、先家の中入っててくれないか?」
「わかった」と、答えて蒼太はドアを開ける。
靴を乗せた地面は砂利だった。歩く度に「ザクッザクッ」と、音が鳴る。
その音を聴きながら玄関を目指す。
玄関の扉は引き戸で、手掛けに指を当て、引くと、音を立てて開いた。
玄関はとても広かった。土間の左側に引っ越し業者が置いてくれた大きな靴箱があっても、もう一方に同じものを置けるくらいのスペースがある。
蒼太は靴を脱いで廊下に上がった。前方に伸びた廊下は、幾つかの部屋に行くための通路らしい。
蒼太はまず、一番手前にある、ガラス格子のドアを覗いてみた。
ドアを開け、中に入って部屋全体を見回す。そうして、蒼太は息を呑んだ。
「すごい……」
そこは広々とした居間だった。
壁際にテレビ台、その上にテレビ、中央にダイニングテーブルくらいしか家具が置かれていないのに違和感を覚えてしまう。そして床に置かれた段ボールがその違和感を倍増させている。
奥は和室、右側は台所へと繋がっていた。
蒼太はまず、奥の和室に行ってみた。
部屋の左側の壁の一部が掃き出し窓になっている。やはり、庭は荒れ切っているが、蒼太はいつか、ここに座って絵を描いてみたいと思った。
「どうだ?感想は」
振り返ると父が和室に入って来るところだった。
「すごい広いね。……でも全然来たことあるって感じはしないな……」
「まあ、仕方ない。覚えていなかったとしても、今日からここが新しい家だって考えればいいんだ。そうだ、一番奥にある部屋、蒼太の部屋だから、好きに使っていいぞ。小部屋の中じゃ、一番広い部屋なんだ」
「えっ……、良いの?」
振り返ると、父は笑って頷いた。
「……ありがとう」
蒼太が礼を言うと、父は蒼太の頭をポンポンと軽く撫で、
「さてと、無事着いたことだし、しばらく休むか」 と、和室を出て行った。
蒼太もふう、と息を吐いた。そうして、吸い込んだ時にどこか懐かしい匂いがしたが、きっとこの家の匂いだろう。
蒼太は続いて自分の部屋を見に行くことにした。
(えっと……、一番奥の部屋だよね……?)
長い廊下を進んだ突き当りに木のドアがあった。引き戸ではなく、ドアノブが付いている。
何気なく、ドアを開ける。
父の言った通り、そこは広い部屋だった。
勿論、居間に比べれば狭いのは言うまでもないが、奥には大きな窓があり、その前には蒼太のベッド、壁に向かって置かれた勉強机、その横には大きな本棚があり、空いたスペースには蒼太の教科書や本が入った段ボールが置かれているが、それらを置いても狭苦しい感じはまるでしない。
父があらかじめ、引っ越し業者に間取りを見ながら「これはここに置いてほしい」と話していた通りの配置であり、それは前のマンションの蒼太の部屋の家具の配置と一緒だった。
しかし、蒼太はその部屋の中を見た瞬間、真っ先にこんな考えが頭をよぎり、その場に立ち尽くした。
(……ぼく、この部屋知ってる……)
それは、以前にも味わったことのある、衝撃だった。
(……ぼくの部屋だ……)
5年前、この家に住んでいた時の自分の部屋───蒼太はそう確信した。
(ぼくと……、兄ちゃんの部屋……)
じわりと、様々な感情が込み上げてきて、蒼太は部屋に足を踏み入れる。
(……そうだ、ここに机があって……)
蒼太はそっと見慣れたはずの自分の机に指を触れる。
(ここに……、兄ちゃんの机があった…)
胸が締め付けられるような、でも暖かいような、そんな気持ちが思い出とともにやって来る。
(やっぱり……、嘘じゃないよね)
蒼太は自分の心に語りかけた。
(……兄ちゃんは……、ほんとにいたんだよね)
蒼太がこの家に住んでいた時───それは蒼太が4人家族だった時。蒼太に兄弟がいた時。蒼太が一番幸せだった時。
それが、その記憶が、嘘偽りではないことを、蒼太は強く祈っていた。
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