雨と桜と付喪神

 傘を暇つぶしにくるくると回しながら、鮫島は第十七班の事務所へ向かって歩いていた。

 梅雨に入ってからというもの連日、雨が続いている。雨が嫌いではない鮫島でもこうも毎日続くとうっとおしい。


 何重にも重なった分厚い雨雲に切れ目はない。目に見えるほど大きな雨粒を見つめて鮫島は顔をしかめる。歩くたびに雨水が跳ね、お気に入りの服やブーツが汚れるのも不快だ。


 こういう日は事務所のすぐ下に住んでいる奴らが羨ましくなる。

 第十七班の事務所は三階建てで、三階が事務所、二階と一階はマンションとなっている。一階に桜庭、二階に班長である五条が暮らしているが、その他の部屋は全て一般市民に貸している。三階に事務所があることすら住人はわかっていないかもしれない。


 大学を機に一人暮らしを始めるとき、鮫島も入居をすすめられたが断った。鮫島にとっては対策課の仕事はあくまで息抜き。私生活とは切り離したかったため、大学近くの部屋を決めた。その時はそれが最善だと思っていたが、こういった悪天候の日は過去の自分の選択に文句を言いたくなる。

 

 不機嫌な顔で鮫島は傘をクルクルと回す。周囲に雨水が飛び散るが構いはしない。この雨だ、鮫島の傘の被害が少し増したくらいではたいした変化はない。


「これって、桜?」


 やっと事務所が視界に入ったところでそんな声が聞こえた。

 鮫島と同じく傘をさして歩いている女性二人が前方で足を止めている。そろって見上げるのは空。なにかをつかむように手を伸ばす光景を見て、鮫島もつられて空を見上げた。

 視界に入ったのは雨雲の下には似つかわしくない薄桃色の花びら。思わず手を伸ばして掴むと、それは幻のように消える。前方の女性がいうように、たしかに桜の花びらに見えた。

 鮫島はしばし花びらの消えた手をながめ、それから片眉を釣り上げた。


「あんの……バカ付喪神……」


 こんな怪奇現象を起こす存在など、鮫島が知っている限り一人……いや、一柱しかいない。現代社会に置いて神の存在は秘匿されていると説明したというのに、遊びにいきたいだの、あれが食べたいだのワガママ放題の幼児。それでも鮫島よりも年上だと主張する面倒くさい奴。


 空を見上げてスマートフォンを構える女性たちの横を足早に通り過ぎる。その間もひらり、ひらりと雨の中には不自然な桜の花びらが降ってくる。今の季節は六月。とっくに桜は散っている。


 マンションのエントランスに入り、エレベーターに直行すると三階のボタンを押す。ゆっくりと上昇するエレベーターにじれた気持ちになりながら階層を告げるランプをにらむ。到着を告げる軽快な音に続いてドアが完全に開き切る前に体を滑り込ませ、鮫島は事務所へ駆け込んだ。

 勢いよくドアを開いたがそこに人影はない。どこかに隠れているのかと中を見回すがその気配もなく、一体どこにと眉を寄せていると窓から舞い散る桜が見えた。


「屋上か!」


 すぐさま事務所から飛び出して脇にある階段を駆け上がる。

 この建物の屋上は三階から階段を登ってしかいくことができない。上には物置となっている小屋と時折五条が手入れしているプランターの花が並んでいる。鮫島にはほぼ縁のない場所だ。


 階段をかけあがり、事務所と同じく勢いよくドアを開く。思った以上に大きな音が出て、ドアの前で傘を差していた人物、桜庭が大きく肩をふるわした。


「び・・・・・・びっくりした。氷雨くんか」


 胸をなで下ろした桜庭を鮫島はにらみつける。安堵の表情が途端に引きつった表情に変わる。桜庭からみて鮫島はずいぶん怖く見えるらしいが、そんなことは知ったことではない。


「おい、あのバカ付喪神は?」

「桜花ちゃんなら、あそこに」


 桜庭はおびえた様子で一点を指さした。その方向を見れば、屋上の中心で傘も差さずに桜花がくるくると回っていた。


 桜花は踊り、歌っていた。歌はずいぶん昔のもののようで聞いたことがない。歌詞からすると雨を喜び、雨が上がった後の太陽を喜び、作物がたくさんとれることを願った歌らしい。

 それを桜花は途切れることなく歌いながら踊り続ける。雨に当たることを気にした様子はない。雨は桜花を避けるようにはじけてキラキラと輝き消えていく。その姿を見ると我慢も知恵もない幼児ではなく、たしかに神に見えた。


 桜花が歌い、踊るたびにひらり、ひらりと桜の花弁が舞う。梅雨に入った六月には不自然な桜の花びらが空を舞い、風に吹かれて散っていく。


 止めなければいけないのだとわかっていた。わかっていたのに鮫島は動くことができなかった。日頃バカにしている付喪神に対して認めるのは癪に障るが、美しい。そう思ってしまったのだ。


「雨が降るとうれしくなって歌って踊りたくなるんだって」


 黙っている鮫島の隣に桜庭がたつ。桜庭が傾けてくれた傘でやっと自分が濡れていることに鮫島は気づいた。それほどまで、桜花の歌い踊る姿は衝撃だった。


「桜花ちゃんは桜の精でもあるから、太陽も雨も大好きなんだってさ」

「・・・・・・桜なのか鬼なのか、はっきりしろ。中途半端な奴だな」


 憎まれ口をたたいてみたが桜庭は先ほどのようにはおびえなかった。どっちもあるからいいんじゃないかな。とのんびりした口調でいって桜花をじっと見つめている。その視線は孫を見るおじいちゃんのようで、付喪神を見るにはおかしなものだったが指摘するのはやめておいた。


「もうちょっとしたら晴れるらしいから、それまでは好きにさせてあげたくて」

「わかるのか?」

「みたいだよ」


 桜庭がにこにこと笑う。黙っていれば厳つい顔は笑うと途端に柔らかくなる。そのギャップのせいで今まで舐められてきたのだろうが、鮫島はそのふぬけた顔が嫌いではなかった。


「もうちょっとなら、大目に見てやるか」


 そういって先ほど開いたドアにもたれかかる。

 もうちょっと見ていたいなんて本音は口が裂けてもいえない。それでも桜庭には伝わっているらしく、綺麗だよねえ。と緩んだ声が聞こえた。

 返事はしない。認めたりはしない。それでも視線は桜花から離せなかった。


 桜花が踊るのに合わせて桜の花弁が舞う。子供らしい高い声は雨音の中に溶けて消える。それは雨と一緒に歌っているようで、ステップを踏むたびにはねる雨水はともに踊っているように見える。

 

 その光景を見始めてどのくらいの時間がたったのかはわからない。気づけば雨の勢いが弱まり、雨雲の隙間から日差しが見え始めた。もうすぐ雨がやむ。そうわかったように桜花は最後に高らかに歌い終えると踊るのをやめる。

 空を見上げた桜花がなにを思っているのかはわからない。雨雲の隙間から差し込んだ光が桜花を照らす。その光景は桜花の歌と踊りに天が感謝したように見えた。


「いつのまに来ておったのじゃ」


 振り返った桜花は壁にもたれかかっている鮫島を見て目を丸くした。それからすぐに笑顔を作って空を指さす。


「晴れたぞ!」

「見ればわかる」


 自分でもかわいげのない返事だと思ったが、桜花も案の定頬を膨らませた。先ほどまで神秘的な雰囲気で踊っていた存在と同一とは思えない。しかしいつも通りの桜花の姿を見て、鮫島は内心ほっとした。


「面白みのない奴じゃ。せっかく晴れたんじゃから、喜べばよかろうに!」

「氷雨くん、こんなこといってるけど桜花ちゃんが歌って踊ってるのずっと見てたんだよ」

「おまっ! 余計なこというな!」


 にこにこ笑って余計なことをいう桜庭をにらみつけるが、桜庭は全く動じない。ドアを勢いよく開けたときはあれほどおびえていたのに、その変わり様は何なのか。イライラしながら桜庭をにらみつけていると、不快な視線を感じて鮫島はその方へと顔を向けた。


「ほぉー? 妾の歌と舞から目を離せなかったのか? い奴じゃのぉ」


 振り袖の裾を口元に当てた桜花がニヤニヤと笑っている。こちらを小馬鹿にした視線に鮫島はイラッとして、思わず叫んだ。


「バカ付喪神にしては様になってるから、物珍しくて見ちまったんだよ。文句あるか」

「物珍しいとはバカにしておるのか? まっこと可愛げのない奴じゃな!!」


 ギャンギャンと桜花が吠える。それはいつも通りの姿だった。

 先ほどまで降っていた雨がやみ、桜花の背後には青空すら見えている。その急激な天候の変化は桜花の歌と踊りの結果なのか。だとしたらこの、目の前にいる小さな付喪神は自分が思うよりもできる神なのかもしれない。

 しかし、素直にそれを認めるのは癪に障る。言葉遣いだけはいっちょ前の世間知らずで幼稚な付喪神を神としてあがめる気など鮫島には少しもない。だから、こうやってお互いに吠えあう位の関係がちょうどいいのである。


 少しだけ見直した。その本音は、一生伝えず墓に持って行こう。そう鮫島は思った。




 後日、六月の雨の日、どこからともなく桜の花びらが舞い散った。という動画付きの投稿がSNSで話題となり、桜庭、桜花、鮫島は怪奇現象を取り締まる側で、怪奇現象を作り上げてどうすると五条にこっぴどく怒られた。

 それにより鮫島の桜花を見直した気持ちはゼロ。どころかマイナスまで下がり、本音は墓どころか墓の奥深くに埋めて絶対に掘り出さない。そう堅く誓ったのであった。

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