情ではない情けである
カラン、チリンと音がする。
任務の報告に訪れた対策本部。かったるい報告も終わったのでさっさと帰ろうと廊下を歩いていると、鈴の音のような音がする。
人が行き交い、憑りついた、憑りつかれた。時には負傷者や 死者が出たなんて世間話のように語られる本部らしからぬ、のんきな音。
なんとなく音の出所が気になって音の聞こえた方へ向かう。人通りがあまり多くない縁側。氷雨も昼寝なんかで利用することもあるが、今日はそこに桜庭の姿があった。
顔には派手に傷跡が残っているというのに堅苦しいワイシャツにベスト姿。傷に似合わぬ妙にかしこまった格好がよけい堅気に見えないのだと本人はいつになったら気づくのか。指摘してもバカ みたいな生真面目さで、仕事中に遊び着はちょっと。と苦笑を浮かべるのだろう。その姿がありありと想像できて顔をしかめる。
桜庭が持っているのは湯飲み。木造建ての日本家屋の縁側といったら正しいのかもしれないが、 脇に置いてあるのはお盆にのった饅頭。どこの隠居したじじいだ。お前まだ三十代だろと氷雨は口から出かかって、飲み込んだ。
そのくらいで桜庭が怒らないことは知っている。知っているからこそ口に出したくないこともある。なぜなら苦笑して流されると自分がガキみたいに思えて腹立つから。
「なにしてんだ、こんなところで」
声をかけると少し驚いた顔をして、それから氷雨だと気づくと笑みを浮かべる。目つきと顔の傷で誤解されると聞くが、この不抜けた笑顔をみて怖いと思う奴は相当目が悪い。どこからどう見ても人畜無害のおっさんだ。
「桜花ちゃんに新しい下駄を買ってあげたんだ」
にこにこと孫に贈り物を贈るじじいみたいな顔で桜庭は笑う。実際、本人の感覚としては正しくそうなのかもしれない。
見れば桜花が庭で遊んでいる。買って貰った下駄は黒く鼻緒は桜花の髪を思わせる桜色。下駄がどれほどの値がするものか分からないが、安くないなと直感的に思った。目の前でにこにこ笑って いる桜庭が可愛がっている桜花に安物を与えるとは思えなかった。
ただでさえ小さくて、角と黒い瞳孔がなければ そこら辺のガキと見間違えそうな桜花が遊んでいると普通の子供のように見える。歩くたびにチリン、チリンと音がなるのが楽しいのか、ゆっくり歩いてみたり、大股で歩いてみたり、ジャンプしてみたり。
氷雨からすれば何がそんなに楽しいのか分からないことで大げさに目を輝かせてはしゃいでいる。
これがケガレと戦う武器である付喪神だというのだから笑ってしまう。どっからどう見てもただのガキだ。
しかし、神とは思えない幼稚さをさらす桜花も桜花だが、それを増長させる桜庭もどうかと思う。
「アイツはそこら辺のガキじゃねえし、お前の子供でも孫でもねえし、あれでも神様だぞ」
「分かってるよ」
思いのほか固い声音が返ってきて次の言葉が出てこなかった。桜庭の顔をみれば目を細めて桜花を見つめている。桜花はそれに気づかず、相変わらずなにが楽しいのかチリン、チリンと音をならしながら庭を跳ね回っている。
「分かっているからこその貢ぎ物だよ。少しでも長く覚えていてくれるように」
「......いくら鳥頭でもおっさんのことは忘れねえだろ」
氷雨の言葉に桜庭は穏やかに笑った。先ほどの笑みと違って、なんだか胸がざわつく笑みで、理由がわからず氷雨は舌打ちする。
チリン、カラン、チリン。
空気も読まずに鳴り続ける音に、うるせぇ。と怒鳴ってしまった自分は悪くない。音のせいでつかみかけた違和感が霧散してしまったのだから、 桜花はまちがいなく大罪人だ。
※※※
それほど強いケガレではなかったが悪条件が重なったと聞いている。
雨が降っていたこと。場所が山の近くで足場が悪く、土砂崩れがおきそうな状況であったこと。運悪く一般人が通りかかり、そちらに気を取られてしまったこと。
積もり積もった不運が重なって、桜庭は傷をおい病院に担ぎ込まれた。幸い命に別状はなかったと聞くが、その間桜庭と引き離された桜花の塞ぎようは目もあてられないものだった。
ふだんが世の中の苦労なんて何もしらないといわんばかりのお気楽っぷりなので、あまりの差に氷雨ですら声をかけられなかったほどだった。
付喪神、とくに桜花は守り刀という性質上、持ち主である桜庭の存在が必要不可欠だ。桜庭から多少の生気をいただくことで姿を保つことができ、能力を行使したり、視覚を共有できる。
桜花と桜庭は一心同体。それゆえに、桜庭の状態が不安定になると引きずられるように桜花も不安定になる。
幼い子供の姿をしていても付喪神。しかも桜花の場合、守り刀として神社に奉納されたところを盗まれ各地を転々としている。桜花が人に対して恨みを抱いていないのは持ち主と認める相手が少なく、ほとんど眠っていたために他ならない。それがなければケガレを狩るどころか、逆にケガレに取り込まれ祟り神になっていてもおかしくない境遇だ。
おそらく桜花にとって桜庭は初めてできた相棒である。ケガレを浄化するために鍛えられた刀だというのに、現代まで実践に参加することのなかった桜花にとって、自分を正しく使ってくれる初めての相手。
そんな相手がもしいなくなってしまったら。
初めて経験する喪失に精神の幼い付喪神が耐えられるかは、誰にも予想ができない。
だからこそ対策課はいったん桜花と桜庭を引き離す処置をとった。桜庭にもしものことがあったとき、桜花への対策を考える時間稼ぎである。
なんとも保身的で情にかけている。そう氷雨は思うが、相手が付喪神であると考えれば致し方ないとも思う。いくら幼い見た目をしていようと神である。かつて浄化したという祟り神との戦いは熾烈を極めたと聞いた。同じ状況を作らないために上層部が警戒するのは一般人の安全、組織の安定を考えるならば当然のことだ。
十分に理解ができる。できるが、傷をおった相棒から引き離され、ろくに情報も与えられず、鞘の中でじっと桜庭が戻ってくることを待ち続けなければいけない桜花の姿を見れば、あまりにも無情ではないか。そう、そんならしくもな いことを考えてしまう。
桜庭の状態が桜花と会っても問題ないとされるほどに回復したと聞き、桜花を携えて見舞いにいこうと思ったのは気まぐれだ。たまたま任務もなく、授業もなく、たいへん暇で暇で仕方がなかったので、暇つぶしに泣きわめくガキと弱り切っているおっさんをみてやろう。そう思っただけである。
受付で聞いた病室のドアを開けると、思ったよりも顔色のいい桜庭がのんきに読書にいそしんでいた。
ここまでガキを連れてきた俺の時間を返しやがれ。と桜花を投げつけてやりたくなったが、さすがに大人げないと我慢する。
代わりに無言でズカズカと病室に入り込み、足音に顔を上げた桜庭の顔面に桜花を押しつけてやった。そこでやっと氷雨に気づいたらしい桜庭は小さい黒目を大きくする。暗闇にいる猫か。と思いながら、無言でぐいぐいと桜花を押しつけた。
「ひ、氷雨くん? どうしたの」
「どうしたのじゃねえよ。ガキがあんまり寂しそうだったから連れてきてやったんだ。感謝しろ。そして俺になんか奢れ」
桜庭に桜花を押しつけるとおいてあったパイプ椅子に座る。座り心地が悪くてイラッとしたが病院だと思えば仕方ない。ついでに見舞いのゼリーもベッドの上に置いた。勢い余ってボフッと音がしたが、知るか。怪我して入院するようなふぬけが悪い。
「見舞いのゼリーだ。食え。でもってさっさと治 せ。ガキが落ち込んでて気色悪い」
ガタガタと刀の状態の桜花が揺れる。人の形をとらないのは桜庭を気遣ってだろう。長らく眠っていたという見た目通りの幼子は対策課に協力しているほかの付喪神と比べても好奇心旺盛で、すぐに人の姿をとりたがる。 桜庭の負担になるからやめろと注意されてやっと落ち着いたくらいのアホだ。
そんなアホでも、今の桜庭から生気を奪うことは危ないのだと分かっている。分かるほどの姿を桜庭は見せたのだ。
「よく許可もらえたね」
「すぐに俺が連れて帰るが条件だからな」
桜庭は目を丸くした。それからすぐに破顔する。その表情がまるっきり子供を可愛がる大人の顔で 居心地が悪くなる。
「あんたはコイツの相棒なんだから、もっとしっかりしろよ。無様なとこ見せんな」
氷雨はそう言い放つとポケットに突っ込んでい たスマートフォンとイヤホンを取り出す。桜庭が不思議そうな顔をしたがにらみつけて黙らせた。
人の姿をとれない桜花は桜庭の手の中でおとな しくしている。氷雨には分からないが、桜庭が桜花に視線を向けたことを見るに何か話しかけたのだろう。
適当な動画を開いて音量を上げる。本当なら席を外したいのだが、手負いの人間に付喪神を任せていなくなるわけにもいかない。桜花を連れ出す条件は常に氷雨の手が届く所に置いておくだった。だから決して氷雨は空気が読めないわけじゃない。 本当だったら今すぐ席をたって、適当な場所で時間を潰したいのだ。誰が弱っている他人と不安なのに泣くのをこらえているガキの会話など聞きたいものか。
それでも、どうしたって視界の端でものが動けば目が追ってしまう。ケガレと戦ううちに身についた習性か、気にしないようにと意識の外に追いやることが逆に意識してしまっているためか。理由はどうでもいいが、水雨は見てしまう。
桜庭が刀の姿をした桜花に額を押しつけていた。桜花が人の形をとっていたならば額同士をくっつけていたのだろう。そこに男女の雰囲気はない。親が子供を心配する。そんな純粋な情がある。
さてこの場合、親はいったいどちらだろう。不安な桜花を慰めている桜庭だろうか、無茶をして怪我をした桜庭に怒っている桜花だろうか。
氷雨には分からない。きっとそんなのどちらでもいい。
『少しでも長く覚えていてくれるように』
ふいに、のどかな縁側で桜庭がこぼしていた言葉を思い出す。こんな気味悪いほど白くて消毒液のする病室ではなく、日の光が降り注ぐ暖かな縁側で、ひどく遠くを見ながら桜庭はいっていた。
その言葉の意味を今になって理解する。理解してバカじぇねえかと氷雨は思ったが、空気を読んで黙っておいてやった。やっと会えた桜花と桜庭の静かで穏やかな空気を壊したくなかったわけじゃない、ただ今じゃないそう思ったのだ。
もっと別の機会に、桜庭がもっと傷つくような場面でいってやる。
物に頼らず、お前がそばで長く一緒にいてやれ。 バカが。と。
そのときに桜庭が呆けた顔をさらしてくれたら、コイツらに振り回されてたまったストレスも少しははれる気がした。
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