第65話 水の華

「佐藤…すい…ボクの名前は…佐藤 すい…」

俯いて、彼女は呟いた。

刻み込むように、言い聞かせるみたいに。

「なんだろうね…ね…」

「…はい。」

まるで…昔の自分を見てるみたいだ。

「兄さん…ボク……兄さんの弟になれたよ…」

「うん…春…お前は僕のたった一人の弟だ…!」

「兄さん…兄さん…!!」

そうして僕らは抱きしめ合った

何度も交わることの無かった声を、あれだけ近くにいたのに触れることさえできなかった温もりを、互いに絡み合わせながら。


そして、僕は考えていた。

奈那さんのストーカー被害は、恐らく僕が近くにいる…あくまで推測だが、しばらくは…つまり、彼氏が近くにいるうちは、ストーカーも見てくることはないはず…

逆に僕の存在が悪影響を及ぼすかもしれないが、その時はあさみさんにでも頼ればいい

そして琴音さん。

琴音さんもまた、僕がいるうちは手を出せないと思う。

ここに関しては僕というか、僕の近くにあさみさんがいるからだと思ってる。

…なんだかんだあさみさんには世話になってるな…今度何か良さげなものを贈ろうか。


…なら、向き合うべきだろう。

「兄さん?どうかした?」

至近距離でこちらを見上げ、心配そうに声を上げる弟の頭を撫でてやる

「大丈夫、なんでもない。」

…そろそろ

あくまでここに来れたのは一時的…いつかは会いに行かなければいけなかった。


忘れたい過去との、面会。


きっと聞くに耐えない罵声を浴びせられるか

きっとひたすらに『弟』だけを妄信的に心配するか

…きっと、僕のことなど考えもしないだろう。


…でも、あの時お前がくれなかった全てを、お前の手が届かないくらい離れてから手に入れた。

どうせあと10年もすれば、アイツは出てくる。

だったらここで…今このタイミングで、アイツの

そうして初めて…僕らは平穏に暮らせる。

僕らが平穏に暮らすためには、1人の人間の心を砕き、永遠に僕らに関わらないようにしないといけない

…そんな姿を、お前には見せたくない。

俺はアイツらの子供だ…と、強く意識すれば、きっと1人の獄中生活の囚人の心くらい…きっと…

「兄さんっ!兄さんっ!」

頭を撫でてやるだけじゃ足りなかったらしく、より一層と抱きしめるために回された手に力が入る

それに応えて、僕も抱きしめ返した。


…僕がこの世で最も忌み嫌うモノから産まれたことは、きっとそういう『運命』だったんだと思う。


…けど、この町に来てからと言うもの…何もかもが変わった。

まるで決まっていたように奈那さんのトラブルに巻き込まれ、そしてクラスメートの琴音さんと関わってからすぐ、彼女のトラブルに首を突っ込み…

…こうも都合良く…少しトラブルに首を突っ込むだけで…対応できてしまった。

…そう、あまりにも都合が良すぎる。

対応できたのはあさみさんが大きいが…

…ということはあさみさんが介入してくるのは想定外だった?

…っと、なんだこの考えは…

まるで、全部裏から操ってるやつがいるみたいな…そんな変な考え方は止めておけ…

そもそもこのトラブルは、そんな意図的に起こりうるものじゃなかったはずだ。

全て感情に任せた犯行、としか言いようがない。

…そして、そんなことは無いと…頭を降って考えを落とす。

僕のに、言いようがない不安を秘めながら。




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