第62話 面影

―なんで…

―なんで…僕だけが…


そんなことを、ずっと考えていた。

ずっと、ずっと。


あの両親クソ野郎と一緒にいた時も

孤児院でも

…今でも、ずっと。


―なんで、なんで僕だけが


…どれだけの恩義を受け取ろうと、

どれだけの愛情を注がれようと

数えきれないほどの…ほしかったものをもらっても…


この思いは、揺らがなかった。


ああ…反吐が出る



結局、自業自得だったんだ…

目の前で、彼女琴音さんが奪われることも

を見殺しにしたことも


…そうだ、なんでわすれてた。


孤児院に行く前。

僕には1人の友達がいた

唯一心を許していたのは、弟の春だけじゃない


天木 逢日あいひ


そう、それが、彼女の名前。

あの、雨が強く降り付けていた日に、


…そっか…

これは…天罰か。

僕みたいなやつが、生きる必要なんてない

僕みたいな…クズが…!


「やめなさい。」


路地に静かに響いた、鶴の一声。

そこにいたのは、身体中を汗で濡らしたあさみさんだった。

「げ…あの時の…」

ふと気づけば、僕は、無事なところを探すのが難しいほどに殴り付けられていた状態だった

そんなことは…どうでもいい

どうでもいいんだ

とにかく…死にたかった。

もうこの現実から、とっとと消えてしまいたかった。

死んだところで、失われた命は還らないのに。

死んだところで、彼女と同じ場所に逝ける訳ないのに

死んだところで…何も状況は好転しないのに

…もう、僕はなにも考えられなかった。


「…」

そんな僕を見て、あさみさんの怒りは既に、ピークを越えようとしていた。

「…今すぐ…二人を放して消えて…?私も我慢の限界ってものがあるのよ…」

「はぁ?今さらなんなんだよオバサン。そっちの女は俺が連れて行くし、このガキはここでボコボコにする。我慢の限界?それは俺も限界だよクソババア」

「…もう…もういい、もういいわ…なんかもう…言葉が通じないことはちゃーんと理解したから、ごちゃごちゃ言ってんなよガキが…」

もう、全部吹っ切れたとばかりに、あさみさんは吐き捨てる。

そして、ごく自然に、場違いなほどに自然な動作でゆっくりと歩き進める

そこからはもう、一瞬だった

歩く速度を維持しつつも、なお自然に

歩く動作のまま、右足を一気に左へと振り抜く

その勢いのまま、左脚を軸に転身てんしん

そして、回って返る脚が男の脇腹にぶち当たる

完璧な、回し蹴りだった。

ただ、それだけでやめるあさみさんではない

モロに回し蹴りをくらってうずくまる男の顔面に、容赦の欠片もなく殴りかかる

マウントを取って、何度も、何度も…

そして、気が済むまで殴り付けていた


「…」

殴ったところで、まるで何の変化も見せない。

最初から最後まで…あさみさんの瞳はずっと曇っていた。

殴るほどの価値を、男に見出みいだせなかったからだ。

それでも殴ったのは、昔馴染みのあの、死んだ瞳をした少年がこの町に来て…『蓮』として変わろうとしていたからだ。

放っておけば、きっと何かのはずみに死んでしまうであろう彼を、守りたかったんだ。

…でも…これがあの男のせいなのかは知らないけど

蓮は今…

蓮の瞳からはもう、『生きたい』なんていう、生物共通の想いは…すっかり無くなってしまった。


それがすごく…虚しい。


「…キミにだけは…まで来て欲しく無かったんだけどなぁ…」


思わず…ぎゅっと、彼を抱き締めた。

まるで亡霊のように生きる自分に、彼が重なった。

「…虚しいなぁ。」

まるで彼の全てを象徴するような「ハスの花」という名。

泥に咲くつぼみが、いつかは、美しいハスの花として花開くように…

更に…強く力が籠る。


―願わくば…彼にもいつか…報われる日を…

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