第11話 雨の日、のち晴れ(8)


なんとか、川から這い出て、重たい天人の体を洞窟の中まで運ぶ。

雨は降ってこないので、これ以上濡れる心配はなさそうだ。けれど、もう既に全身びしょびしょ。このままここにいると、体の体温が奪われていって、一度瞼を閉じて仕舞えば開かないであろう。

ハルは隣で、弱々しく胸を上下に動かす天人をじっと視た。

「………お前、死ぬ………?」

そう話けると、ハスキーな声が返ってきた。

「………………」

「え、何。聞こえない」

「………勝手に、殺すな……少し、疲れただけだ」

「いや、それ、死ぬ人の前のセリフでしょ」

「……………」

それ以上の返答は返ってこなかった。

ハルはむしゃくしゃな気持ちのまま、止まない空を見上げる。

もう、野焼が追ってくる気配もないし、雨が止むまではここで雨宿りするのも得策かなって思う。

目線だけ、天人をみた。

…………それまで、こいつって持つのかな………。なんか、もう死相出てるんだけど。

試しに、目を閉じている天人の前で手を振ってみる。

「……………」

変顔してみる。

「……………」

ばーか、あーほ、まぬけ。

「ぐぇっ」

勢いよく脇腹を拳で殴られた。

ハルは少し涙目になりながらも、また天人の近くに寄った。

「なんだよ、起きてんじゃん。死んでないじゃん」

「……だから、殺すなっつっただろ………。あー、なんかもう寝てらんないわ。寝てたらお前に殺されそうで怖い」

天人は、重たそうに上半身を起こした。ガタガタと震えているし、顔色も唇の糸も悪い。

ハルはあぐらを描いたまま、黒手袋のついた自分の手を見つめた。

ハルの力は、外傷を治すことはできるけれど、内面を治すことはできない。傷口がないと、臓器も皮膚の細胞も治すことができないのだ。今の天人は見た所無傷だし、体温がうばわれていっているのは、水で寒さ故の、内面的な機能が低下していっているからである。おまけに、彼が抱えている痛みの精神的な部分はハルにはわからない。

火の起こし方ぐらい知っていれば、天人を温めることも、ハル自身を温めることもできるんだろうけれど、ハルはそれすらも知らない。

今この場でできる手段は、たった一つしかない。

できれば、使いたくない手。普通のままでいたいという、彼を変えたくない。そんな天人の思いを捻じ曲げたくないというハルも気づいていないような優しさが、次第に天人に向けられていた。

ハルは静かに手袋を外す。

「ねぇ、天人」

「…なに?」

「天人は、普通のままでいたいんだよな?だから、本契約のこともためらっている。そうでしょう?」

「………………」

「ハルはね、実は佰乃と血が繋がっていないんだ」

ハルは立ち上がり、向こう側に広がる鋭い石を拾う。天人は眉を動かした。

「血が繋がってないって、お前達双子じゃなかったのか?」

「違うよ。ハルは八年前にこの町へやってきたんだ。東家の養子として引き取られて。それ以前の記憶はないし、ハルがどうして義足なのか、一体自分が何者で、どこから生まれたのかもわからないんだ」

「……記憶喪失って、ことか?」

ハルは拾った石で手のひらを思いっきり傷つける。

ポタポタと血が流れた。

「うーん、それもちょっと違う。記憶喪失じゃなくて、記憶損失っていった方が正しいニュアンスなんだけど、まぁ、そこはどうでもよくて。ハルが言いたいのはね、こんな僕でも普通に生きてるよってことなんだ。……まぁ、確かに天人の言う普通とはちょっと違うかもしれないけれど、それでもハルはこれが普通だと思って生きているよ」

だからね、つまりハルが言いたいのは、どんな状況下でも、自分が普通に行きたいって思えば、それが普通なんだよ。その人にとって普通に生きているってことなんだよ。周りからの定義なんてどうでもいい。そういうものなんだ。

ハルはポタポタと滴る自分の血を天人の前に差し出す。

「……それを飲めって言ってんのか?」

「そう。少しでも舐めれば、ちょっとは体調良くなると思う」

「いや………、流石に無理。他人の血を飲むなんて吸血鬼まがいのことできない………」

「つべこべ言わずに飲む!はい!」

ハルは自分の手のひらの傷口を天人の口元に持っていくと、強引に喉へ通させた。

ぬるっとした暖かい液体が口内を満たす。

「……やっめろ!馬鹿!」

しかしすでに天人の体内に入り込んだハルの血は、なんだか、胸の内を暖かくしていくようだった。循環する冷え切った血液達が少しずつ温まっているのが分かった。なんだか、心地が良かった。

「もっと飲む?」

傷口から垂れる血を差し出してくる。天人は咄嗟に視線をずらした。

じゃないと、本当に欲してしまいそうで。

「いらないよ……。もう十分温まった……」

「…ハルは嘘つきが嫌いって言ったよね」

「………ッ!」

ハルは強引に天人を振り返らせ頬を掴みもう一度、血を天人の喉へ通した。

「天人が死ぬと、佰乃が悲しむんだ。だから、ここは大人しくハルに治療されてろっ!」

「なんで佰乃が悲しむんだよ」

「知らないよ、ばぁか」

天人が一通り飲み終わったのを確認するとハルは、口元から傷口を離す。

ハルは天人のそばから、離れると、もう片方の手で傷口を更生した。これでさっきまでの傷は綺麗に消えた。

天人は口元に垂れるハルの血を拭った。

なんだか、流れで飲んでしまったが、人間を捨ててしまったような気分だった。

天人は深いため息をついて頭を抱える。

………はぁ、何やってるんだ俺………。

反省する。しかし意とは反して体の中はポカポカと暖かくなってきている。さっきまでの冷え切った感覚はどこへ。

「お前の妖力ってこんな使い道もあったんだな………」

「うーん、まぁ………ね」とハルの生半可な返事が返ってくる。

ん?と振り向こうとしたら、背中からトンとハルが寄りかかってきた。

「お、おい」

「…疲れた……」

そう言うと、スースーと寝息を立てて眠っているのが天人の耳には入ってきた。

こいつ………、人に血あげといて勝手に疲れてるんじゃねーよ。でも、まぁ……。

天人は雨が弱まってきた空の行先を眺めた。

きっと、さっきの言葉も、今の行為も、俺を救ってくれるためにしてくれたことなんだろうな。


「ありがとう、ハル」

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