第8話 雨の日、のち晴れ(5)




天人の振り絞り出る悲鳴が、三人の脳内に干渉した。

濁点だらけの悲鳴が、三人の心に響き渡る。

舞子は、ぎゅっと服を握りしめた。そして、意を決したようにレインコートを羽織って立ち上がる。

今すぐ、あーくんのところに行かないといけないような気がして、軒下にある靴に足を入れる。


「……どこにいくんだ?」


障子の影から袖に手を突っ込んだ源郎が姿を表した。

舞子は、「あーくんのところ」と即答する。

「行ってどうする?」

「決まってるじゃん!助けるの!あーくんを、このまま一人になんてしておけない!」

「天人の所へは、もう既にハルが向かっている。何もお前までいく必要はない」

「何よ!私じゃ戦力外だって言いたいわけ?あのね、私だって、戦える時は戦えるんだから!あーくんの役に立つんだから!」

「……違う。今のお前が行っても、天人にとっては嫌味にしかならねーんだよ」

は?と舞子は、靴紐を結ぶ手を止める。ポタポタと軒下端部分から雨が落ちては地面の水溜りに吸い込まれていった。

源郎が面倒くさそうに頭の後ろをかく。

「本契約しただろう。お前は」

「したけど、それが何?」

「彼奴は、してない」

「だったら、すればいいじゃん!私が、今から連れてきてさせてあげるよ!そうだよ、そうしたら、あーくんの精神状態はもっとよくなるじゃん」

今はきっと、仮契約状態でその上、あーくんにとっては辛いこと続きだから精神が不安定なんだ。それを治せば、少しはあーくんも……――。

「冷静になれ、舞子。彼奴のことで思考よりも先に口走る気持ちもわかるけど、今はそんなこと言ってる場合じゃねーんだよ」

「じゃあ、どうしろっていうのよ!というか、なんで、あーくんは本契約しないのよぉ…!」

舞子は、もう自分でも何が何だかわからなくなって、ただ小さな子供のように縁側に座り込んだ。

源郎は、舞子のそばに座る。ひたすら降り続ける曇天の空を見上げる。


「……あいつは、“普通”の学生なんだ」


舞子は鼻をすする。


「“普通”でいたいがために“普通”でいることを諦めたくない。そういう奴なんだ。ある意味、諦めを知っちまってるお前らとは、見ている景色が違うんだよ。……彼奴は佰乃とも、お前とも、最初から見ていた景色は全く別物だったんだよ。」

私が、諦めを知っているっていうの……?


「ああ、だってそうだろう?お前の将来は町長って決まっている。それも神ノ条家の子供として生まれた定め。お前はいつの間にか、普通の子供だったら夢見る自分の将来を…当たり前に志す夢を諦め、町長になることを受け入れている。それがこの町の為でもあるから。違うか?」

珍しく源郎に図星のことを言われ、舞子は口を紡ぐ。

そして、頭にはいくつもの描いていた自分の人生が浮かんだ。それもいつしか見なくなっていたんだ。自分の知らないうちに……――。

本当は、皆と同じように学校終わった放課後は誰かの家に行って遊びたかった。

誰かと一緒に公園で遊びたかった。時には水風船をして遊んだり、親に来られたり、家に帰る時間を破ったり。

中学生になって、高校生になって寄り道とか、部活とか入りたかった。

私だって、プリクラとか撮って、女の子とキャッキャして、恋バナして、寝坊したり、授業中居眠りしたり、当たり前のように胸を焦がすような恋をしたかった。


普通に生活したい。

普通の子供でいたい。


舞子は、源郎のことを弱々しく叩いた。

分かっていたことだ。

私とあーくんは違う。

初めて会ったあの日から、あーくんと私は全く別のものを見て生きているって分かってた。

あの子は普通の家庭で、お母さんがいてお姉さんがいる。

私の隣の家に引っ越してきた男の子。

たいして、家は隣であっても、私の家の敷地はあーくんのお家の何倍で。

見た目だけじゃなくて、心でも、あーくんと私の間には一線が引いてあるって。

でもそんなの知りたくなかった。

同じでいたかった。

私も、普通の子だって、あーくんに知って欲しかった。

そんなの傲慢だって知っているけれど……それでもすがっていたかった。私にはあーくんしかいないから。

源郎は優しく舞子の頭を撫でた。頭部から伝わってくる熱は恐ろしく冷たい。

「どのみち、この雨じゃ彼奴らのところにはいけない。あいっつらも今の状態で小野内とかいう奴とやりあうなんて、馬鹿なことは考えてないだろうよ。ここで、彼奴らを待つか、夜が開けたら迎えに行こう。最悪の場合には東の子が助けに来る」

舞子はそのまま源郎の方へと寄りかかった。

「なんで………、征爾さんが助けに来るって、わかるの………?」

すると、源郎は少し意地悪そうに笑った。口元から覗く八重歯が鋭かった。


「俺様には、わかるんだよ」


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