第7話 雨の日、のち晴れ(4)



近くに生えている木々たちもゆさゆさと揺れ、さらに大粒の雨が頭上から落ちてくる。

「なんだよ…………今の……」

『あーくん!あーくん聞いて………――が、――――……』

何か、舞子が言っている。切羽詰まった声で俺に伝えようとしている。

聞かなくちゃ。

聞かないといけない。

そんなことわかっているのに、俺は舞子からの干渉から次第に遠ざかっていった。反して、俺の足取りはゆっくりと斜面の土の上を歩き、目に見えるそこへ進む。


「………なぁ」


こんなにも雨は降っているのに。

こんなにも全身は濡れているのに。

恐ろしいほどに喉はカラカラで乾き切っていた。

少し、開けた空間が突然現れる。そこに佇むものを中心に小さな縁の空間ができていた。木々は突風で折れたように下を向き、その木を背にして倒れる音音の姿。

「この場合、やっちゃっていいよなぁ?」

その言葉は、俺に向けて放たれているのだろうか?

「……優一郎さん。その子供うさぎを今すぐ離してあげて下さい」

「いやに決まってるじゃん」

優一郎は、更に子供の首を持つ力を強めた。彼の爪が子供の首に食い込んで赤く滲んでいくのがわかる。

「離して下さい!じゃないと、そいつ死んじまう……!」

「寝言は寝て言えって教わらなかった?殺すためにこうしているんでしょう」

グギギギギギギギと鈍い音がする。

子供は足をばたつかせ、空を仰ぎ見るように頭を上げた。

「やめて下さいっ!」

子供の目が、カット開かれたと思うと、両腕がだらんと下に落ちる。

最後まで争っていた両腕が脱力した。

それから、光る砂の破片のようなものが子供の全身から放たれ、それは重力に逆らって上へと散っていく。

残ったのは、子供うさぎのきていた浅葱色の着物だけだった。

「うそ、だろ………」

天人は両足の力が抜けて、地面に落ちる。

たった今、貧乏神うさぎはこの世からいなくなってしまったんだ。

俺が祓ってあげるって約束したのに、貧乏神は祓われたのではなく、優一郎さんに殺されたんだ。

佰乃から聞いたことがある。

陰陽師の中では、祓い方に種類があって、一つは札を要して封印するやり方。二つは札で祓うやり方。東家はこちらを主要とする。なぜならば、その方が安全であり妖怪の魂を、正確に送り届けることができるからだ。反して、もっと残虐なやり方は、その妖怪を殺して魂を、送るやり方。これは西の連中がよくやることだから、こっちで見ることは稀にないと、そう教えてくれた。

しかし、小野内という人間は違った。

違ったんだ。

彼は、迷いもなく殺す。その手を汚し、振るう。

それがたとえ人間であろうと妖怪であろうと、彼にとってはきっと関係ないんだ。

「音音から………、離れろぉおおお!」

俺の咆哮は空まで響き、俺は重心を前のめりにして駆け出した。明らかに隙のある動き。こんなのでは彼を止めることができな。そんなこと自分でも分かっていた。けれど、今は悠長にそんなこと考えている暇なんてないだ。俺は、音音を救うと決めた。もう、決めたんだ!

「黙れ、堕とし者。今は、君に用はない」

「………!」

優一郎が右に手を振ると、天人の体も、何かの引力に惹かれるように横へ移動し床へ押し付けられた。

「なん、だよ………。はなせ!」

背中に腕を回され、上から奴の式神に押さえつけられる。

「黙れと二度も言わせるな。お前はそこで勝手に吠えてろ」

いつもの余裕のある優一郎の顔じゃない。

冷酷で、複雑そうで……。

なんだか、いつもより人間味のある表情で。

「可哀想に……。君は、あんな妖怪がいたがために、堕ちてしまったんだね」

優一郎は半分気絶している音音の顎を指先でなぞった。

音音はうっすらとした意識で、優一郎の顔を見る。

家を出た途端にいきなり襲われて、この山に逃げ込んできてもなお、場所を当てられて逃げ場なんてなかった。

音音は霞む視界の中、兎の姿を探す。けれど、そこにあるのはあいつが着ていた浅葱色の着物だけだった。その瞬間悟った。

嗚呼、そうか……。僕たち失敗したんだな………。あいつは、先に送られてしまったんだな……。

僕だってもう動ける余力なんてない。きっと、送られる。そうか、そうだよね……それで、いいんだよね?

「誰に教えてもらった?」と目の前にいる人物から話しかけられる。

彼の黒い瞳が僕を覗く。

「堕ち方なんて、普通の人は知らないものだよ。一体、誰に教えてもらった?」

「…………誰って………。小さな女の子…………。僕を、救ってくれるって……そう言ってた………」

「……そうか。それで君はまんまと騙されたわけだ。ああ、本当に哀れだよ。僕が今すぐ、君を解放してあげる」

優一郎の角ばった人差し指と中指が、音音の胸元に突きつけられる。


その時、

「音音ッ!」

「……藤崎…………?」

僕の耳に入り込んできた、彼奴の悲しく叫ぶ声。

僕の名前を呼んでいる。

「俺は、お前ともう一度話がしたい!もう一度、あの頃みたいにくだらないことで笑い合いたいッ!同じ夢を志した友として一緒に、これからも………これからも、歩んでいきたい…………。音音………。だから、俺は………」

胸元がだんだんと光出す。

暖かな光が、雨で冷え切った僕の体を包み込むように温めた。

「………お願いだ」

藤崎の絞り出すような声が僕の耳には、遠く聞こえた。



お願いだ…………。

………―――――――。


僕はその言葉を聞いて、更に胸の奥が暖かく、喉からカッと燃えるように涙腺が壊れた。

胸が温かいんじゃない。

これは、心の奥が暖かいんだ。

僕はきっと、彼が差し伸ばしてくれた手をようやく正直に掴むことができた。たとえそれが過去形になったとしても、僕は満足なんだ。


さよなら、藤崎天人。

僕の、大切な友達。

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