ACT藤崎天人



+++ACT藤崎天人


俺が救えなかったのは、佐々木音音だ。

中学3年生の時に、俺は音音を救うことも、手を差し伸べることもできなかった。俺が彼を追い込んでしまった。たとえどう足掻こうと、その事実が変わることはない。俺のした判断が何もかもか違っていたのだ。


中学3年の後期中間テスト直前、問題要旨の流出問題が起きた。

「あ、おい。天人。これ、国語の問題用紙じゃねーか?」

そう言って、印刷機の側から海都が持ってきたのは『後期中間テスト問題用紙』とかかれた、一枚の用紙だった。幸い、紙は一つしかないようだ。天人たちが間違えて印刷してしまったということはない。

「やばいな。早く、職員室に行って先生に返してこい。多分、忘れていったんだろう」

国語の教師は、この生徒会室をたびたび使う。

忘れ物をしていくこともあるけれど、テスト用紙を忘れていくとは、とんだ間抜けだなと海都が笑ってドアをスライドさせた時、

「待てよ」

廊下から、音音が入ってきた。

佐々木音音は、生徒会メンバーの一員で、書記を務めていた。彼は、今のように帽子もフードもかぶっていない、綺麗な顔立ちをした学生だった。

「それ、問題用紙だろ?だったら返さずに、印刷すればいいじゃねーか」

「何、言ってるんだ」

「お前は、生徒の味方だって、言ってたじゃないか。この大事な時期に成績を落とすわけにはいかない中三がたくさんいるんだ」

つまり音音は、問題内容を流出させようと言っている。

「莫迦な事言うな。帰れ」

天人は、海都に早く職員室に行ってくるよう促すと、海都は颯爽と生徒会室を出て行った。その時は、音音も自分の言ったことを反省したように、とぼとぼと帰って行った。

実際、彼は成績が危うかった。今度のテストで良い点数をよらなければ推薦がもらえなくなるほどの。南高校には進学せずに隣町の私立に行きたいと言っていた。目指しているところが高いと言うこともあるけれど、焦る気持ちもわかる。けれど、日頃の行いから見て彼は心から不正がしたいと思っている男ではないと、天人は理解していた。

音音は誰よりも、努力を惜しまない男で、書記として字が汚いといられたら、翌日には綺麗に書けるようになってくるような、そんな男だった。

俺は、そんな音音が理解できたし、嫌いじゃなかった。その努力する後ろ姿が眩しかった。


しかし、流出問題は出てしまった。


勿論、犯人は音音ではないことは知っている。だって、あのとき海都がきちんと職員室に返しに行ったのだ。けれど、あらぬ方向から展開はガラリと変わってしまう。

「佐々木。お前今回国語のテスト、満点だったな」

クラスメイトの前で、教師は彼にそう告げた。同じクラスだった俺も驚いた。

なぜ教師はそんな言い方をするのか。

なぜ、みんなはそんな目を音音に向けるのか。

「ち、違う……。僕は、やってない………」

しかし、彼の声は誰にも届かなくなっていた。今回の中間テストに身を注いでいたものもいたはずなのに、そいつらにとっては自分たちの努力がドブに捨てられたようなものだ。そしてその矛先は、最も簡単に音音に向かう。

音音は、孤立してしまった。

誰も、彼を許そうとせず、自らに向けられる視線は冷たい視線。そして、彼の異変に気がつくものもいなかった。


ある日の放課後、俺は音音の姿を目にした。

音音はトボトボとした後ろ姿で裏の倉庫へ向かう。肩にはカバンがかけられ、片手にはゴミ袋が握られているのを見るところ、帰り際にゴミ捨てでもしているのだろうと思った。

天人はボンヤリと頬杖をついて生徒会室の窓から彼の姿を見ていたのだが、音音に近づく教師たちの姿に気がついた。

「確かあれは………」

教師は後ろ姿で顔が見えないので定かではないが、あの体格の良さは体育の先生だろう。確か、音音が所属するサッカー部の顧問の猪山だ。それに、国語の木本先生も一緒にいる。二人は音音に近づくと何やら話しかけて、彼の手を引いた。音音は明らかに嫌がっている顔をしていた。

そのまま二人は裏にある倉庫の中に音音を連れて行った。

あそこになんかあったっけなー?と天人は頭を捻る。

サッカー部の用事なら、そもそも体育倉庫だろうし、木本先生がいる理由が見つからない。ということは、整備委員の用事だろうか?確か、猪山先生と木本先生は整備委員の担当教師だ。

丁度タイミングよく、海都が入ってきた。

「なあ、海都」

「なんだ?」

「猪山先生と木本先生は整備委員の担当だったよな?」

「あ?…ああ、確かそうだったような…」

「じゃ、佐々木は?」

「佐々木?」

「佐々木音音。あいつ、整備委員だったっけ?」

海都は、棚にしまってある委員ファイルを取り出すと、整備委員の生徒リストから音音の名前を見つけ出し頷いた。

「ふーん」

俺は再び、窓の外に目を向けると、丁度倉庫から出てくる二人の姿が見えた。二人の姿はあるけれど、音音は出てこない。なにか、仕事を一人で任されているのだろうか?

そんなぬるいことを考えながら、天人は席をたった。

「わるい、海都。俺ちょっと席外すわ」

「は、はぁ?今日は、委員長会議だろう?もうすぐで始まるぞ」

「ああ、それまでには戻る」

ちょっと、手伝いに行ってくる。そんなノリで天人は倉庫に向かった。


盾付きの悪い、重たい扉。

男子中学生でも一人で開けるのには重い扉を、天人は精一杯開けた。

相変わらず、真っ暗でしけった雰囲気の倉庫だ。

「おーい、音音。いるんだろう?何かやってるなら、手伝うよ」

薄暗く広い倉庫を歩いて、帰ってこない返事。代わりに次第に、天人の耳には啜り泣く声が聞こえてきた。

「……音音……?」

サッカーボールの入ったカゴの影に床に横たわって泣いていたのは、右目の瞼の上から血を流した音音だった。小さく体を縮こませて、流れる血を止めようと両手を赤く染める。

その時、

「ああ、藤崎の姿が見えないと思ったら、ここにいたんんだ」

「見られちゃったかー」

背後から声がして、天人は恐る恐る振り返った。

そこには、いつもの何倍も怖く見える、猪山と木本の姿があった。

状況が分からず反応が遅れてしまった天人は、最も簡単に猪山に背後を取られ、首筋にカッターのような刃物を当てられる。腕を縛られて肩の関節が鈍い音を上げた。天人の目の前で床に横たわる音音は木本の持つハサミを首筋に当てられ、動こうにも、お互い動けない状況になってしまった。

嘘だと信じたい。

これは何か悪い夢だと。

教師が生徒を傷つけるなんて、ましては生徒に刃物を向けるなんてそんなの何かの間違いだ。しかしいつまでたっても彼らの手は緩まない。むしろ、首の薄皮に刃物が食い込んだ。

「せ、先生。これは……」

「喋るな、藤崎。私たちは本気だ」

本気だと言うその言葉が、ひどく恐ろしかった。身体の髄まで震え出す。でもきっと、音音は俺よりも怖いはずだ。傷つけられて泣いて蹲る音音の姿を見て、天人は怖くなった。

「ここで見たことは一切公害するんじゃないぞ。佐々木の怪我は、倉庫で整理をしている時に謝って切ってしまった。誰かに聞かれたらそう言うんだ」

「先生…俺………」

「お前も、あいつみたくなりたくなければ言うことを聞け。さもなくばあいつは退学だ」

たい、がく…………?

お前たちがした行為で…――そんなくだらない理由で音音を退学にするのか?

音音は眉を吊り上げて天人に向かって吠えた。

「藤崎!こいつらを殺してくれ!今すぐにだ!こいつら、二人とも………ぐっ!」

「黙れ、佐々木!」

誰かに聞かれたらやばい。そう思っているのが木本の表情から読み取れた。

「さぁ、藤崎はいい奴だからな。わかるだろう?この状況だ。自分が何をすべきなのか」




悪魔のような囁きが俺の体内に入ってくる。

俺は、溢れ出る冷や汗で体温を完全に失ってしまっていた。目の目が真っ白になる。色が、消えていく。白と黒の世界の向こう側で、音音が泣いているのが見えた。

俺は、俺はどうすればいい………?

俺は、お前のために役立ちたい。だけど、どうすればお前のためになる?退学させにないことか?それとも、お前の憎いこいつらを殺すことか?

俺は、何をしたら正解なんだ………。



だから、兎。お前のせいじゃないよ。

音音が塞ぎ込んでいったのは、俺のせいなんだ。

全部、俺のせいなんだ。


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