第2話 依頼(2)
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「僕は、佐々木音音さんの家に住み着く貧乏神です。みんなからはうさぎと呼ばれています。僕が佐々木家に住み着くようになったのは、先代の貧乏神が代替わりをしたからです。僕は気がついたら佐々木家の押し入れで寝ていました。目の前で過ぎていくいくつもの足取りを眺めながら、自分の存在を認識しました。僕は、文字通り貧乏神ですから、その家を幸福にすることはできません。というか、僕は彼らが生活に追い詰められ絶望していくときに放たれる“魂”を食らって生きています。むしろ、それがないと生きていけません。……きっと先代はそれができずして、僕が生まれたのでしょう
「僕が自分で今何を言っているかわかります。こんな妖怪の大切なことを話してしまっては、僕は祓われるでしょう。ですが、あなた方だからこそ話したのです。どうか、僕を祓ってください。そして、どうか、音音さんを救ってあげて下さい」
四人の前で正座をして、丁寧に頭を下げる兎。耳の裏はほのかに桃色がかっている。
「祓うって意味、本当にわかっているの?」
「はい」
「代替わりもないのよ」
「はい、承知の上です」
代替わりがない………それはつまり、この兎の後継はなくなり、存在が消えてくということ。普通の妖怪ならば嫌うことを、彼は”してほしい”と云うのである。
「……一応、理由を聞くわ」と佰乃は座る体勢を変えて、舞子の隣に腰掛けた。舞子は今、自分のベッドの上で体操座りをしている。ハルは、壁に寄りかかり、黒手袋をつけた手はコートに突っ込んでいた。
兎はギュッと拳を握った。
「僕が、生まれたのは音音さんが中学3年生の、去年のことです」
天人は、突然頭に走った痛みに苦痛の表情をうかべる。しかし諭されまいとすぐに表情筋を動かした。
「音音さんは、次第に心を閉ざし、部屋に籠るようになりました。僕は妖怪ですが、あなた方に最初見せた姿である兎になれば、人の目にも止まります。なので、僕は音音さんの部屋で飼われていました。けれど、僕がそばにいればいるほど、僕は彼を不幸にし、その魂を食べてしまう。そりゃあ、人間の魂は美味しいですし、僕的には生きていられるのであれば満足でした………。でも、やっぱり音音さんが壊れていくのは、みていて苦痛でした。僕は、彼を救ってあげたい。いつしかそう思うようになり、今こうして皆様にお願いしているのです。どうか、僕を祓ってください。彼を救えるのであれば、なんだってします」
健気に頭を下げるその姿が四人の目には、人間と同じように見えた。
妖怪だって人間と同じように生きている。そう、思えてしまった。
食物連鎖の頂点に君臨した人間の脅威は、もはやいないと同じ。人間の魂を喰らう妖怪を、陰陽師たちは祓うことによって彼らの命もまた、奪っている。そこにある、小さな光を奪っている。
そんなこと、考えちゃダメなのに……。考えたらダメだとわかっているのに。
本契約の件もあって、四人の精神は揺れ動いている途中だった。
今、自分たちは何をするのが正解なのか。
何を選ぶのが、正解と言えるのだろうか。
果たして、何の為に、こんなことをしなくてはいけないのか。
刹那、あの日の記憶が天人の脳内に流れ込んできた。自分が救えなかった友の姿が残像となってカーテンのように揺れ動く。
−−まるで壊れかけのテレビのように。
無意識のうちに震える手先を、天人はしっかり隠す。
「………あーくん?」
しかし、舞子は鋭い。異変に気がつくのは容易だった。舞子は天人の震える指先から彼の表情へと視線を動かした。
そして、今天人が何を思い出したかも、彼女には容易に理解できることだった。
「……思い出してたの?あのこと」
「ああ…………」
「少し、水を飲んだ方がいいよ。私、取ってくる」
そういうと、舞子はベッドの横から床に足を下ろして、部屋を出て行った。
部屋に取り残された四人は、重たい沈黙と共に息を吸う。やがて佰乃は言った。
「あのことって……何?天人」
自分に刺さる二人の目線が痛い。
「……大したことじゃないよ」
「嘘つけ。ハルは嘘つきが嫌いなんだよ。吐け、この野郎」とハルは後ろから天人の背中を蹴った。蹴られたところ天人はさすりながら、もう一度兎の目をみる。
こいつに……、これを話して、果たしてそれでいいのか……。
俺はまた、何か間違えてしまうのではないかと。
「おい、言えや。こらぁ」
背中をぐりぐり押されて、天人はガクッと項垂れた。
「……−−言いたくない」
「はぁ?」
その時、タイミングよく舞子がお盆にコップを乗っけて入ってきた。ハルが天人に乱暴を働く現状を目にして、机に乱暴にお盆を置くと、力一杯ハルを天人の側から突き放した。
「え、なに?」
ハルは多少よろけて、天人のそばから離される。思わず、口から漏れた言葉は、敵意を向けるものと同じだった。冷たい目線を投げるハルにたいして、舞子は負けじと双眼で見つける。
しかし、その体制は側から見ても、小動物が自分よりも大きな動物に無謀な戦いを挑んでいるようにしか見えなかった。
「なに。ハルとやり合いたいってわけ?」
「違う!そうじゃなくて………、あーくんにはこれ以上何も聞かないで!何かするんだったら、私が許さない」
「ちょっと、二人とも落ち着いて。どうしたの、舞子ちゃん」
場を和ませようと間に入る佰乃だが、
「くのんちゃんも!」と舞子は声を張り上げる。
「……今日のところは帰って欲しい」
「何か、隠してるの?」
冷静に問う。
カーテンの隙間から、光が差し込んできた。もう夜が明ける。
舞子は、問いかけるようにハルの顔を見た。
「ねぇ、はーくんならわかるでしょ。大切な人を守りたい気持ち。触れられたくない気持ち。私もそうなの。あーくんをこれ以上、傷つけてほしくないの。あーくんは十分傷ついたから」
わからないわけがない。ハルはポケットの中で手を握る。
ハルだって、佰乃を守るためのプライドはある。誰からも傷つけられたくないその気持ちは理解できる。
でも……。
「お前はそれでいいのかよ、天人」
こちらを振り向こうとしないその背中に話しかける。
「守られる側の立場で、いいのかよ」
「………お前に何がわかる」
「………は?」
その言葉がトリガーだった。天人は勢いよく振り返ると、自分の前に立っていた舞子の肩を掴んでどかせ、ハルの胸ぐらを掴んだ。
ハルは顎を上げ、見下ろすように天人の顔を見る。しかし、天人も負けじと思いっきり顔を近づけた。
「俺は、お前じゃねーんだ!お前みたく、何もかも捨て身で生きていけるわけじゃねーんだよ!俺だって、普通に生きたい。俺だって……普通に生きてる!怖いし、逃げたいものはある。自分が信じられなくなる時もある!お前みたく……人間味を捨てた生き物じゃねーんだよ…………」
思いの丈を吐露してしまった。
刹那、ハルはポケットから手を出して、天人の肩を押した。ハルに触れられた部分が煙を立てる。
「………お前、ほんっとうにクソ野郎だな」
「ハルッ!」
佰乃の声はハルの耳に届かず、一瞬にして部屋が荒れる。
天人に襲いかかったハルは歯止めが効かない。
部屋の隅に追いやられた佰乃は、震える舞子の肩を抱き寄せる。舞子が持ってきたお盆の上にあるコップはあっという間にこぼれ、床に砕け散った。
ピョンピョンと、兎は二人の足元に避難してくる。
『あの………僕が、何かしてしまったのでしょうか?やっぱり僕が貧乏神だから……』
兎の鼻がヒクヒクと細かく動く。佰乃は兎に手を差し伸ばして胸に抱き寄せた。
「違うわよ。大丈夫、あなたは何もしていない……ねえ、舞子ちゃん。隠し事をしているのなら、話してほしい」
「…………」
「ようやく、町を救う為に一歩踏み出し始めたの。こんなところで、仲違いしたくない」
「……私だって、プライドがあるの…。誰かを守るための…―――」
「でも、“守る“と、”救う“は違うでしょう?」
目の前で、荒れまくる惨状。これでは、舞子の部屋の回復は時間がかかるだろう。部屋が綺麗に治るまで、私の家に居候させてあげるか、などと佰乃は考えていた。
ハルは天人に襲いかかっては、天人をかすり、逃げられる。それでもハルの手に触れられた服の部分は、煙を立ててぼろぼろと分解されていた。
「天人の抱えている思いを覆い隠して、保存し続けることは“守る”とは言わない。それは逃げているのよ。あなたも、天人も。本当に“守る”っていうのは、“救う”ことと同じだと思う。舞子ちゃん。二人を止めてあげて……。そして、教えて。隠していること」
すると、「……助けて………」と掠れる声で舞子は泣いた。
佰乃は、優しく頷く。ズキリと、痛む胸の内を隠して――――。
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