第3話 偽善者(2)




+++


音音が木の素材でできた廊下の角を曲がって姿が見えなくなるまで、俺は動けなかった。

まるで、自分の中の時が止まってしまったかのように、足が動かなかった。もしかしたら、呼吸もしてなかったかもしれない。ただ、カタカタと窓にぶつかる風の音しか、俺には聞こえてこなかった。

誰にだろうか。

最近、同じようなことを言われた気がする。『偽善者野郎』って。


俺は、深く息を吐いた。


…………あっ。


刹那、頭に走った頭痛に天人は前頭葉ら辺を抱える。

やばいな……。やっぱり今日は体調がすぐれない。いつもの頭痛じゃなくて、頭がかち割れるように痛む。こんなの、源郎の力を受け継いでから初めてだ。放課後、源郎に聞きに行こうかな。あいつなら何か知ってるかもしれない。

俺は漸く、重く動かなかった足を動かした。その足で振り返って自分の教室へ向かう。


「ちょっとまったぁああああ!」

その時、背後から空間を切り裂くような甲高い声が聞こえ、ドンっと俺の背中に何かがぶつかった。

今度は、なんだよ………。

呆れ気味で俺は振り返ると、俺にぶつかったのはさっき別れたばかりの音音だった。しかし、さっきと明らかに違う。何かから、慌てて逃げてきたような、そんな感じだった。

帽子の隙間から覗く瞳が俺に何かをこうように震える。

「音音。お前………」

俺を深む手にぎゅっと力が入り、爪が服の上から刺さった。


「もしもーし、逃げないでくれますー………って、ありゃりゃ……非者がいるのかー」と、何かをぶつぶついうのは、今、音音がきた廊下の奥側に立つ一人の生徒だった。

この学校の制服を着ている。けど、あまりみたことがない。

……………一つ上の学年か、二つ上の学年だろうか?

背筋のよい茶髪の青年。きっとハルぐらいの身長はあろうかというほどのスタイルの良さ。おまけに溜め下がる目元が親しみやすさを演出していた。

彼の不器用に釣り上がった笑い方は、それまた誰かに似ていた。俺は冷静に状況を判断すべく、彼の学ランについているバッジの色が青色から、一つ上の学年の人だと知った。

「非者…………じゃなさそうですね」

まだぶつぶつと何か言ってる。

でも俺には“非者”って意味も、

彼の隣に立つ“透けた女の人”も意味がわからない。

「貴方………、もしかして……」

俺は、全力でそいつのことを視た。数秒の間、動けなくするために。

言葉の続きを言われる前に、音音の手をとって、逃げる。何が起こっているのかよくわからないけれど、このままここにいたら危険だと思った。突男の時に感じたような、本能的に「やばい」という信号が俺の体を動かした。

しかし、

「逃がさないよ……。僕の“野焼“からは逃げられないよ」

「……!」

刹那、振り返るまもなく、何かの強力な力によって後ろに引っ張られた。

襟元を思いっきり引っ張られるように倒れ、尻を木の床におもいっきりうつ。

……いってぇ………。なんだよ、俺、今止めたはずじゃん……。

俺と手を離した音音も床の上に足をついて目の前に憚る大きな“闇”に動作が止まる。

「音音!逃げろっ!」

声を荒げるが、音音の耳には届いてないように感じた。

くそっ!

俺は、立ち上がり音音の軽い胴体を掴んで、廊下の端まで引っ張った。ある程度できた距離感を保ったまま俺は彼を睨み続ける。

ズキズキと、先ほどよりも頭痛が頭全体に響き出し、吐き気が波を打って体を襲う。しかし、俺はギリギリのところで吐き気を抑え込み、目を細めた。

つーか。

天人はキョロキョロと廊下と、教室、外側の景色を視る。

なんで、こんなに騒いでるのに誰も気が付かねーんだよ。

俺の目には、微かだけど、この学校の学生の姿も、教壇に立っている教師の姿も視えている。だけど、誰もこっちを見ようとしない。外で風も吹いて、気が揺れて、枯れ果てた僅かな木の葉たちが散っているというのに、なんだか、まるで今俺たちがいる空間は別物のようだった。

「異空間」と爽やかな声で彼が言った。

彼は首を傾けながら、ジリジリとよってくる。透けた女の人は、彼の隣で、彼に手を握られて一緒に歩いていた。

「僕が作り出す結界の空間内は、その場しのぎの目眩し程度じゃなくて、異空間を作り出すんだよ。だから僕の結界内にいる限り、周りの人たちが僕らを認識することはできないし、助けを乞うこともできない」

結界……。

つまり、こいつは陰陽師ってことか。この学校に通っているということは、西にいる……なんだっけ?まあ、なんでもいいや。御三家の卑劣な奴らではないだけマシだ。

もし彼が東家と縁のあるのならば、と天人は考える。

「ちょっと待ってくれ。俺は東佰乃の同級生で、こいつは俺の友達だ」

「友達、じゃない」

俺の言葉に反対する音音の口を手が塞ぎ、俺は話し続ける。

「何で俺たちを襲う。陰陽師なら、どうして……――――」

「どうして?笑わせるなよ」

俺の言葉を被せるように彼は鼻で笑った。一歩ずつ近づいてくるその動きがスローモーションにみえる。

「僕はね、半妖がこの世で一番嫌いなんだよ。どんな妖よりも、どんな亡霊よりもね。だから、僕はこの夏にこの町であったことを決して許さないし、それの力を得て、のうのうと暮らすお前たちの気がしれない。征爾さんの子供だろうが何だろうがね、佰乃ちゃんだって同罪なんだからね?陰陽道の規約違反者なんだからね?」

天人はぐっと口を噛み締めた。

なんだろうか………。

この、彼から感じる悪口を超えた禍々しい怨。

半妖が嫌いなのではなく、それはまるで半妖自体の存在を嫌っているような深い闇。


「そもそも、僕は、君に用があってきたわけじゃない」

俺はキッと睨んで、後ろにいる音音を庇うように前に出た。絶対に勝ち目のない戦いに向かっている気分だ。

彼の隣から感じる只者じゃない女の人の雰囲気。おまけに透けてる。彼女は人間じゃない。

彼はゆっくりと彼女の方を見て、彼女の背中に己の手を回した。抱擁するように優しく抱く。

「今君が庇っているそのお友達さん。彼は、祓わなければならない」

「……祓う?」

彼の瞳の色が変わり、目から一滴の赤い涙が頬を伝った。

ポチャンと床に、――――いや、水面に水滴が落ちた。いつの間にか俺たちのいる空間の床は浅い水で満たされていた。

その瞬間、彼の足元から波紋のように模様が広がり赤く染まる。



ズキリ、と。


最後の一手を決めるかのような痛みが頭上から全身へ響き渡った。

それは、頭蓋骨をかち割るような頭痛で、俺は視界がゆっくりと傾き暗転してくのがわかった。

体が平衡感覚を失い倒れていく中で、俺は瞳の片隅に映る音音の顔を見た。


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