伍, 第二章【七羽のカラス】

ACTアイリス




+++ACTアイリス

 

兄達の話を聞いたのは、私が齢十二歳になる時だった。

其れまで私は、この生活に何不自由なく、何一つ疑問を感じることもなく過ごしてきた。多すぎる空き部屋や、高そうな男性の服があったりしても、何も疑問には感じていなかった。だって、この家には――この貴族、アウット家には私しか子供がいないと思っていたからだ。私は父上にも母上にも愛されてきて、家の使用人も私のことを「姫様、姫様」って呼んでくれて優しかった。だから私は家である城で、何不自由ない暮らしを得ていたのだ。

私の家はこの地域一帯を仕切る貴族で、住民は私の住んでいる丘よりもはるか下に過ごしていた。白の部屋から見える街はいつも賑わっていて、私もあそこに行きたかった。しかし、丘から下へ行くには時間がかかる。生まれた時から体が弱く、病気をもらいやすい私では、街に行くことなんて到底許されない。誰かが会いにきてくれることはあっても私から誰かに会いに行くことはできなかった。

ある日、父上は私に云った。

「そろそろ、婚約をする相手を見つけなくては。お前はじきこの街の王女になる。王となる旦那を見つける必要があるな」

「父上。私、王女なんかになりたくありません。異性とも結婚したくありません」

そう云うと、父上は眉を下げて笑った。大きな体で私のことを抱きしめる。

「……すまんな。すまん………」

その時は、父上の云っていることがわからなかった。

何故私に謝るのか。

父上は私に何か悪いことでもしたの?父上は、どうして涙を流したの?

自分の部屋に戻る途中。広い城の中で私は迷子になった。生まれた時から此処に住んでいるけれど、今だに城の全貌は把握していない。何処に自分の部屋があるのかわかるけど、何も考えずに歩いていたらいつの間にか迷ってしまうのだ。しかも、今日は日曜日。普段は付き添ってくれる使用人や、廊下に立っている使用人がいるけれど、日曜日の昼間は使用人達は出払っている。

私は諦めて、外に見える景色を見ながら、なんとなく歩くことにした。

「……ん?」

そして一つの部屋の前で足を止めた。

部屋のドアに、何かが掛かっている。埃がかぶってよく見えない。

私は服の袖でドアの表面を擦ると、消えかかっている文字が現れた。

「……ユーリア・レ・デ・アウット………?」

聞いたことがない名前だった。それでも、此処に名前が彫られていると云うことは、私の知らない親戚か、ご先祖さまだろうか?

気になった私はなんとなく部屋に踏み入れた。

薄暗くて埃臭い大きいな部屋。しかしまぁ、部屋が暗くても一通り生活に必要な家具が揃っていることは理解できた。

 部屋の中央に私の身長の2倍はありそうなベッド。幅は人が三人ねれるぐらい。そして、右側には服をしまう箪笥と鏡の置いてあるチェスト。左側の壁は本棚で埋め尽くされている。部屋全体を明るく照らしてくれるであろう窓は、ベットの向こう側が大きく切り抜かれており、今は閉められたカーテンの向こう側から木漏れ日が落ちている。

 一体誰の部屋なんだろう――――?

 私は部屋の中を徘徊する。

 すると、目についたのは箪笥の上においてあるいくつかの写真たて。写真縦の中にはさも同然のように写真が入っている。

 私は其れを手に取り、少しばかり埃を払う。部屋の中に差し込んでくる光の筋に埃が待って光った。

「………これは……、私………?」

七人の爽やかな青年達が囲んでスヤスヤ眠っているのは私だ。赤ん坊の頃の写真は山ほど見たことがある。私である確信がある。

しかし、となるとこの青年達は一体誰なのか?

私は写真を裏返してみた。すると、写真の右下に綺麗な筆記体で「Γιορτάζοντας τη γέννηση της αγαπημένης μου αδερφής. Από τον αδερφό μου.」と綴られていた。

意味は―――――。

「愛する妹の誕生を祝して。………兄より。………お兄ちゃん……?」

 私ははっと顔をあげ写真から目を離した。この部屋の全体を見渡す。

 誰かがかつて使っていたとしか考えられないこの部屋。もしその持ち主が、私の……会ったこともない兄だとしたら……?

 私は部屋を飛び出す。

 足の脛よりも下にヒラつくスカートがくすぐったい。邪魔。私はもっと早く走っていきたいのに。此処が城の何処なのかわからないけれど、兎に角足を動かさずにはいられなかった…早く父上に会いたい。早く母上に会いたい!

 会って、話をしなければと思った。


「父上!母上!」

 いきなり、声を裏返して今に飛び込んできた私に父上と母上は手を止めた。

 母上は編んでいた編み物を足元に落とし、父上はしまおうとしていた本を足元に落とした。本の角が靴の上から父上の足に直撃し鈍い音がする。

「いったぁ…………。どうしたんだい?アイリス。そんなに汗をかいて。ああ、ドレスの裾も所々汚れてしまってるではないか」

 父上は手を広げて私に近づいた。そしてしゃがみ込んでドレスの裾についた埃を払う。

「ねえ、父上」

「なんだい?」

「私って、お兄ちゃんがいたのね」

「……アイリス……それをどこで…?」

「ねえ、どうして隠してたの?どうして教えてくれなかったの?いけないことなの?何か、悪いことでもしちゃったの?………それとも、死んじゃったの……………?」

「………」

「ねえ、黙ってないで教えてよ、父上!お願い!私にお兄ちゃん達がいたのに、なんで隠してたの?なんで、何も教えてくれなかったの!」

それから、

重力に逆らってこぼれ落ちた涙が床に落ちた瞬間弾けた。雫に反射して写った光の筋がまぶしかった。




 父上から聞いた話はあまりも悲しい物語だった。

 私のために、私のことを思っていてくれた兄たちを、父上は軽率な言葉で消してしまったのだ。

「そんなことになるなら、言わないでよ!そんなこと、お兄ちゃんたちに頼み事なんてしないで!軽々しく、言わないで!」

「私も、反省している………。一度言ってしまった言葉は取り消せない。…あの時は軽率なことをしたと思っている」

「じゃあ、なんで…!」

「もう遅かったんだ。……気がついた時には私が出来ることなんて、なかった。丈夫に生きることができたアイリスを、大切に、愛して育てることがせめてもの報いだと思ったんだ……」

そんなもの…………。私は求めてないわよ……。

「もう二度と………」

「アイリス………」

私は、涙を降りしきって顔を上げた。

「もう二度と、そんなこと簡単に言わないで!」





それから、自分が何したかなんて正確には覚えてない。

兎に角、お兄ちゃん達を探すことを決めたから、家から必要最低限のものを持って飛び出したんだ。城から出たことがない私はどこに行けばいいか分からなかったけれど、諦めることは私の選択肢になかった。

歩いて歩いて、探して、時に裏切られて、初めて傷ついて。

私にとっては何もかもが初めてだった。

そして、お兄ちゃんを探し出すことができずに、私は人生の幕を閉じた。

けれど、私は、亡霊となって生き返った。

お兄ちゃんの存在を探して、神様が魂を変換してくれた。

亡霊だから、生前よりは明らかに探しづらいけれど、それでも手がかりはあったし、後少しだと確信している。


そして私の願いが通じる時がやってきた。




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