第3話 誓い
二
世の中はいつだって不条理で。
嘆くことさえも、
放り出すことさえも、
ハルには許されていない。
ハルは「楽」であり、その言葉がハルを形成してるから。
だけれど、なぜだろうか。最近凄く色々な感情が勝手にハルの心に居座る。許可した覚えは無いのだが。
此処で少しハルと佰乃の出会いでも語ろうかな。如何せ、いつかは語らなくちゃいけないことでしょう。だったら、今話しても問題ないよね?
ハルと佰乃が出会ったのは今から大体八年前。七歳の時だった。
抑、ハルは日本の西の方に住んでいた。
うーんでも、住んでいたというよりもそこで生きていたっていう方が正しいかな?
皆さんご存知の通り、ハルに右足は存在しない。
その代わり高度な義足がある。それも藍沢先生のおかげなんだけど、此処で彼女のことを説明してる暇はないので省くね。まあ、あとで怒られそうだけど。
それはそうと、ハルは右足が無いけれどその理由を知らない。気がついたら右足はなかった。もしかしたら生まれつきなかったのかもしれないし。事故で何処かに落としてきたのかもしれないし、その真相は分かってない。
ハル自身、あまり気にしたことがなかったので追及したこともない。否、六歳より前の記憶が存在しない為、気にする必要もなかった。
そう。
ハルは所謂、記憶損失だ。
「記憶喪失」ではなく、「記憶損失」なのだ。
記憶を失った記憶がなければ「記憶喪失」とは言わない。
ハルの人生はまるで、始めから六歳より進んできたということ。其れ以前の記憶はからっきし存在しない。でもまぁ、其れも真相がわかっていないので、こうして定期的に検査を受けたりなんやりしているんだけどね。
珍しい?こんな子、珍しいって思ってる?
でもそうでもないとハルは思うよ。
世の中には数え切れないほどの人間がいて、その中――或いは、その外には把握されていない人間たちもいる。其れが普通だ。ハル達が世の中の全ての動物一匹一匹を知らないように、ハル達も人間の人数なんて高が知れている程度だ。人類全員と友達じゃあるまいし、ハルみたいな子が他にいてもおかしくはないと思うよ。ただ、この町にしては、不幸な子として囚われがちだけど。
ハルは世の中の不条理を嘆いても、自分の存在自身を嘆いたことは一回もない。少なくともこれまでは。これからの話をしてもしょうがないから。
西の地方で一年間育ったのち、ハルは七歳の時に――正確には七歳になる前に、この町の東家に引き取られた。
養子として東の名を得たのだ。
そして、ハルと佰乃は同い年だったし、何となく直ぐに距離も縮まった。」向こうは結構警戒してたみたいだけど、ハルが普通の子って知ってから、一方的に嫌うようなことは無くなった。
嬉しかった。
ハルには友達や家族がいなかったから。東家のような人がたくさんいる温かみのある家庭が凄く居心地よかった。
ハルは家族から「ハル坊」って呼ばれるようになって次第に家族と距離を縮めていく。たいして時間はかからなかった。
そして………突然ハルの目の前に訪れたのは、願っても無い歓迎だった。
東の名をもらってから約二年。
今から約六年前。
この町の隣町。町というには大きすぎる――都内に大きな衝撃が渡った。
都内のちょうど上を飛行中だった二機の飛行機が墜落してきた。当時の時間帯は丁度夕方時。人が家へ帰ろうと、買い物をしようと、忙しなく動いている時間帯だった。人の流れは其れなりに多い時だ。都内から一本しかない電車に乗ってこっちの町に帰ってくる会社員も沢山いた。
ハルは多分、大きなテレビのある居間で佰乃と遊んでいたと思う。あの時間帯にやっていたアニメを見ていたので間違いないと思う。
ボーッとテレビを見ていて突然入ってきた速報。画面は釦を押さずとも変わった。
真剣な表情をし、一方で手元が震えているニュースキャスターが現れた。
「ねえねえ、ひゃくのぉ。これなにぃ?」
ハルは玩具で遊んでいた佰乃の肩を叩いて画面に向かせた。
『たった今入った速報です。今日午後五時三十二分、都内に小型飛行機ALAの飛行機が一機、墜落した模様です!場所は――――』
ニュースキャスターの絵から画面が変わり、町の風景が映し出される。そこはハルも何回か見たことのある景色だった。
視点は人間達が歩く頭上で、よく天気予報とかで見る角度。信号が赤から青に変わり人々が歩き出す。なんの変哲もない映像だった。
だが…―――。
「キャッ!」
テレビから出た突然の轟音に佰乃は耳を抑え、目を瞑った。手に持っていた玩具が大きな音を立てて床に落ちる。ハルは佰乃の体を包み込むように腕で支え、その華奢な震える体をさすってあげる。テレビは轟音と共に映像を続けた。
『このように、突然小型飛行機ALAが堕ちてきたのです!近くにいる皆様は直ぐに何処かへ避難してください。又、連絡を取れる方は―――』
そして再び現実から目を逸らしたくなるような現実が突きつけられる。
『たった今入った情報です!二機目の小型飛行機ALA三〇〇が近くに落ちた模様です!』
ニュースより遅れて地響きのような振動が床から伝わってきた。
「何⁈何が起きてるの⁈ハル、ハルッ!」
「大丈夫。ハルは此処にいるよ。此処にいるから……」
ハルは、震える佰乃を抱えてさする。
本当に突然のことだったのだ。
同時間に二機の飛行機墜落事故。それも隣町で。
毎日をのびのびと生きていた人間達の目の前に、悲惨な現実が突きつけられたのだ。昨日と同じように、一昨日と同じように生きていただけなのに、こうして簡単に状況は変わってしまう。
あっけなく、人々から何もかも奪ってしまう。
この町にも、軈て被害はやってくるだろう。
飛行機がわけもなく墜落するわけがない。きっと何か事故があったんだ。飛行機の破片とか大きな機材とかが降ってきてもおかしくはない。小さい破片だって高度の高いところから落ちてきたら自由落下運動で速度を増し、頭に直撃したらただごとじゃないだろう。そのぐらいのこと、幼いハルでも理解できた。
それに不思議とこの時は冷静でいられた。
取り敢えず、混乱する佰乃をハルが守ってあげなくちゃって思ってた。彼女は本当の東家の子だし、もし命でも落としたら、あの優しい三亞三さんと征爾さんがどんな顔をするかわからない。
ハルが佰乃を安全なところへ連れて行ってあげるんだ。
そう思い、ハルは立ち上がって佰乃の手を掴んだ。
泣きべそをかく佰乃に云う。
「佰乃。シェルターに行こう。きっとそこにみんないる」
ハルは壁にかかる時計を見た。
ニュースが入ってきて八分。
未だみんな家に帰ってきてないということは、職場や学校の近くのシェルターに避難しているのだろう。だいたいこの時間に家にいるのはハル達のような小学生だ。しかし、この町では小学生の殆どが放課後のクラブに参加しているので、実際人数にしてみると極僅かな小学生だけが家にいる状態になる。
今は自分たちで動かなければ、命はない。
「しぇ、シェルターって………どこに、あるのよ………」
グスンと佰乃は鼻を啜ってなんとか立ち上がった。
ハルより背の低い佰乃は軽い。最悪、ハルがおぶってもよかった。
しかし、この様子だと走れるぐらいの冷静さは持ち合わせているようだ。
ハルは極力不安にさせないために、落ち着いたトーンで云った。
「わかんないけど、この町には至る所に案内掲示板があるでしょ。其れを見ていけば近くにあると思う」
お互い靴を履いて、玄関から家を出る。
外は夕日が落ちかかっていて月が昇ろうとしていた。辺りが暗くなってしまっては本末転倒だ。ハルと佰乃の足は自然と駆け足になり、気がついたら走っていた。
ハルの手を握る佰乃の手の力が次第に弱くなっていく。
走りながら振り返ると、佰乃は呼吸を荒くして足を一生懸命に動かしていた。
「佰乃………。もうちょっとだから、頑張ってッ……」
声をかけると佰乃は僅かに頷いた。
そこの角を曲がれば、地下用シェルターだ。此処にくるまで殆ど人に会わずに来たので、それぞれで避難していると思う。
家族のみんなに心配をかけないようにする為にも早くシェルターに入らないと。
焦る気持ちが、足を急がせた。
そして角を曲がった時、
「………………うそ、でしょ…………」
ハルと佰乃は足を止め、言葉を無くした。
「どうして………どうして妖怪がこんな時間から…………」
自分たちよりもはるかに図体がでかい生き物。それは独特な体型を持ち異臭が漂う。ぎょろっとした瞳が二人を見据えた。
妖怪はこんな時間から行動しない。然も、人間に化けられないような妖怪は一目のつく時間帯に行動しないのに。
妖怪が腕を振り上げた。
「…!」
気がついた時には遅かったんだ。
もう、何もかも。
あの時、ハルは死んだ。
何があったか詳しいことは覚えていないけれど、無力なハルは呆気なく死んでしまったんだ。
確か、最後に霞む視界の向こう側に見たのは、泣きじゃくる佰乃の顔だった。
でもそれだけで安心した。
佰乃は無事だったんだって。
だから、静かに目を閉じれた。
なのに―――――。
ハルは死んだ筈なのに、佰乃は掟を破った。
これはハルと佰乃の秘密。
誰にも知られてはいけない秘密。
そしてハル達は其れを永遠に守り続ける。
其れが神に叛いた、せめてもの償いであると思ったから―――――――――。
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