参, 不撓不屈–ハル–
第1話 作戦会議(1)
一
刹那、ゾワリと全身の毛が逆立った。一気に瞼を開ける。
目を覚ますと、白い天井。自分の部屋では無い匂い。鼻をつく様な、刺激のある匂い。アルコールの匂いだ。
「ひゃく、の………」
ハルは体を捻って起こした。
佰乃が、ハルを呼んでた。
なのに佰乃の、存在が、確認できない………。
そうわかった瞬間、何かが心の中でざわついた。焦りが、ワンテンポ遅れてやってくる。この落ち着かない感じ。鼓動がどくどくと体の中で脈を打つ。
「佰乃……。佰乃…何処………?」
ハルが、今行くから……行くから………。
眠っていたベッドの上から床に降りる。
しかし、ガクンと体が傾き崩れ落ちた。
「???」
状況が読み込めずに、腹筋に力を入れて起きあがろうと――歩き出そうとするが下半身に力が入らない。
ハルはゆっくり自分の下半身を見た。
下半身はある。
けれど、右足の腿から先がなかった。
「あ……ああ、…あ…」
言葉をなくし、うまく喋れない。
どうして?どうして、ハルの右足がないの?なんで?なんで歩けないの。ハルは……ハルは佰乃の所に行かないと………。
腕に力を入れて、床を這いずる様に一歩ずつ前進する。数歩動いただけで情けないほどに汗が出た。
今自分がいた白いベッドと、全方向を白で囲まれた部屋から出るために、視界を回らす。すると、角の方が開いた。
人が入ってきた。白衣を着た女性だ。彼女は慌てた様子でハルに手を差し伸べる。
「ハル!あんた何やってんのさっ!検査中は眠っていないとダメだろう」
然し、ハルの視点は彼女を捕らえない。
「ひゃ、ひゃくのが……。佰乃がハルを呼んでるんだ…。行かないと……――」
「佰乃ちゃんが?何云ってるの。彼女は今――」
「どいてっ!」
ハルは女性の手を振り払った。
ハルは、こんな所にいるべきじゃ無いんだ。早くしないと佰乃がどっか行っちゃう。
手を振り払われた女性は目を丸くしてハルを見る。
「ハル……お前、私がわかるか?」
ハルは目を細くして女性を見る。
「………だれ?」
そう云った瞬間、女性の息を飲む音が聞こえた。静かな空間にハルと女性の呼吸だけが響く。
「じゃあ、此処は?ここは何処かわかるか?」
「ここ?知らない………わかんないよ」
ハルは頭を振る。それから視界に映った存在しない自分の右足を見る。
ここも何処かわかんない。
なんで右足がないのかもわかんない。なんなの?何が如何なってるの……――。
整理が追いつかない頭を抱えて、言葉を漏らす。
「どうしてハルの右足はないの?何で?ここは、ここは何処なの…?なんで、こんなところにハルはいるの?」
「落ち着け、ハル……。私は…―――」
「ねえ、どうして!」
突然ハルは声を荒々しく上げた。自分の白い手で彼女の白衣を掴む。混乱が混乱を招く。
「どうして此処にいるの⁉︎佰乃はどこ⁉︎此処は何⁉︎ハル……ハルは、わかんない。わかんないよ‼︎」
「一旦落ち着け!ハル」
女性のピシャリとした声が耳の鼓膜で震える。
しかし、心の中にある不安が渦を巻いて大きくなっていく。やがて、手から黒い霧の様なものが出てきて、そこから白衣がバラバラと砕けていく。女性は顔を歪めた。
「ハル……ッ。すまない………」
目に涙を浮かべ自分を見つめるハルに向かって、女性はポケットから取り出した注射器をハルの首筋に差し込んだ。中に入っている液体を全部ハルの体内へ押し出した時、やがてハルは瞼を閉じて、パタリと倒れた。
女性は複雑な表情を浮かべて、ポケットから携帯を出した。
「私だ。少し話があるんだ。こっちへきてほしい」
目を覚ましたら、ベットの上だった。
首を動かして辺りを見る。
白い壁、白い天井。あそこに亀裂が入っている様に見える壁はドアだ。上半身を起こして、冷たい床に足を置いた。なお、右足は無い。
ハルはゆっくりと瞬きをする。
ガチャリとドアが開き、医者の藍沢暖々留先生が入ってきた。
ハルはさっき迄起きていた状況を理解して、静かに藍沢に云った。
「……先生、御免。迷惑かけたよね……?」
自分はさっき記憶が混乱して、最終的に藍沢先生に睡眠薬を打ってもらい、気を失った。こうなるのは初めてじゃないし、其れ相応の対応の仕方は知っていたはずなのに、さっきは何故か全然頭がいうことを聞かなかった。
藍沢はハルに黒い手袋を渡した。ハルは受け取って手袋をはめる。
「全く。急に起きるからビックリしたよ。検査中に起きるとはね」
鼻で笑いながら云う藍沢先生だけど、内心すごく焦っただろうなとハルは思う。
手袋をはめ終わり、藍沢先生は持っていた義足をハルの付け根に順番通りつけていく。複雑なコードとかあるので自分で容易に取り外しはできない。だからこうして定期的に検査を受けている。
記憶に混乱を生じることは昔からあるけど原因はわかってない。ただ今回みたいなケースは珍しくない。検査中は長時間にわたるため、薬で体に相当な負荷をかけているから。
「何か、怖い夢でも見たのか?」
コードが次々と繋がれていく。
「夢……じゃないと思う。ハルは基本的に夢見ないから」
「じゃあ如何して?」
如何してって聞かれても………。
ハルは左足をぶらぶらさせて、天井を見た。
埋め込まれているライトが眩しい。
「分かんないよ。ただ、何か……」
「?」
「いや、やっぱり何でもない。兎に角、大したことじゃないと思う。ほら、今は平気だし」
「ならいいけどさ。ついに私のこともわからなくなったから脳みそが本気で腐っちまったのかと思ったよ」
藍沢先生の其の言葉にハルは返事を返さなかった。宙を見たまま、考えるのをやめる。
すると、
「どうした?ハルらしくないぞ」
「ハルらしくない?」
顔を下げて義足をつけてくれている藍沢先生の頭部を見た。藍沢先生の手元は相変わらず忙しなく動いている。
「いつもなら此処で冗談を言って返すだろう?……やはり何処か具合が悪いのか?もう少し休んでいくか?」
「………」
暫く間を開けてから、ハルはからっきし元気に返事を返す。
「大丈夫!ハルは元気だから。早く帰って佰乃の顔を見たいんだぁ」
「……お前は本当に佰乃が好きだなぁ…」
ハルは其の言葉に嬉しそうに頷いた。
好きだよ。
ハルは佰乃の事が、大好きだよ。
今日の検査が終わって直ぐに携帯が鳴った。病院から出たタイミングで携帯の画面が光った。
パネルにタッチして電話に出る。
「もしもぉし」
『はーくん!舞子だけど!』
電話の相手は舞子だった。
「どぉしたの?」
と云うか、電話番号なんて交換したっけ?と思っていた。
『どぉしたの?じゃないよ!今直ぐ靁封神社に来て!』
「何でまた。ハル今から帰って佰乃にぎゅーってしに行こうと思ってたんだけどぉ」
『そのくのんちゃんのことよ!くのんちゃんが七羽のカラスに攫われたの‼︎』
え………?
思考が停止した。けれど歩く足は止めない。寧ろ無意識のうちに走り出して、携帯電話からは耳を遠ざけていた。
もしかして自分が危惧していた嫌な予感は当たってしまったのだろうか?
あれが、本当に感じ取っていたことだったのだろうか?だとしたら、あれから何分経ってる?何時間経ってる?ハルは、何をしてた?
「……くそったれが」
ハルは新調したばかりの義足をフル回転させ、靁封神社へと急いだ。
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