第22話 お手伝いはじめました


 その日の朝は、いつもより2時間も早く目が覚めた。

 カーテンを開けると、ひまわりみたいな太陽が登りはじめていた。

 窓を開けて、洗いたての空気を入れる。部屋の中にこもった夜が、静かに消え去っていく。それはとても気持ちがよかった。


「あんなに夜が好きだったのにね」


 朝陽あさひは懐かしく呟く。

 明日が来るのが怖くて、朝が大嫌いで、ずっと夜でいられるようにカーテンを閉めて布団に潜っていたのに。今は朝日の前で、うーんと背伸びをしたりしている。


「案外、私の精神って脳天気だったりして」


 握った拳を天に突き上げる。小さな声で「頑張るぞー」と言って、ひとりでこっそり笑った。




「あーん!朝陽ちゃん、とってもよく似合うわぁ!」


 エプロンの紐を結ぶ朝陽を見て、エナは楽しくてたまらないといった感じで言う。


「エナさんの方が似合ってるわ……」 


 もう何度目かのエナのセリフに、朝陽は苦笑する。

 でも実際、エナの方がよく似合っていた。エナの赤毛は頭のてっぺんで綺麗なお団子としてまとめられ、それはとても清潔感があった。

 朝陽の髪は肩に当たるくらいの長さなので、ポニーテールにしてまとめても毛先は鳥の巣みたいだし、何より顔に垂れてくる後れ毛を何度も耳にかけなければならない。だからと言って、半端なおかっぱ頭はなんとなく清潔感がなかった。


「あ!ちょっと待ってて!」


 エナはそう言って、小走りでキッチンを出ると、すぐさま戻ってきた。手には赤いリボンを握っている。


「こうすればいいわ」


 耳元でシュルシュルとサテンの擦れる音がする。


「はい!一丁上がり!見て見て!」


 エナは嬉しそうに朝陽を浴室に引っ張る。急須の上の鏡には、赤いリボンをカチューシャにした自分がいた。耳の少し上に結び目のリボンがあって、そこがなんだか可愛らしかった。


「うわぁ!ありがとう!エナさん」


 朝陽はちょっと照れくさかったけど、でもとても嬉しかった。後れ毛が落ちてこないのは煩わしくなくていいし、それに、エプロンともよく似合ってくれた。


「今日はね、私の祖父がよく作ったラタトゥイユっていうお料理とオムライスにするの。それじゃ、まずは野菜を調達しにいきましょう」




 お手伝いは想像以上に大変だった。釜戸なんて使ったことがなかったし、電子レンジもトースターも、なんなら冷蔵庫すらなかった(厳密に言えばあったが、それは上部に氷の入れられた冷蔵箱と呼ばれるものだった)。包丁はあまり切れないし、器も多くはないので、すぐに洗わなければならなかった。


 だけど、朝陽は不平や不満なんてちっとも出てこなかった。

 むしろ、ワクワクした。


 少し不便だけれど、そこはエナの厨房らしかった。

 雨丸あめまるの器が鳴らす柔らかな音と水の流れる音、それからエナの鼻歌。トマトや卵、沸かされたお茶の匂い。野菜くずが落ちて、次第に汚れてゆく床も、どれもたまらなく好きだと思った。



 お昼前になって、エナのレストラン『おだいどこ』はオープンし、続々とお客さんがやって来る。


「朝陽ちゃん!凄くかわいいねぇ!」


 お客様第1号は雨丸だった。次にミズナちゃんと小松こまつさん。


「今日のメニューはラタトゥイユ・オムライスです」


 朝陽がそう言うと、みんな「ラタ……?」とか「ラタテユ……?」とか「なに?オムライス?」とか言うので、その後はエナの言う通り、「夏野菜の煮込みがかかったオムライスです」と言うようにした。


 みんな、一粒も残さずに食べてくれた。

「ごちそうさま!」とか「今日もおいしかった」とか、「ありがとう」とか言って、満足した顔で帰っていく。ときどき、焼きたての人参ケーキをくれるうさぎの親子や、蒸らして天日干しされた、新鮮なお茶の葉をたくさん分けてくれる人もいた。


 雨丸は閉店までいて、最後の掃除を手伝ってくれた。


「ありがとう、雨丸」


 朝陽がそう言うと、雨丸は嬉しそうに笑った。




「おつかれさま」


 エナは朝陽の前に温かなハーブティーを置く。

 まだ夕方だというのに、朝陽の体はくたくただった。しかし、なんとも満ち足りた疲労感だった。


「明日はお休みしてもいいのよ」


 くたびれきった朝陽に、エナは優しく言う。


「いえ、とても楽しかったんです。本当に楽しくて、幸せで、全部おもしろかった。だから、また明日も頑張りたいんです」


 朝陽はもうぼんやりとしか捉えられないエナの美しい輪郭を見ながら微笑み、ハーブティーを飲んだ。




 翌日、朝陽はきちんと早起きし、エナと共に野菜の調達に行く。新鮮な茄子がたくさん手に入ったので、茄子のチーズ焼きと野菜の味噌汁、茶飯の焼きおにぎりを作った。


 その日は、洗井あらいさんが来てくれた。


「二人ともよく似合うわぁ」


 洗井さんはエプロン姿の朝陽にすっかり満足して、ご飯をテイクアウトして帰る。


 閉店前に喪黒もぐろさんもやって来た。配管工事で疲れ切っていたので、焼きおにぎりはみんなよりずっと大きめにした。


 その日も、雨丸は掃除を手伝ってくれた。


「朝陽ちゃん、エプロンとっても似合うね。そのリボンも。僕のお嫁さんにしたい」


 黄色いベストを着た雨丸がいかにも子供らしく言うので、「じゃあ、雨丸が立派な大人の人になったら、お嫁にもらってもらうわ」と言って笑った。雨丸は「やったぁー!」と両手をあげて喜んだ。



「明日は、お休みしてもいいのよ?」


 エナはそう言ったけど、朝陽は頑として譲らなかった。絶対に明日もあの厨房に立たなければならないと思った。



 翌日のメニューは、雨丸特製のピーナッツバターサンドだった。雨丸がピーナッツバターをたくさん作りすぎたらしい。サラダとスープ、紅茶にスクランブルエッグも添えることにした。


 バターで熱したフライパンでパンをサクサクに焼く。熱で顔が火照って、額からの汗が滲む。それを拭って、朝陽はその日も頑張って働いた。


「明日はお休みしてもいいのよ?本当よ?」


 仕事が終わり、パンパンの足とギシギシ言う体でベッドに転がると、エナがそう言ったような気がした。頭が締め付けられるみたいに痛かった。

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