第20話 木の上のケーキ屋さん
細長くて、ちょっと骨っぽいけどふわふわで、手のひらにはぷにぷにとした肉球。
木の幹を丁寧に削り、なめらかな段差を作り出している楠木の階段。「滑って転ばないように」と雨丸が手を引いてくれた。エナは鼻歌を歌いながら、たくましく登っていく。
「朝陽ちゃん、あの……あんまり揉まないで……」
雨丸が恥ずかしそうに呟いた。どんぐりまなこにチラッと朝陽を映した。
「あ、ごめん。肉球って気持ちよくてつい……」
そう言って、朝陽はまた雨丸の肉球をふにふにする。「くすぐったい!」雨丸は笑いながら怒って、朝陽もおかしくなって笑ってしまった。
「早くー!先にケーキ食べちゃうわよぉ!」
エナはすっかり階段を上りきってドアの前に座り、頬杖をついている。
大きくて立派なドアが木の幹に貼り付いていて、その横には浅く釘が打ちこんである。釘から垂らされた布には、ケーキのイラストが描かれていた。その垂れ幕から視線を外すと、大きなティーポットがぶら下がっている。ドアの少し上で枝分かれした楠木の枝に、白くて丸いポットの取っ手が引っかかっている。注ぎ口がちょうど真下を向いていて、ポットの蓋は開いているようだった。
その物凄い光景を、口を開けて見上げていると、エナがドアから顔を出し、「朝陽ちゃん、まだぁ?」としびれを切らしたように言った。
ドアの中は薄暗かった。細長い廊下には、いたるところに小さなランプが置かれていて、自分が今、木の中を歩いていることにドキドキした。
廊下を抜けた先には、明るくて大きな部屋が広がっていた。白い布をかぶった丸いテーブルがあちこちに置いてあって、そのテーブルの中心にはホールケーキがのっている。
部屋の中央には大きな穴が開いていた。よくよく見てみると、木の穴に底の抜けたティーポットがくっついている。開けられたティーポットの蓋から、太陽の光が部屋全体に入り込んでいた。
「いらっしゃい」
焦がした砂糖やバターの香りがする、その不思議な部屋を見渡していると、男性の声がした。
「おっ、エナ。久しぶりだね」
その男性は色白で、明るい金色の髪をしていた。真っ白な長い丈のソムリエエプロンを巻いていて、朝陽はそのエプロンを懐かしく見つめた。
「こちら、私のルームメイト、朝陽ちゃんよ。朝陽ちゃん、彼はねケーキ職人の
エナはそう言うと、そそくさとケーキを吟味しに行った。
二人は「初めまして」とか「どうぞよろしく」とか言いながら、握手をした。金平くんは、よく見ると顔にそばかすがあり、元気よく笑う青年だった。エナよりも少し年下だろうか。いわゆる色男というタイプの顔だった。
「ねぇ、朝陽ちゃん。早くケーキ食べに行こうよ」
未だに朝陽の手を握ったままだった雨丸が、後ろから顔を出して言った。
各々食べたいケーキをひとつずつ選んでテーブルに着く。エナはふっくらと大きなスフレチーズケーキ、雨丸はカボチャとナッツのパウンドケーキ。朝陽は木苺のババロアかチョコレートとキャラメルのムースケーキか、必死になって悩んだけれど、結局チョコレートのムースケーキにした。
ケーキを前にすると、みんな満足そうな笑顔になる。まだ食べていないうちから、もうすっかり満ち足りた気分になるのだ。
「ケーキって不思議ね。とても幸せな気分になる」
とろりとしたキャラメル(上には細かく砕かれたナッツがパラパラと散らされていて、木苺とブラックベリーも添えられている)がのっかった、柔らかそうなチョコムースを前に、朝陽はため息まじりに言った。
「それが、ケーキの偉大な力よ」
エナもまた、嬉しそうに頬を高揚させて言う。雨丸はナッツとカボチャの香りを、うっとりと吸い込んでいた。
「そうだよ。うちのケーキは気持ちを幸せにする、いわば幸福のカンフル剤なんだ」
真っ白に色付けされたピスタチオの器に、紅茶を注ぎながら金平くんが話した。
「ここのケーキだけじゃないわ。私が作ったケーキだって、雨丸が作ったピーナッツバターサンドだって、みんなを幸せにできるわ」
エナはふかふかのケーキにフォークを突き刺して言った。朝陽も雨丸も「いただきます」と言いながらそれぞれのケーキを口に運ぶ。
「うちのケーキは特に幸せになれるってこと。ケーキ屋さんで食べるケーキってのがいいんだよ。それにピーナッツバターサンドはケーキじゃないだろ?」
金平くんは、エナの器に紅茶を注ぐ手を止めて言った。口をとがらせている。
「なによ。私のケーキだって特に幸せにできるわよ」
エナはそう言って、「早く紅茶注いでよ」と金平くんを睨んだりする。
「あの二人はねぇ、古くからの友達なんだ。あと、どっちのご飯がおいしいかって、いつもケンカしてるんだぁ。でも、ケンカするほど気心が知れてて仲がいい証拠なんだって。フクロウ先生が言ってた」
雨丸はこっそりと教えてくれた。「そうなの……」朝陽はそう言って、なんとなく、二人はお似合いだな、と思った。そんなことを言ったら怒られそうだけれど。
「おーい。ケンカはその辺にして、アップルパイをひとつ」
部屋の中央、ティーポットの底からムササビが顔を出した。
朝陽はひとり、深く納得する。底の抜けたティーポットは部屋の中に明かりを届けるだけでなく、お店に入れない大きな動物たちのためにもあるのだ。
金平さんは慌ててアップルパイを取りに行き、エナはふくれっ面をする。雨丸は肩を揺らして笑い、朝陽もつられて微笑んだ。
「ねぇ、朝陽ちゃん、一口どう?」
エナがそう言って、自分のスフレケーキをたっぷりとフォークにのせる。朝陽は「ありがとう」と一口もらい、雨丸は「僕も僕も!」と自分のケーキをたっぷりと切り取る。朝陽もまた、チョコレートムースを二口分くらい、大きくすくった。
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