第14話 でっかいタクシー
待ち合わせは楠木の下、各々動きやすい服装で来ること。
八百屋の
エナは大きなカゴに色々なものを詰め込む。たくさんのパンや銀色の容器に入ったバターに調味料、鍋やピスタチオの殻でできた器。
二人は手分けして荷物を持ち、玄関に向かう。
『お
レストランのドアに張り紙を貼って、出発する。
楠木の下には
「あらぁ、雨丸も行くの?」
「おはよう、雨丸」
エナはおっとりと聞き、朝陽は挨拶をする。
「おはよう!
そう言って、彼はどんぐりの器を取り出して二人に渡す。
「喉、乾いたかなぁと思って持ってきたんだ。僕も近くの落花生の収穫に行きたいし、ムクロジの実も採りに行きたくて。はい、どうぞ」
ひょうたんからたっぷりと注がれたのは、香ばしいお茶だった。
「うわぁ、助かるわぁ。いい香りねぇ」
「ちょうど喉乾いてたの!ありがとう雨丸」
二人が嬉しそうにお茶を飲むと、雨丸は心底満足そうに笑った。
その後、到着した小松さんとミズナちゃんも、おいしそうに雨丸のお茶をすすった。
「そうしたら、行きましょうかぁ」
小松さんはそう言うと、鼻から思い切り空気を吸い込み、大きな声で「でっかいタクシー!」と叫んだ。
いきなりだったので、朝陽はびっくりして目を丸くした。だけど次の瞬間、丸くした目が飛び出すかと思うほど、もっと驚いた。
大きなムササビが、楠木の上からひらひらと下りてきたのだ。
ぶわっと風を起こして、地面に着地したムササビはまるで大きな雨丸みたいだった。青色のダボっとしたロングベストを着ていて、ボタンは上まできっちりと留められている。ふわふわの長い尻尾を左右にのんびりと揺らしていた。
「きゅうり農園まで。大人4名と、子ども1名なんだけど」
小松さんが言うと、ムササビはほんの少し考えて頷いた。
「うん、大丈夫。ほい、乗って」
そう言うと彼は、うつ伏せになって地面にぺたんと広がった。まるで青色のカーペットみたいだった。
みんな裸足になって、次々とムササビの背に乗っていく。
「お……お邪魔します……」
朝陽はそう言って、自分の靴をカゴの中に突っ込むと、ゆっくりとふかふかの背中に足を踏み入れる。
それはもうまるで、最高級の絨毯の上にいるみたいだった。さらさらで心地よく、しかも温かい。もし許されるならば、寝っ転がってしまいたいくらい。
口を開け、頬を高揚させて足の裏の感覚を楽しんでいる朝陽に、エナは笑いながら「朝陽ちゃん、こっちこっち。ちゃんとつかまって」と言った。朝陽はそれでようやく我に返った。
エナの隣に腰かけてみると、青色のベストには長い棒がしっかりと縫い付けられていた。その棒はちょうど、ムササビがはしごでも背負ったように3本並んでいた。1本の棒につき短いロープが4本、そして長いロープが2本、くくりつけてある。ロープの先端は輪っかになっていた。
「こうするのよ」
エナは長いロープの輪っかをかぶり、ウエストでキュッと締めた。そして2本の短いロープを両手首に通し、こちらもキュッと締める。
「なるほど」
朝陽も真似してやってみる。ちょっと怖かったので、ロープはきつめに締めた。
1本の棒につき2人までつかまれるようにしてある。みんな準備を済ませ、棒をしっかりと握った。
「お……重くないのかしら……?」
朝陽が不安になって尋ねると、ムササビは「うん、ちょうどマッサージされてるみたいで、気持ちいんだよねぇ」と呑気に言った。
「ほいじゃあ、いいですかぁ?出発しまーす」
彼はそう言うと、みんな「はーい」と声をそろえる。ムササビは「よっこいしょ」と立ち上がると、朝陽たちはいっせいに宙ぶらりんになった。
「落っこちてる人、いなぁい?」
ムササビが尋ねると、みんな大丈夫かを確認しあう。
「大丈夫だね」
全員を見渡した小松さんがそう言うと、またみんな、せーので「はーい」と口をそろえる。今回は朝陽も言えた。
「はーい。じゃあきゅうり農園まで、楽しい空の旅を~」
相変わらずのんびりとした調子でムササビは話す。
しかし次の瞬間、楠木を物凄いスピードで登った。ぴょんぴょんと枝から枝へ器用に飛び移る。朝陽がオロオロしている間に、いつの間にか楠木のてっぺんに着いていた。
「うわぁ……」
今までに一度も見たことのない景色だった。
空がうんと近く、大きな雲が頭の上をすべっているみたい。空気は冷たく、ムササビの背中からは葉っぱや木の香りがした。
「ほうしたら、下りますよぉ。いいですかぁ?」
息切れひとつせず、ぼんやりとムササビが言い、また皆で互いの安全を確認しあう。小松さんの「大丈夫だな」を合図に、また一斉に「はーい」と答える。
「じゃあ、下りまーす」
彼は大の字になって、大空の下を滑空していく。
素早い紙飛行機に乗っているみたいだった。朝陽は下を見た。ずっと遠くに、小さな川や森が見える。真下には、豆粒みたいに小さな人々が歩いていた。
ちょっとだけ、みぞおちがキュッと引きつったけれど、心躍るような景色だった。
朝陽は幼いころ、父にくっついて早朝の市場に行くのが好きだった。新鮮な食材を見るのは楽しかったし、とれたての果物をその場で絞ってくれるジュースもおいしかった。市場の近くには飛行場があって、帰り道、父娘はいくつもの飛行機を見送った。あのとき、「空を飛ぶのはどんなだろう」と冷たいジュースを飲みながら、朝陽は心躍らせた。
大学進学と共に上京した際、人生で初めて飛行機に乗ったのだけれども、ちっとも楽しくなかった。狭苦しい窓から見える光景は、想像よりもワクワクしなかった。
幼いころの自分が想像した上空の景色は、きっともっと低かったのだ。ムササビの背に乗っているくらいの高さだったのかもしれない。
ムササビの「もうすぐ着くよー」という声で、もう一度下を覗く。あんなに遠かった川がすぐ近くにあった。川の水は朝日を反射して宝石みたいに輝いていた。
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