第7話 テーラー洗井


 幸せな朝食のあと、「このぐらいはさせてくれ」と頼み、食器を洗った。人生で初めて、へちまのタワシを使い、エナが作ったという炭の洗剤を使う。とろりとした、濁った液体だった。

 雨丸あめまるの作った木の実の器を傷つけないように、丁寧に洗う。


「エナー?いるかしらぁー?」


 そんな言葉が聞こえたと思ったら、突然ドサッという音がした。

 朝陽あさひがびっくりしてキョロキョロしていると、エナは「あーら、いらっしゃい」とか言いながら、キッチンの窓を開けた。

 キッチンの窓から、真っ白な眉の、優しい垂れ目がのぞく。


「朝陽ちゃんね?元気そうでよかったわぁ」


 そう言って、大きな窓に顔を突っ込んだのはアライグマだった。


 フクロウ先生もなかなか大きかったけれど、このアライグマはとても迫力がある。

 天井まで届くようなバカでかい窓がとりつけてあるのは、日の光をたくさん入れるためだと思っていたけれど、もしかしたらこういう来客のためなのかも……と、へちまを握りしめたまま、朝陽はぼんやりと考えた。




 エナはテーブルを窓に寄せ、クルミの器に紅茶をなみなみと注ぐ。

 アライグマは「今日はいい天気ねぇ」とか言いながら、窓の外に取り付けられている柵に肘をのっけて、ゆったりと座っている。彼女の大きさからして、エナの家には入れないのだ。

 洗い物を終えてテーブルにつくと、エナが楽しそうに笑っていた。


「はいこれ、洗井あらいさんから」


 テーブルの上にはリボンのついた包みが乗せられている。


「似合うといいんだけど」


 洗井さんというアライグマは、ただでさえ優しく垂れている瞳を、うんと細めて言う。


「な、なんでしょう……」


 おそらくプレゼントなのだろうその包みを、朝陽はドキドキしながら開ける。「アライグマってたしか、雑食性よね……」そう思うと、とても申し訳ないけれど、ちょっとした恐怖もあった。


「あ、か、かわいい……」


 淡い黄色、溶かしたバターみたいな甘い色のワンピースを広げながら、朝陽はため息交じりに言った。


「あーん、素敵ね!」


 いつもおっとりしたエナが、珍しくうずうずした様子で言った。いつの間にか立ち上がって、地団駄まで踏んでいる。


「洗井さんはね、仕立て屋さんなのよ。ちょうど朝陽ちゃんが来た日にね、ランチの注文があって」


 エナはワンピースを吟味しながら言った。途中で「いいわねぇ、この刺繍!」と感嘆する。


「ランチを受け取りに来た時にね、ベッドで眠るあなたを見かけて。聞いたら可愛らしい旅人さんだっていうじゃない。もう作りたくてしょうがなくて!」


 洗井さんはとても楽しそうに、うふふと笑った。


「さっそく着てみましょう!」


 我慢ならないといった様子のエナが、朝陽の手を引っ張って言う。

 キッチンのドアを抜け、廊下を歩いてエナの部屋へ通される。そこには大きな手鏡が斜めに立てかけられていた。

 つつましいベッド、小枝で作られた不格好なハンガーラック、小さなテーブルに花柄の針刺しみたいな椅子。置かれた家具の大きさはバラバラなのに、なぜだか調和のとれた空間だった。


「どう?どうかしら?」


 鏡の前で、朝陽の体にワンピースをあてる。

 裾には小花の刺繍までしてあって、きちんと裏地までついている。

 それはとても温かい色で、蒼白い顔をほんの少し明るく見せてくれた。


「素敵……」


 朝陽がつぶやくと、エナは「着てみて着てみて!」と早口で言って、はしゃいだように部屋から出ていった。



 大きな鏡を見つめると、Tシャツとデニム姿のやつれた自分が立っていた。


 朝陽はあの夜から、あの占い師にもらった玉を飲み込んだその日からずっと、そのままの服装だった。



「着替えたー?」


 エナの声がして、「あ、ちょっと待って!」と慌てて着替える。

 ワンピースはすとんと、朝陽の体によく馴染んだ。やっぱり、顔色がよく見える。


「似合うじゃない!」


 いつの間にかドアを開けたエナが走ってきた。朝陽は嬉しくて、照れくさくて、うつむいて微笑む。あの日履いてきたままの黒いサンダルとも、よく似合ってくれた。


 二人は急いで洗井さんのもとへ行く。洗井さんは「よく似合うわぁ」と手を叩いで喜んでくれた。


「朝陽ちゃん、寝てたから採寸できないでしょう?だから、だいたい体型は私と同じかなと思って、私の体型で作ってくれたのよ。良かったわぁ。ぴったりで」


 そう言って、エナはほっとした顔をする。


「実は、他にもねぇ……」


 洗井さんはそっと、二つの袋を差し出した。ひとつは朝陽の前に、もうひとつはエナの前に置かれた。荒井さんの手は細長く、爪も長かった。なるほど、この手先ならば器用に違いない、そう納得した。


「えっ?私の分もあるのー!?」


 エナは目を輝かせて、洗井さんからふんだくるように受け取った。


 朝陽は申し訳なさそうに「ありがとうございます」と言う。中には水色のワンピース、そして真っ白なパジャマが入っていた。胸元に赤いリボンのついたパジャマは、エナとお揃いだった。


「かわいい!」


 エナははじけるように笑って言った。


「間違えないように、刺繍入れといたからね」


 洗井さんはそう言って、その細長い指をパジャマの胸元に向ける。

 朝陽のパジャマにはA、エナのパジャマにはEと描かれていた。


 エナは喜んで洗井さんの首元に抱きつき、「ありがとう」とはしゃいだ。朝陽は深々と頭を下げて、「ありがとうございます」とお礼を言った。


 とても嬉しかった。

 けれど嬉しさよりも、申し訳なさが上回って、居心地が悪くなった。

 今の朝陽には、返せるものが何もなかったから。


「ありがとうございます。でも申し訳ないです……私いま、お金とか持ってなくて……」


 朝陽が悲しそうにうつむいて言うと、洗井さんはすっとんきょうな声を出した。


「お金ってなぁに?」

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