第4話 小枝のベッド


 紫色の和紙に包まれた、小さな自分を想像して、朝陽あさひはぞっとした。


 でもすぐに、「まさかね」と思った。

 だって、あの占い師はきっとインチキだもの。


 おそらく夢なのだろうこの世界は、不思議で面白そうだし、しばらく堪能しようと思った。

 こんなラッキーな明晰夢を、朝陽は初めてみた。だって大きなリスがいるなんて、動物が大好きな朝陽にとってそれはまさに夢のような夢だった。




 朝陽はベッドの上で、エナのリゾットを食べる。


 エナもリスの雨丸あめまるも、ベッドの近くに椅子を持ってきてくれて、トレイを膝に乗せ、みんなで食事をした。


 ミルクとチーズ、きのこと卵の入ったリゾットは温かく、胃や腸にしみわたるようにおいしかった。ずっとろくなものを食べていなかったから、体中の細胞がたっぷりの栄養に満ちていく。


 それに、誰かと食事をするのは本当に久しぶりだった。たとえこの夢から冷めたとしても、しっかりとエネルギーになりそうな幸福な食事だった。


「うん。エナのご飯はいつもおいしいね」


 可愛らしくほっぺたを膨らませた雨丸が言う。


「そうでしょう」


 エナはにっこり笑って、ちょっと冗談ぽく自慢げに、さも当然といった顔をする。


「エナはシェフなんだよ。このお家の隣でお店をやってるんだ。ここらで一番のレストランなんだよ」


 なるほど、通りでおいしいはずだ。

 材料の切り方や刻まれたパセリの上品な散らし方、食べるに適した料理の温度、姿は見えないけれど、とろとろになるまで煮込まれた玉ねぎの旨味もちゃんとある。


「とてもおいしいです」


 朝陽は心からそう思って言った。


「ありがとう。さっき話してたこの器はね、雨丸くんが作ってるのよ」


 エナは嬉しそうに微笑んで、クルミの殻をかかげて見せる。


「僕は木の実を剥くのが得意なんだ。だから木の実や枝で、お皿や器を作ってるんだ。そのスプーンも僕が削って作ったんだよ。これが僕の仕事さ」


 えっへん、そう言いたげに雨丸は胸を張る。


「雨丸くんは、とっても器用なのね」


 再びまじまじとクルミの殻の器を眺める。綺麗にくり抜かれた中身はつるつるに磨かれているし、底もバランスよく削られていて、きちんと自立する。


 食器作りが彼の仕事。


 でもどうしてだか、雨丸を見ると『未就学児』というイメージが湧いてくる。

 彼の子どもっぽい振舞いもさることながら、ボタンの閉められていない、襟ぐりの空いた黄色いシャツは、幼稚園児の黄色い帽子を連想させた。もしくは小さな子どもが背負った、黄色のカバーがかけられたランドセル。道路標識とともに『こうつうあんぜん』なんて書かれたもの。守られる存在である、黄色いしるし。


 真っ黒な艶のある瞳をくりくりとさせて、雨丸はリゾットをほおばる。


 夢から覚める前に、雨丸を思う存分モフモフしてぎゅうぎゅうしよう、朝陽は密かにそう思った。




 食事を終えると、朝陽の体はまるで鉛のように重たくなった。足元から少しずつ液状化して、ドロドロと溶け出してしまいたいくらいに、気だるかった。


「いま、何時ですか?」


 まぶたが重たくてひどく眠たい。眠気にしびれる目の端を手でこすりながら、朝陽は尋ねる。


「ちょうど10時くらいだよ」


 雨丸の声を聞いて、返事をする力もなく、朝陽はベッドに沈んでいった。

 昼夜逆転の不摂生生活をしている朝陽にとって、朝の10時なんていつもならとっくに眠っているはずなのだ。


 だけと今度は、あの甘美な、“眠る前のまどろみ”を感じることができなかった。

 目を閉じた瞬間、眠った。

 まるで突然消されたテレビのように、そこには無意識の暗闇があるだけだった。




 目を覚ますまでのほんの少しの間、睡眠と覚醒の間で、朝陽は少し悲しくなった。


 もう、あの温かな夢の世界には戻れないのだ。

 またあの薄暗いワンルーム。薄っぺらな不採用通知が転がった、誰もいない寂しい部屋で目を覚ますんだ。

 雨丸を抱きしめられなかった、エナの料理がまた食べたかった。


 あんな幸福な夢をみるなんて。

 まるで詐欺じゃないか、ひどい気分だ。


 最低の気分で目を開けた。

 だけどそこは、アパートじゃなかった。

 ろうそくの灯りの下、エナが丸太のテーブルで縫物をしていた。


「えっ?」


 起き上がると、エナはにっこり笑って「おはよう、あ……、おそようかしら?」とか言って笑った。



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