第41話 消えゆくように(2)

――翌日、昼の刻。

ようやく中央まで帰ってきて、まずは〈覚醒者リズベリオ〉研究所に寄ることになった。

「着替えありがとうペザンテ……!助かった、本当に!」

「いえ、役に立てたなら何よりです」

「本当に洗って返さなくていいのか?」

「自分で洗ったほうが早いので構いませんよ」

同僚らしき人と会話しているアキラを少し離れたところから見る。カンタービレはカンタービレで数日ぶりの研究所帰還だからか早々にどこかの部屋に篭ってしまっていた。

「……戻ってきたか」

「……!ジョコーソ……さん……」

振り返るとジョコーソさんが立っていた。顎にちらちらと無精髭が見える。

「待っててもよかったんだがな。遅いから来ちまった、ハハハ」

「あの、…………本当に、ごめんなさい、迷惑をかけて……」

「謝罪なら電話で聞いたからもういい。……ま、制服の件は始末書を書いてもらうがな。再支給の条件でもあるからこればかりはやってもらわんといかん」

「はい。なるべく、すぐに」

「……どうせ支給されるまで数日かかる。明日か明後日で構わないからな」

「…………」

「心配されてると居心地が悪いか?」

「……、……そう、だね。少し」

「諦めろ。当面は俺もアキラも、たぶんしつこいくらいに心配するぞ。……それだけのことをしたんだからな」

「…………それは、……その通りだね」

失敗したときに怒られこそすれ、心配されるなんて。……正直に言えばあまり慣れない。

……いや、本当にそうだっただろうか。母さんだって最初は心配してくれていたはずだ。その結果が過剰なほどの勉強と成績低下の悪循環だったというだけで。

「自分1人でなんとかしようとしなくていい。頼るときは頼れ。俺にも、アキラにもな」

「…………」

…………ああ、どうして僕にはずっと不安が纏わりついているのだろう。

僕が思っているほど、僕の人生は空っぽではなかったはずなのに。



「アキラ、ちょっといいか」

「何?」

さっきまでハルトと会話していたジョコーソが俺に近づいてくる。ハルトのほうはいつの間にか女の〈覚醒者〉達に囲まれていた。……ああやっぱり〈覚醒者〉には普通にモテるんだな、ハルト……。

「……これはただの勘だが」

ジョコーソは普段よりもずっと小さい声で俺に言った。

「ハルトはまだ万全の状態とは言えんな。できるだけ1人にしないでやってくれ」

「それは……大丈夫、わかってる」

「後でカンタービレとも話をつけてくるが、お前もハルトと一緒にしばらく休んでろ。地下鉄に何日も乗りっぱなしで疲れただろ」

「や、まあそりゃ広いベッドで寝たいなーとかそろそろパン以外のもの食べたいなーとかはあるけど、俺は割と元気だよ」

「いいから休んでおけ。それで食事もなるべくお前が作るか、一緒に台所に立て。風呂もまめに声をかけて不自然な様子があれば躊躇わずに様子を見ろ。……やろうと思えば死ぬなんて家の中だろうとできるんだからな。……いいな」

「…………やけに、詳しいな?」

基本的に自殺なんて『選ばない』世界の人間が、というところで引っかかって聞き返す。ジョコーソは肩を竦めた。

「……俺の妻がな、〈覚醒者〉だったんだ。わかったのは結婚後だが」

「えっ、結婚してたの!?」

「この世界じゃほぼ確実に相手が紹介されるからな。結婚しないやつのほうが珍しいんだよ。……まあそれでだ。俺はこういう仕事をしていたからそのままあいつの後見人になった。性格がちょっと変わろうと、そのまま何の問題もなく暮らせると思ったんだがな……」

「…………まさか……」

話の流れで察する。日常の中に潜む死の可能性。とても奥さんがいるとは思えないほど荒れた家の中。きっとジョコーソの奥さんは――……。

「……そんな顔すんな。生きてはいるよ。もう二度と会えない『他人』だがな」

「………………」

「話が脱線したな。つまりだ。一度『死』に焦がれた人間は根本的な原因が取り除かれない限り何度だって繰り返すってことだ。自分の意思とは関係なく、吸い寄せられるように手を伸ばしちまう。だから油断するな」

「……わかったよ」

……ハルトの、根本的な死の原因。

今回は俺に対する罪悪感だった。だけど前世のハルトは罪悪感で死んだわけじゃない。もっと違う何かが……。

…………その何かが見つからない限り、きっとまた、同じことが起きてしまう。



その後、戻ってきたカンタービレとジョコーソが話して俺の「休み」が決まった。

初出勤日から既に5日連続休んでいるので、それをそのまま休暇扱いにするよりはそもそも最初から初出勤日が半月後だったことにしておこうということらしい。

つまり差し引き、まるっと10日は何もしなくてよくなった……ということだ。

(ハルトの新しい制服が始末書の提出からだいたい7日後くらいに届くって言ってたから……)

……つまりうまくいけば10日後には俺もハルトもそれぞれ仕事ができるようになる。

逆に言えばそれまでにハルトの身の回りを落ち着かせて、俺がつきっきりで様子を見ていなくても安全に過ごせるようにしておかないといけないということだ。

カンタービレに改めて礼を言って、ジョコーソ、ハルトと一緒に家に帰る。到着した頃にはさすがにちょっと疲れてしまった。

「も、もうしばらく地下鉄は乗りたくない……」

「そうしろそうしろ、家の近くでゆっくり休んどけ、ハハハ」

笑いながら去っていくジョコーソを見送って、ハルトと二人、家に入る。ハルトにとっては5日ぶりの家だ。

「わ」

「……あー……」

嫌なニオイがする。ハルトが先に原因に気づいたらしく食料庫を開ける。しなしなになった野菜と変色した肉が出てきた。

「…………」

「……今日はまず、掃除からだね」

窓を全開にして換気しながら、二人で手分けして台所を中心に片付けていく。

「今日の晩ごはんの食材はある?」

「肉と野菜は厳しそうだけど、ビスケットとチーズとジャムがあるからとりあえずそれでなんとかなるかな。ご飯っていうよりお酒のツマミだけどね」

「そういえばハルトってお酒飲めるの?」

「年齢的には飲めるけど……、……薬の服用中はお酒は厳禁なんだ」

「あー、なるほど……」

「アキラは飲みたいなら飲んでいいよ。買っておこうか?」

「いや、いいや。それはまたいつかのときに取っておくよ」

今この状況で酔いつぶれるわけにはいかない。ハルトが薬をやめられる日が来るまで俺も断酒だな、と心に誓う。一度も飲んだことないけど。

手を動かしながら口も動かす。離れていて目が届かなくても、声が届くように。ハルトが、すぐ近くにある死からなるべく離れられるように。

「一階はこんなものかな。ついでに二階も掃除してくるよ」

「あ、俺も行くよ」

「いいよ、アキラは少し休んでて。疲れてるでしょ?」

「じゃあハルトも一緒に休憩!だいたい、ハルトは風邪引いてたんだから無理しちゃダメだって。飲み物いれるから座って」

「…………わかったよ。じゃあお言葉に甘えて」

ハルトがソファに腰を下ろすのを確認してから俺は台所でお湯を沸かし始める。カップを取ろうとして、薬の瓶が入っていた戸棚を開ける。……瓶がなくなっていた。

「ハルト、ここにあった薬の瓶は?」

「……気づいてたんだね。……そこにあった薬は全部飲みきっちゃったから、瓶はもう捨てたよ」

「えっ、……」

俺が見たときには瓶の半分くらいまでは薬が入っていたはずだ。それをあの数日で飲みきった……?

動揺している間にお湯が沸く。慌てて火を消してココアを淹れ、ハルトの隣に座って二人で飲んだ。ゆっくり息を吐きながら、ハルトは話してくれた。

「…………家を出るまでの間、ずっと不安だったんだ。僕が言わなくてもアキラは思い出してしまうんじゃないか、そうしたら嫌われるんじゃないか、何かの間違いなんじゃないか、何も知らないアキラを騙していることがバレたら……って、ずっと考えて、考えることから逃げるように薬を増やしてた」

「…………」

「……こんなことを頼むのも申し訳ないけど、今日から薬はアキラが管理してほしいんだ。もう一瓶が洋服タンスの中にあるから、それを。毎朝僕に1錠だけ渡してほしい。……薬に関してはあまり自分を信用できないから……」

「わかった。……大丈夫だよ、必要なことなら……ううん、大したことじゃなくてもさ。一緒に暮らしてるんだから、俺のことは頼ってほしいし、何かあれば頼んでよ」

「…………うん、ありがとう」

どうにかハルトにまた笑ってもらえた。でもそれが無理した笑顔じゃないか、俺を安心させるために笑っていないかを注意して見る。……これはきっと、大丈夫な笑顔だ。

「…………」

こうやって一つ一つ、積み重ねていくしかないのだろう。

一度ゼロに戻りかけた俺達の関係を、前よりもっと強いものにするために。



夜。すっかり綺麗になった家の中でビスケットにジャムを乗せるなんて小洒落たホームパーティのようなことをして、気配に注意しながらお風呂に入って、さあ寝ようかというとき。ちょっとした衝突があった。

「だから、ハルトは風邪引いてたんだからハルトがベッドを使うべきだって。俺がソファで寝るから」

「風邪はもう大丈夫だよ。アキラはベッドで寝たいって言ってたし、これまで通りアキラがベッドを使うべきだよ」

うん、わかってる。割としょうもない衝突だ。

ただ、今日は「じゃあお言葉に甘えて……」と折れるわけにはいかなかった。

……ハルトを一階で寝させるのは、そのままハルトが夜の街に出ていくリスクがある。家の中で包丁を取り出したり湯船に頭まで浸かったりするより、よっぽど確実に「死ねる」方法だ。

でもそれをストレートに言ってしまうと俺がハルトを信じていないみたいで気まずくなってしまう。どうにかハルトのほうに折れてほしいんだけど……。と思っていたところで、妙案を思いついた。……いやでも、これ、いいのだろうか。

「……アキラ?」

急に黙った俺を不審に思ったのか、ハルトが問いかける。……ああもう、腹を括るしかない!

「……わかった!そこまで言うなら一緒に寝よう!ベッドで!」

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