第30話 独りでは死ねない街(3)

「うわっ、誰だあんた!」

「…………ッ」

ハルトは目を開けた。眩しい。頬に湿った草と土の感触がある。首を動かして、手をついて身体を起こして、自分を見ている青年の存在に気づいた。二十代半ばほどだろうか。細身で、眼鏡をかけている。

「あ、……ええと……」

「…………」

「ごめんなさい、……ここ、どこですか」

「オレの家の庭だけど!?えっ何しに来たのあんた」

「庭、……ええと、ごめんなさい。勝手に入っちゃって……」

「……あれ?ていうかそれ警備隊の服?てことは警備隊の人?何してるのホント」

「…………」

……何をしていたのだろう。ハルトは懸命に思い出そうとする。

空の眼フィーネから逃れるために隠れた軒下とはまた別の家だ。確か朝になってからそこを出て、通りが警備隊だらけだから隠れつつ進んで、隠れて、逃げて、隠れて、…………。

…………思い出せない。夜の間にまた空の眼フィーネに記憶を狂わされたのか。それとも即死の眼から逃げるために咄嗟に近くに伏せったまま気絶してしまったのか。

「……すみません、よく覚えてなくて。たぶん、夜のうちからここにいたのかと」

「夜から!?えっよく生きてたなあんた」

「すみません、すぐ出ていきますので。……持ち合わせがないので、不法侵入の件もできれば通報しないでもらえると……」

今通報されたら処分場には行けなくなるし、不法侵入の罰金が生じる。手持ちのお金はないからアキラに迷惑をかける。それだけは避けたくて、ハルトは深々と頭を下げた。

「まあ警備隊の人だし?別に泥棒とかじゃないんならいいよ。……あ、そうだ。頼みがあるんだけどさ。聞いてくれたら勝手に入ってくれた件はなかったことにしてもいいよ」

「な、なんでしょうか。僕にできることならなんでもやります」

「中上がって。説明するから。あ、土とかは落としてから入って」

(……警備隊の制服、やっぱり着ててよかった)

服一枚でこれだけ信用されるとは。ハルトは内心で感謝しながら土埃を払った。それでも人の家に上がるには綺麗とは言い難い状態なのでなるべく物に触れないように気をつけながら慎重に家の中に入る。

家の中はごちゃごちゃとしていた。この青年1人が暮らしているわけではないようだ。

「それで……頼みとは一体?」

「そこのソファに婆さんが座ってるだろ。オレのばあちゃんなんだけどさ」

青年が指さした先をハルトは見た。こちらに背を向けた状態で、一人がけのソファに誰かが座っている。髪型からして確かに女性――老女のようだった。

「もともと長くないって言われてたから半月後に仕事休んで処分場に連れていくつもりだったんだけどさ、今朝見たらあの状態で死んでたんだよね」

「――――――」

「だから早めに処分場に行かなきゃなんだけど、休暇を前倒しするのがちょっと厳しくてさ。でも『死体』を業者に運んでもらうとすげー高いじゃん?だからオレの代わりに運んでおいてほしいんだ」

ハルトは数秒言葉を失った。目的地が同じであるならば、そして通報されないことと引き換えであるのならば、断る理由はない。だが、ほんの数分前に出会った、まだ名乗りもしていない相手に自分の『家族』の遺体を託すのかと――驚きで絶句してしまった。

その絶句を違う意味に取ったらしく、青年は眼鏡を外して袖で拭きながら苦笑いした。

「いやうん、わかるよ?イヤだよな死体運んでタダ働きなんて。でも頼める人がいないんだよ、半月も放置したら腐ってヤバいことになりそうだしさ。な、頼むよ」

「あ……、……わかりました。やります。……ただ、お願いがあるんですが……」

「ん?何、お金は出せないんだけど……」

「……服を、貸してもらえますか?この格好では目立つので……」

「あーあーあー、そういうことね、それなら全然いいよ、もう着ない服あるからそれあげる。返さなくていいから」

「いいんですか?」

「死体に触れた服とか返されてもオレ困るもん」

「…………」

「よし、持ってくるからちょっと待って」

「ありがとうございます。……あと、ええと、確か他人が死体を運ぶときにはご家族の委任状が必要なのでそれと、あと移動用の車いすもあれば……」

「そうだったそうだった!忘れてた、用意するからしばらく待って!あ、風呂とトイレはそこの廊下の奥!使うなら使って!」

青年はドタバタと二階に駆けていった。1人残されたハルトはそっと歩いてソファの前に回り込む。

老女は穏やかな顔で眠るように死んでいた。

「…………」

両手を合わせて数秒合掌する。……こんな〈覚醒者〉の祈りが何の意味を持つのかなどわからないけれど、それでもそうすべきだとハルトは思った。



三十分後。シャワーを浴び、青年の用意してくれた服に着替え、変装のために帽子も被ったハルトは鏡を見つめていた。

少し長めの髪を帽子の中に全部収めてショートカットに見えるようにした。つばが広い帽子だから目元もある程度隠れる。……これなら、顔を上げなければ大丈夫だろう。

(やることを整理しよう。あの青年はコモド。その祖母……あの遺体がトランクィッロ――トランおばあさん。僕はコモドの友人という設定で、どうしても来られない本人の代わりに彼女を処分場まで運んでいって……。……ついでに、僕自身も処分できないかとお願いする)

うん、と頷いて鏡から離れる。時刻は朝5時半。……アキラに別れを告げてから、丸二日が過ぎていた。

(……アキラ……)

その名前を思い出すだけで胸が苦しい。ダメだ、と頭から思考を追い払う。今は目の前のことに集中しなければ。人の家族を預かるのだ。

「委任状よし、車いすよし、着替えよし。よし、じゃあ頼んだ!」

「はい。必ず送り届けます」

「あ、車いす持って帰ってこなくていいからな。もう使わないし。というか完了の書類だけ送ってもらえればいいから。住所は委任状に書いてあるからそれ見て」

「……わかりました」

青年と別れ、ハルトは車いすを押して駅に向かう。想像以上に重く、少し驚いた。

「…………すみません、流れとはいえこんな赤の他人の僕が預かることになってしまって」

「…………」

「なるべく丁寧に運ぶようにするので、今日一日よろしくお願いします、おばあさん」

「…………」

当然ながら老女からの返答はない。それでもハルトは気にしなかった。死体であることがばれないように老女にも帽子を深く被せ、エレベーターで地下へと降りる。今度は誰何される前に先に駅員に話しかけた。

「おはようございます。車いすはどちらから乗ればいいですか?」

「三両目が車いす対応だからそこから乗ってくれ。……そちらの方は具合が悪いのかい?」

「ええ。実はそんなに長くなくて……」

「そうかい。もし乗車中に何かあれば常駐療法士に声をかけてくれ。延命は無理だが、痛み止めを出すくらいならできるから」

「ありがとうございます。それでは……」

三両目の乗車口前に車いすを押していく。早朝の静かなホームは、耳をすますと駅員の声も聞こえてきた。

「なあ、今のヘファ地区から連絡があった男に似てなかったか……?」

「他人の空似だろ、〈覚醒者リズベリオ〉が1人で逃げてるって話なんだ。婆ちゃんと一緒なわけないじゃないか」

「それもそうか……でも一応似たような男はいたって報告は上げておくぜ」

「はいはい。関係ないと思うけどな」

車いすのグリップを無意識に強く握る。列車が来るまで不安で手が震えだしそうだった。

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