第29話 独りでは死ねない街(2)
そんなに多く語ることはないぞ、と前置いてからジョコーソは口を開いた。
――七ヶ月前。俺はいつものように自宅兼事務所のあの家で仕事をしていた。
『ご無沙汰してますわ。アマービレです。今よろしいかしら』
「お前さんから電話とは珍しい。何かあったか?まさかナ19隊に〈
『そのまさかです。……あなたの腕を見込んでお願いしたく』
「…………」
〈覚醒者〉ってのはその能力や性質に応じて所属先が決まる。……それはまあ事実なんだが、能力や性質よりも優先して所属先を決めなければいけない場合というのもある。『保護』が必要な場合だ。
ハルトはハド区のとある名士の子供だった。あの地域は50年くらい前にパルティトゥーラに合併したばかりの地域で、まだまだそれまでの風習が強く残っていてな。その風習の一つに「大勢子供を作って、一番優秀な者を次期当主にする」というものがあった。あの家にはハルトを含めて15人は子供がいたはずだ。
しかも名士様だから子供の不祥事は表に出したがらない。結果として、たまたま地域の風習に染まっていなかった療法士がハルトを見つけて護送するまでにしばらく時間が経っちまってたんだ。
「…………」
扉のガラス越しに初めて見たハルトは、見た目こそちゃんとした成人の男だったがかなり疲れ果てた様子だった。特に何をするでもなく、ただ椅子に座って正面の壁を眺めているように見えた。
「聞き取りによると、夜に外に出るという問題行動があったらしく、それを防ぐために半月ほど窓のない部屋に幽閉されていたそうです。食事も最低限だったようで」
「……なんでまた」
「本人曰く、『夜に外に出れば死ぬことができると聞いたことがあった』だそうです。また、前世も自殺しています」
「……………………」
「ナ19隊の〈覚醒者〉所属要件に合致すると思いますが」
「……そうだな。うちで引き取ろう」
「よろしくお願いしますわ。幸い見ての通りおとなしい方で、暴力傾向なし、倫理観も〈覚醒者〉の平均値に収まっていますので苦労はしないでしょう」
「わかった。……名前と二つ名は」
「――勇士ハルトです」
……こんな無気力な男に『勇士』なんてどんな皮肉なのかと思ったさ。
だが、扉を開けて声をかけた途端にそいつは礼儀正しく立ち上がって頭を下げたんだ。
「こんにちは、初めまして。ハルトと申します。今日からお世話になります」
「お、……おお。よろしくな」
実際その後のハルトの世話はかなり楽だった。
言われたことはきちんとやり、やってはいけないと言ったことはやらなかった。
同居していたのも最初の数週間だけで、そのうち数日に一度様子を見に行くだけで問題なくなった。
……確かにこれでは、並の後見人なら見落とすだろうなって思ったさ。怪訝に思っていた頃、今度はアマービレが俺の家に出向いてきたんだ。
「1ヶ月ほど経ちましたが、その後勇士ハルトの状況はいかがですか?」
「……珍しいな、お前さんが〈覚醒者〉のその後を気にするとは」
「あなた、私のやることなすこと全部珍しがっていません?……それで状況は」
「ああ、うん。薬もちゃんと飲んでるし、仕事にも1人で出るようになった。怖いくらいに順調さ」
「それは何より」
「でも気になってることはある。……俺が『やっていい』って言ったことしかやらないんだ、あいつ」
「…………」
アキラもそうだったと思うが、〈覚醒者〉はこの世界に慣れてきたら、次は「この世界で自分はどう生きるか」ということを考えるのが普通なんだ。
だがハルトは慣れるのが他の〈覚醒者〉より早かった割に、俺やアマービレから与えられた生活以外のことを何もしようとしなかった。好きなものや趣味の一つもなかったのかと聞いてみたが『特にない』としか返ってこなかった。
「……パルティトゥーラ人としては平均的ですけど、〈覚醒者〉としては異端ですわね。友人も増えていないということですか?」
「そうだな。あいつの口から他人の話が出てきたことがない」
「……、月に一度、私と一緒にお茶会でもしましょうか」
「は?」
「あなたは来なくていいですわよ。あなたお茶会って顔じゃありませんもの。勇士ハルトに検定所に来ていただき、私とお茶を飲みながら会話したり、他の職員とも雑談してもらったりすれば、少しは彼の世界も広がるのではないかしら。いつまでも話し相手があなたしかいないのは不健全でしょう」
「……それもそうだな」
それでハルトは半月に一度は検定所周辺のパトロールという名目で検定所に出入りするようになったんだ。それが功を奏したのか、保護した当時よりはよく喋るようになった。だが、それでもあいつは静かなほうだった。
「……今にして思えば、あいつは『その場』に合った振る舞いをするのが得意だったんだろうな。なんというか、自分の役割をよくわかっているような奴だった」
それはなんとなくわかる。ハルトはずっと俺に対して『頼りになるお兄さん』として振る舞っていてくれたんだろう。だから俺の前では決して薬を飲んでいることも言わなかったし、具合が悪くてもなんでもないふりをしていた。
……本当の、ありのままのハルトは、どんな人だったんだろう……。
「俺がお前さんに『恩がある』って言ったことがあっただろ」
「え、……うん」
「あれはハルトのことだ。……お前さんが来てから、ハルトは『楽しそう』になった。俺から聞いてないのに、自主的に『明日』の話をするようにもなった。最初はその日の晩飯すら自分で決められなかったのにな……。そういう意味で、俺はハルトの後見人として、アキラ、お前に恩があったんだ」
「…………」
「だから頼む。……ハルトを連れ戻してくれ。あいつがこの世界からもいなくなってしまわないよう、お前が繋ぎ止めてくれ」
俺は頷いた。
俺だってまだ、こんなところで終わりにしたくない。
言いたいことも聞きたいこともまだたくさんあって。
やりたいこともこの先の未来のこともまだまだ全部。
――ハルトが俺の隣にいてくれないとできないから。
少しして、着替えが入った鞄を持ったカンタービレとペザンテが戻ってきた。
急遽荷造りしてくれたペザンテに何度もお礼を言って、俺とカンタービレは南に向かって出発したのだった。
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