第24話 空白の3年間(3)

建物の陰で退勤ラッシュを見送りながら、ハルトは静かに息を吐いた。

(……地下鉄を封じられる可能性を考えておくべきだった)

早朝、アキラと別れた後。ハルトはすぐに地下鉄に乗って南に移動していた。だが、ヘファ区を出て隣のトファ区に差し掛かった辺りで乗務員がちらちらとハルトを見ていることに気づき、そこで降りた。そして次の電車に改めて乗ろうとしたところ「勇士ハルト様ですか?」と誰何されたのでそのまま地上に逃げて今に至る。

(そうだよね、顔パスで地下鉄に乗れる仕組みがあるということは、乗せてはいけない人間を管理する仕組みもあるということだ。……迂闊だった。警備隊ジョコーソさんならそのシステムを動かせて当然だったのに)

警備隊隊長を甘く見ていた、とハルトは悔やむ。だが、すぐに思考を切り替えた。唯一の移動手段である地下鉄を塞がれた今、どうやってイファ区にある『あの場所』に向かうか。

地下鉄で地区一つ移動するのには約12時間かかる。ずっと地下鉄に乗り続けていられれば、これまで暮らしていたヘファ区から南に2地区下ったイファ区には明日の昼の刻には辿り着けていたはずだ。だけど実際にはジョコーソに先回りされ、ヘファ区の隣のトファ区北側で降りることを余儀なくされてしまった。

ここから歩くとなると何日かかるか。どうにか違う手段を考えなければいけない。それに、地下鉄車内で確保する予定だった食糧や寝床をどうするかという問題もある。

(……この服で出てくるんじゃなかった。目立つよな……)

制服を着ていれば同じ警備隊の人間に不審者と思われる可能性は減る。だが、隠れて移動する前提だとこの服は目立つ。どちらにせよ一緒か、とハルトは結論付けた。ならば今この格好であることのメリットを活かすだけだ。立ち上がって表通りに出る。

「君、ちょっといいかな?」

「……んっ!?な、なんだ?」

ハルトは退勤ラッシュが終わった後の街をパトロールしていた警備隊の青年に声をかけた。

「道に迷った人を保護したのだけど、空腹で動けないらしいんだ。申し訳ないのだけど僕の代わりに駅からパンをいくつか持ってきてくれないかな。僕はその人をここまで連れてくるから」

「あ、ああ……わかった。パンでいいんだな?」

ハルトが頷くと、青年は「すぐ戻る!」と言って地下への階段を駆けていった。

(……アキラと背格好がちょっと似てたな)

もしアキラが警備隊の制服に袖を通すことがあったら、あんな感じだったのだろうか。そう想像しかけて、やめる。そんな想像には意味がない。

(それにもうこれ以上、想像の中であろうと彼を僕の思い通りになどしてはいけない)

十分ほど経ったところで、青年がパンの入った袋を抱えて戻ってきた。

「味なしパンと、ベリージャムパンと、卵酢パンを持ってきた。とりあえずこれでいいか?」

「ありがとう。助かったよ」

「ところでその迷った人はどこに?」

「……あれ?おかしいな、さっきまでそこに居たのに……。ごめん、一緒に探してもらえる?すぐそばにいると思うんだ」

「わかった。どんな人だ?」

「小柄なおばあさんだったよ。杖をついていた。僕は来た道を辿ってみるから、君は通りの向こうを見てもらえるかな」

「ああ。早めに見つけないと夜が来ちまう。急がないとな」

「うん……。僕らも危ないからね。一通り探して、十分後に一旦ここに集合しよう」

ハルトは建物の陰へと素早く駆けていった。……その場しのぎの嘘だ。ハルトが戻らなければあの青年も嘘に気づくだろう。

(……僕はいつまで経っても嘘を重ねてばかりだ)

急いで隣の駅の方面へ走る。夜が来る前に、できるだけ遠くへ――。



『――いけません。そのような真似をしてはいけません』

『ダメな子。やっぱり■■■■なんて名前で生まれたからいけないのね』

『私を敬いなさい。私はお前のお姉ちゃんなんだから』

『ばーか、ばーか!■■■■お兄ちゃんのばーか!』

……………………。

…………子供が、僕を含めて15人ほど。

父親が4人、母親が9人。……母親のうち2人は姉でもあるから……。

……こんがらがる。結局〈覚醒者リズベリオ〉の僕に、あの家の人間関係は理解できなかった。

『■■■■は昔からダメだダメだと思っていたけれど、本当にいよいよ見込みがないのかも』

『背丈と体力はあるのだし、庭の手入れでもさせようかと思っていたのだけどね。夜に外に出るのは問題だわ。狂ってるとしか言いようがない』

『あいつに子を作らせたところで見込みはないだろう。ならやはり……』

『そうだな、やはり』

…………ただ、一つだけ感謝していることがあるとすれば。

『――に連れていくしかないでしょうね』


その場所の存在を、覚醒後の僕に教えてくれたことだ。




「……ッ」

知らない家の軒下でハルトは嘔吐えずいた。どうやってここまで辿り着いたのかは思い出せない。抱えていたパンの袋には卵酢パンしか残っていなかった。壁を向いてうつむきながら状況を整理する。

……夜だ。空にあるのはおそらくこの前アキラと見た空の眼フィーネだろう。人の空間認識をめちゃくちゃにして、忘れていたはずの記憶を強引に掘り起こす。直視さえしなければ気分が悪くなっても死ぬことはない。こうして背中で『視線』を浴び続けるのもよくはないけれど。

(…………即死の空の眼フィーネの日が来る前に、どうにか)


――――……。

『ぼくのしょうらいのゆめは、おとうさんやおじいさんみたいなりっぱなおいしゃさまになることです』

『――ああ、ああ、だめ、こんな……こんな成績じゃ……これじゃ私も大翔もあの家にいられなくなる……』

『出ていきなさい。出ていって、好きに暮らしなさい』

『あいつさー、全然話続かないし飲み会でも隅っこでじっとしてるし、なんかつまんないやつだよな。そのくせ顔はいいからモテるっていう……』



『――生きてても何にもいいことないな』



(それまでに、どうにか、処分場に)

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