第10話 〈覚醒者〉とは(1)

学校に学生を送り届けた頃には12時近くになっていた。建物の日陰に並んで座り込んで、ハルトが持ってきていたドーナツみたいな形のパンを食べる。

「……なあ、さっきの学生さ。友達が〈覚醒者リズベリオ〉だったってことなんだよな」

「そうみたいだね」

「〈覚醒者〉ってわかった時点で元の生活には戻れないってことなのか?パルティトゥーラに住んでさえいれば……理解者さえ傍にいるなら元の生活だってできるんじゃないのか?」

「……ほとんどの場合はできないよ。〈覚醒者〉っていうのは前世の記憶に身体が乗っ取られるに近いんだ。それまで生きてきた人生のことはまるで他人の話を聞いているみたいに認識が曖昧になるし、そもそも周囲から見たその人はもう姿が同じだけの別人に等しい。……たぶん、彼の友達も、彼のことはほとんど覚えていないんじゃないかな」

「………………」

「それまでの思い出を取り戻すこともあるけれど、どんなに早くても数ヶ月後。最悪ずっと思い出さないこともあるって聞いているよ」

「……そう、なのか…………」

そう聞くと少し気分が重くなる。俺は……『スケルツァンド』は、一体どんな人生を送ってきたんだろうか。

(……よくビンタで許してもらえたな、俺)

マコの村の両親のことを思い出す。正直もう顔の詳細がうろ覚えだが、それでも俺を21年間育ててくれた人達には違いないのだ。そんな人達とあんな雑な別れをしてしまったことに、今更ながら申し訳なさが湧いてきた。

「…………アキラ?」

「……あー、いや、実家の……こっちの世界の両親のこと思い出して。……連絡くらい取ろうかなって思った」

「…………やめておいたほうがいいよ。僕らと、この世界に根付いて生きている人達とでは常識とか、思考とか、そういうのが何もかも違うから。今連絡を取ったところで、違いに驚かせてしまうだけだと思う。せめてもう少しこの世界に慣れてからのほうがいいよ」

「……そうかな。……ハルトはこの世界の家族とは連絡取ってるのか?」

ハルトは首を横に振った。

「僕は……元の世界の記憶が戻った頃に家族にひどく迷惑をかけてしまったから。僕が療法士さんの診断を受けて〈覚醒者〉検定所に向かう日、皆むしろ安堵していたように見えた。僕の奇行の原因は〈覚醒者〉だったからなんだ、これでもう関わらなくていいんだ、って……」

「奇行……ハルトが?一体何したんだ?」

ハルトの奇行とか正直想像がつかない。突っ込んで聞いてみると、ハルトは曖昧に笑って目を伏せた。

「……夜にね、外に出ようとしてしまったんだ。家族が止めても、何度も何度も」

「……夜に外に出るのって、そんなにおかしなことなのか?」

「この世界ではね。例えるならそうだな……全身に生肉を括り付けてお腹を空かせた熊の前で踊るくらい……?」

……想像してみた。……うん、急に家族がそんなことを始めたら一体どんなおかしな宗教にハマったのかと思って全力で止めるだろう。

「僕らは本質的に異物なんだ。だけどこの世界になかった知識や技術で世界全体を前進させることができる。〈覚醒者〉はそういう役割で……そういうものだとしか期待されていない」

「……でも、俺たちがやってる仕事って別に技術革新とかそういうわけでもないじゃんか。最低限の体力があれば誰でもできるっていうか……」

「この世界の人は『他人』とは関わらないんだ。基本的にね。まして道行く……何をしているのかわからない怪しい人に声をかけて事情を尋ねるなんて正気の沙汰じゃない。だから道で倒れた人は自力で起き上がって病院に行くかそのまま死ぬかのどちらかだったし、街中で暴力を振るう人が現れても誰も止めなかった。自分の土地で誰か死んでから初めて家族総出で死体を片付ける……みたいな感じだったんだって」

「それだいぶヤバくないか?」

いくらなんでも治安が終わりすぎだ。それじゃスラム街以下じゃないか。そう訴えるとハルトは頷いた。

「やばいよ。そういう状況を見かねたとある〈覚醒者〉が創設したのが警備隊による街のパトロールなんだ。そのおかげで街は安全に暮らせる場所になった。今はジョコーソさんみたいな生粋のパルティトゥーラ人が大半だけど、昔はほとんど〈覚醒者〉で構成されていた組織だったらしいよ」

「そうだったのか……」

「警備隊は例えるなら皆が嫌がることを進んでやるヒーローみたいな存在なんだ。そこに所属する〈覚醒者〉は、かつての英雄の再来かもしれない――なんて言われて注目される。街の内外に名前が知れ渡るくらいにはね」

――ああ、だからあんな田舎に住んでいた母親も『勇士ハルト』を知っていたんだ。〈覚醒者〉がどんなものかもよくわかっていなかったのに。

「……異物、か」

「ああ、でも差別とかはないから安心して。……いや、差別するほど他人に興味がないってほうが正しいかな。さっきの学生の彼の反応は珍しいほうで、普通は〈覚醒者〉とわかった時点でもう完全に『他人』だからね。どうでもいいんだよ」

「……それは……まあ、差別されたり嫌われたりするよりはずっといいけどさ」

〈覚醒者〉だとわかった途端に周囲から自分たちとは違うものなのだと見放される。心配してくれるのは親しかったほんの数人だけ。なのにその人たちのことすら忘れて、前世の知識で生きていくしかなくなる……。

「……なんだか、ちょっとつらいよな、それ」

「…………アキラ」

「あーごめん!なんだか湿っぽくなっちゃったな。なるようにしかならない、よな。うん……」

ハルトが黙って頷き、「そろそろ行こうか」と立ち上がる。俺もそれに倣った。



――昼食後は何のトラブルもなく、ただ二人で雑談しながら歩いていただけで終わってしまった。

「なあ、正直なこと言っていい?」

「いいよ」

「二人で喋っててもこう……なんか……何もなさすぎて暇だなって思うんだけど、ハルトは今までこの仕事ずっと1人でやってきてたのか?」

「うん」

「飽きない?」

「うーん……仕事だからね。飽きるとか、飽きないとか、そもそも考えたことがなかったな」

「すごいな……忍耐力ありすぎ……」

「アキラは結構あちこちに興味が移り変わるよね。あ、いや、悪い意味じゃないんだけど。あの建物は何とか、日本でいうあれはどうなってるんだろうとか……」

「そ、そうか?来たばっかりだから色々知りたいっていうか……なんか喋らないと間が持たないっていうか……もしかしてうるさかった?」

「ううん。楽しいよ。……僕は結構見落としてたから。何度も歩いた道なのに、アキラと一緒に歩いていると新しい発見ばかりだ」

「そっか、それならよかった」

俺から見るとこの街はまだまだ謎だらけで、気になることがたくさんある。だけどハルトにとってはそうじゃなかったんだろう。興味がない……というよりは、そもそも意識してなかったようだった。

(……この半年の間、ハルトは何を思いながらこの街を見てきたんだろう)

聞いてみようと思って、やめた。まだ。……まだ、それを聞くのは早い気がする。

つんざくような鐘の音が、その日の労働の終わりを告げた。



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