第3話 謎の「生物」を救え ー 医工薬生物学部連携による緊急会議 ー

 T大学では、研究内容の外部への漏洩を防ぐために特別に開発された、外部ネットワークとは隔絶された環境下で会議を行う学内独自の非公開会議システムが運用されていた。

 この会議システムは、参加者が脳波測定装置によく似たこの装置に同時接続することで、接続者同士の会話や画像のやり取りを脳内で伝達し合える、いわゆるテレパシーのような様式であった。特別な記録装置に会議の内容は保存され、資料を印刷する手間も省けるため、特に機密性の高い研究者会議でよく用いられていた。ただし、伝えたい内容を強い思念情報として頭の中に強く思い浮かべる集中力が必要とされたので、参加者の精神力の消費と消耗の激しさから、長時間の使用には向いていなかった。


 木村教授から指定されたチャンネルに接続すると、私以外の3名の先生方はすでに接続していたらしく、他愛もない雑談をしている最中だった。

 私が接続したことに気が付いた木村教授が自然と進行役を引き受けてくれた。

「やあ、森野先生もきたね。このシステムを使うとあまり時間をかけられないのは皆さんご存知の通りです。開発者によると思念脳波の増幅装置を鋭意開発中とのことですが、現行の装置では、相当の精神力を必要としますので申し訳ないが、本題に入らせてもらいます。森野先生、今までの経緯を簡単に説明して下さい」


 私は準備しておいた簡単な資料を思念情報として示しながら、神社の境内で謎の半透明の物体を見つけたことやその物体の一部は間違いなく動物細胞によく似た細胞から構成されていること、病変部と思われる不透明な領域が時間と共に拡大しており、真菌の増殖部位が確認されること、真菌感染症が疑われ、全身状態は時間の経過と共に徐々に悪化していることなどを簡潔に3人の先生方に向かって告げた。


 続いて木村教授が試作2号機を使って測定した謎の物体の代謝データの簡易解析結果を示してくれた。

「今回、謎の物体が生物かどうか分からない、とのお話でしたので、念のため、森野先生には動物モードと植物モードの2つのパターンで測定を行って頂きました。これは、あの物体から10分間に放出された代謝産物の累積濃度を色の濃淡によって可視化した画像です。濃い赤色の部分はこの生物による代謝が活発に行われて、代謝産物が多く産生・放出された部位になります。逆に代謝があまり行われておらず、代謝産物がほとんど産生・放出されていない部位は濃い青色で示してあります。ご覧のように、赤い領域と青い領域が斑状に分布していますね。言い忘れましたが、これは、動物モードを使って測定した結果です。先ほどの森野先生のデータと併せると、不透明化した病変部の真菌増殖部位に一致して、青い領域が確認できます。青い領域では、代謝が行われていないことになるので、かなり危機的な状況にあると考えます。一方で、半透明な部位に一致する部分は薄い赤色ですから、まだ代謝が行われている。ただし、この代謝産物の放出量だと、活発な代謝は行われていないことが分かります。この結果からみても、森野先生の仮説が正しいと考えます。この物体は生物であり、生命現象である代謝が阻害される状況になってきている。できるだけ早く何らかの処置を行わなければ、やがて死んでしまう状態にあるのは、ほぼ間違いがないでしょう。それでは次に植物モードで測定した際の結果を示します。実は、森野先生からこの謎の物体には、我々が肉眼で観察することのできない領域、すなわち『透明な部分』がある、という話だけは聞いていたのです。植物モードの解析を行った結果をみると、植物様式の代謝を非常に活発に行う部位が濃い赤色で表示されることになります。こちらをご覧ください」


 そこには、球体のほとんどの領域が青色を示す中、500円硬貨程度の大きさの一部の領域が濃い赤色を示している画像が思念データとして示されていた。木村教授が話を続ける。

「植物のように光合成をして、エネルギーを産生する領域がこの物体の一部に存在することが分かりました。しかもこれは、森野先生が確認した『透明な部分』に該当する可能性が極めて高いです。これは驚くべき結果です。この結果によれば、動物細胞と植物細胞が1つの個体の中に共存していることになってしまう。こんな生物はこれまで見たことがないのです」

 私はふと疑問に思ったことを質問した。

「木村先生、この生物に感染している真菌は活発な代謝をしていると思うのですが、この試作2号機では真菌自体の代謝状態は検出されないのですか?」

「とても良い質問だね、森野先生。残念ながら、AIがこれまでの学んだ主なデータは動物と植物だけで菌類のデータは登録されていない。しかもまだまだ登録数が不十分なので、真菌などの病原体における代謝状況の検出については、今後の課題になるかと思います。まだ簡易解析での結果なので、私はひき続き詳細な解析を進めたいと思う。あと、結晶化サンプルの方の解析には2週間程度かかると思うが、なるべく早く解析してもらえるように検査センターの荻野先生に話をしておくよ」


 それまでじっと聞いていた根元教授がすぐさま発言する。

「森野先生から私の方に真菌治療のプロトコルについて問い合わせがあったので、珍しいこともあるものだなと思ってはいたのですが、未知の生物に対する治療の相談だったとは驚きました。しかし、もし時間単位で病変部位が拡大していく状態であるとするならば、その生物は強力な毒素を産生しながら急速に増殖する強毒型の真菌に感染している可能性があると思います。ただし、お話を聞く限り、全身状態の悪化が急速に進んでいて宿主側の真菌に対する抵抗力が損なわれている可能性もありますから、もはや一刻の猶予もない状態に陥っていると考えます。本来であれば、他の疾患との合併症の有無や日和見感染の可能性について考慮する必要がありますが、この生物についての基礎的な情報が圧倒的に不足している以上は、対症療法を行う他ないでしょう。早急に抗真菌薬の投与を開始して経過を注意深く観察するべきです。あと、増殖部位の真菌を採材してサンプルを頂ければ、こちらで培養して菌種の同定や抗真菌剤の感受性試験の実施を試みますよ」

 根元教授と目を合わせるイメージで、私は誰もいない部屋の中でひとり、頭を下げながら言った。

「根元先生、ありがとうございます。真菌サンプルは一部採材してありますので、後で先生の研究室に届けたいと思います。お手数をおかけしますが、ぜひよろしくお願いいたします。あともう1つ、実際の投与方法について相談したいのです。この生物には口や鼻、目などの器官が確認できていません。また、体内に我々と同じような臓器をもち、機能するのかどうか、そのような基本的なことですら明らかにできてはおりません。この状況で、抗真菌剤の投与経路をどのようにすべきか悩んでいます」


 沈黙の時間が少しあってから、根元教授が薬剤師の資格をもつ安西先生に意見を求めた。

「安西先生、現在の状況だと飲み薬は使えないとして、薬浴や軟膏の薬剤は使えるでしょうか」

 安西先生は以前薬局に勤務した経験を活かし、薬剤の調剤や処方についての実務を学生実習で教えている。まだ30代前半で薬学部の講師を務める安西先生は、有効成分である原薬の分解を阻害したり促進したりして分解速度を調整することで、薬効時間を自由に調節できる新しい添加剤の開発を行っている。

「未知の生物に対して、抗真菌剤の毒性がどの程度生じるのか、薬用量がどのくらいなのか、私自身は全く見当もつかないのですが、病変が全身に拡大してしまっている状況を考慮すると、思い切って薬浴をさせて経過を観察し、病変部が縮小するようなら局所的に軟膏を塗布する方法で何とか治療できないでしょうか。もし、真菌の繁殖が表層部だけに留まっているのであれば、十分な効果が期待できます。ただ、体内の深部まで病変が進行していた場合は、薬浴による効果は限定的なものになるかもしれません」

 安西先生によれば、薬学部の学生実習でも実際に行われている、薬剤を添加した液体に入浴させて薬浴をさせるイメージだという。軟膏については、普段から根元教授が一般的な真菌治療に用いるプロトコルを基にして、安西先生が調剤したものを提供してもらい、実際の治療に用いることが決まった。


 ところが治療を実施しようとすると、謎の生物に対する栄養供給をどのようにすべきか、という問題が生じてくる。これについては、これまで様々な微生物を相手にしてきた自分の経験や勘のようなものに頼るしかなかった。

 実際にこの生物が食物を摂取するのかどうかについては現時点では不明である。ただし、この生物の少なくとも一部分、私が削り取って顕微鏡で観察した部分、は間違いなく「細胞」から構成され、木村教授の解析からも代謝活動を行っている点については確認がとれている。ということは、薬浴治療の間は、直接栄養を取り込めるような方法を用いる方が良いだろう。植物的な代謝が可能な生物であるならば、栄養成分を含む溶液から、何らかの方法で栄養を取り込むすべを持っているのではないだろうか。私は、実験で細胞や組織を生かすために使用する、各種アミノ酸やビタミン類をたっぷり含んだ「培養液」に抗真菌剤を添加して薬浴させる方法を取ることに決めたのだった。


 一通りの対応策がまとまり、会議録の自動記録機能を「終了」とした後で、最後に木村教授からある提案がなされた。

「これから話すことは内密にして頂きたいのだが、現在我々は試作2号機の機能の一部を小型化したポータブル測定器の開発を進めている。この測定機についてはまだ学内のどの研究者にも一切開放していない。だが、開発中の測定用プローブを使えば、結晶化サンプルの取得はできなくても、プローブの先端を薬浴液に浸漬することで治療中の対象物における代謝状況をモニタリングすることが可能になると思う。この謎の生物の治療中の代謝状況を把握することができるかもしれない。試作1号機と2号機で蓄積したノウハウを注ぎ込んであるから、試作機とはいえ、そこそこの精度で測定できるという自信はある。3か月前には、私が研究室で飼育している『金魚』が健康体であることを証明できた。そういう段階にまで達していることを付け加えておきたい。まあ、水槽の中に生えている水草由来の代謝産物と区別するための『フィルター項目の設定』には相当苦労したがね」

 私は木村教授の提案に対し、2つ返事で協力をお願いした。

「もし測定することができれば治療効果や副作用の有無についても明らかにすることができるかもしれません。ぜひよろしくお願いします」


 こうして今後の方針が決まった所で、その日の緊急会議は幕を閉じた。

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