第2話 「生物」の痕跡を追え

 当時、T大学では空気中に含まれる生物由来成分を結晶に変えて成分分析を行う「結晶化技術」の開発に力を入れていた。工学部の研究棟にはその試作1号機である「Crystallizer 01」が置いてあり、他学部の研究者であっても申し込みをすれば、だれでも使用することができた。


 透明部分が存在していても、生物として生きているのであれば、そこには何らかのエネルギー活動が生じるはずだ。我々の体を構成する細胞も生きている時には代謝を行い、空気中には様々な代謝産物を放出している。その空気中に放出された代謝産物を結晶化することのできる装置が試作1号機だった。

 測定対象物の周囲に放出される空気中のあらゆる物質を回収し、濃縮して結晶化するため、細胞などの生きているサンプルを傷つけることもなく、現在の状態を把握することができる。

 その具体的な測定方法は、たとえばこうだ。1匹のショウジョウバエがいるとする。このショウジョウバエを測定用容器の中に入れて、5分ほどおいてから内部の空気を回収する。回収された空気は、結晶化用ユニットに送られる。ユニット内部の第1反応回路の中で、もともと環境中に含まれていた生物由来ではない不要な成分が除去される。その後、第2反応回路内の中で生物由来成分が濃縮され、第3反応回路を経て精製・抽出された成分が結晶化サンプルとして下の取り出し口からでてくる仕組みである。この方法を用いて、老化したショウジョウバエと若い健常なショウジョウバエから採取された結晶サンプルを解析・比較することで、代謝産物の組成、すなわち含まれる物質の種類や濃度には違いがでてくる。この違いを利用すれば、対象生物を傷つけることなく非破壊的に、活発な代謝を行っているのか、それとも病的な状態に陥っているのか、測定時の状態を把握することができるのだ。開発途上の試作機であるため、その解析数を増やせば増やすほど、データは蓄積される。研究者の手動による設定と全体を制御する人工知能(AI)の双方が経験を積み重ねることで、結晶化に適した各反応回路内の反応条件について学び、その精度はより向上していく。

 

 まだ試作機が0号機だった開発当初には、課題も多かった。機械の性能を確かめるために実施した基礎実験で、当時の工学部学部長から採取した結晶を解析した結果が「人間のサンプルではない」としてエラーになったことから、大騒ぎになったことがあった。結局、結晶化から解析を制御するAIに、ヒトや爬虫類、魚類など200種類以上もの様々な動物由来のサンプルデータを経験させる機会を増やし、解析の精度を上げた結果、学部長のサンプルがやっと「人間」のものとして認識できるようになったものが現在の試作1号機である。ただし、当時を知る学生から語り継がれた「学部長は人間ではない」との噂が学生の間では、現在も脈々と受け継がれている。

 

 そしてつい先日、対象物から放出される代謝産物や結晶化までの各過程を可視化することのできるリアルタイムイメージング装置が試作1号機に追加され、新しく試作2号機「Imaging system for crystallization process monitoring: iCPM」として研究者に開放されることとなった。試作2号機は測定対象物から放出される代謝産物の種類や濃度を可視化し、経時的にモニタリングすることを可能とする。その物質の種類や濃度変化の推移を解析することで、細胞が健全であるのか、それとも病的な状態にあるのか、診断を可能とする画期的な装置である。この機能は、動物や植物の細胞などの生きているサンプルを研究対象とする生物学系の研究者から、「追加してほしい機能」の1つとして要望が多く挙がっていたものだ。


 私は試作2号機の開発者である工学部の木村教授に内線で連絡をとり、生物かどうか分からない謎の物体の解析をすぐさま実施したい旨を告げた。この物体が生物なのか無生物であるのか、そのどちらであるにしろ、私の立てた仮説が正しければ、この物体は真菌に感染し、正常な機能が時間と共に徐々に阻害されているために、もはや透明であることを維持することができない程に全身状態が悪化してきている可能性がある。現に神社で発見した時の半透明に近い状態と比べると、不透明化領域がおおよそ2倍程度にまで増加してきていた。一刻も早くこの物体の現在の状態を把握する上で必要なデータを収集し、代謝の状態を解析する作業を迅速に進める必要があった。

 幸いにも木村教授からは、「ちょうど10分後に現在測定を行っている実験が終了するので、それからでよければ装置を使用できますよ」という折り返しの連絡を受けていた。

 謎の物体がもし生物であるならば、真菌感染症に対する何らかの治療が必要になると考えたので、日本真菌学会の権威である医学部微生物学研究室の根元教授に「真菌感染症の治療用プロトコルについて」という件名で問い合わせのメールを送付しておく。それから私は、念のため滅菌バッグの中に入れた謎の物体を収納した輸送箱を両手で抱えて生物学実験棟を後にすると、歩いて8分程度の所にある工学部の研究棟へと急いだ。


 試作2号機は工学部の地下1階にある解析室に設置されていたので、薄暗い階段を下りて解析室のドアを開けると、木村教授がちょうど実験を終えて、サンプルを試作機から取り出そうとしている所だった。

「お、森野先生、ちょうど良かった。今測定が終わった所です。基本項目に関するキャリブレーションは済んでいますから、私のサンプルを取り出した後はすぐに使用できますよ」

「木村先生、今回は突然の連絡にも関わらず、ご配慮頂き本当にありがとうございます」

 私は試作機の扉を開けて、木村教授のサンプルを装置の中から取り出す手伝いをしながら聞いた。

「これは、食虫植物ですか?」

「うん、そうなんだよ。先生もご存知の通り、我々の研究チームはこの間まで主に動物を中心に解析データを集めていたのだが、先月から植物のデータ収集を開始してね。やはり、この試作2号機のAIに多くのデータを学ばせる上で、動物のデータだけでは不十分だ、という意見が挙がっていてね。ちょうど薬学部の学生からこの時期は学生実験で食虫植物の観察を行っていることを聞いたから、安西先生の所へ行って予備のやつをちょっと借りてきたので、ここで測定していたんだよ」

 心の中で、これはチャンスだと思った。動物と植物の両方のデータを学んだAIを使って解析を行うことができれば、この物体について何か新しいことが分かるかもしれない。

 期待に胸を膨らませながら、木村教授に聞いた。

「ぶしつけなお願いかもしれませんが、私がこれから測定するサンプルについて、ぜひとも動物と植物のデータを学ばせた最新のAIで解析を行いたいので、ご協力頂けないでしょうか」

 木村教授は測定の終わった食虫植物を丁寧に輸送箱に入れてからゆっくりと持ち上げながら言った。

「驚いたな。森野先生が植物の研究も始めたとは知らなかったよ。いいよ、先生の微生物と気候変動の研究は面白いと思うし、ぜひ一緒にやろうじゃないか。それで、測定したいサンプルというのは植物と動物のどちらなんだい?」

「それが、私にもこの物体が動物なのか植物なのか、そもそも生物であるのかはっきりと断言できるわけではないのです。杉ノ山神社の境内で学生がつまずいて、そこにあったこの物体を見つけたのですが、何といえばいいか、肉眼で認識できない透明な領域があるんです」

「何だか、ワクワクする話だね、だが、私は先にこの植物を薬学部の安西先生に返しに行かないと怒られてしまうから、森野先生、測定は動物モードと植物モードのどちらかを選択できるから、両方のモードを使ってそれぞれのデータを取得しておくといいと思うよ。私もこれを返したら薬学部からすぐに戻ってくるから、工学部にある解析用量子コンピュータですぐにでも解析してみよう。測定が終わったら2階の教授室に測定データを置いていってくれたらすぐにでも取りかかるよ。先入観はない方がいいと思うから、検体の詳細についてはこれ以上聞かないでおくよ」

 異なる分野の研究者にワクワク感を感じさせることができれば、してやったり、この共同研究は大きく発展するための第一段階を突破したも同然だ。

 私は試作2号機の扉を開けて、測定用チャンバーの中に注意深く謎の物体を入れ、転がらないように念のために軽く固定をしてから外側のタッチパネルの画面上で「動物モード」を選択して、測定開始ボタンを押した。本来は細かな条件設定が必要だが、未知のものを初めて測定する際には、とにもかくにも現在ある測定プログラムでデータを収集するしかないだろう。機械内部からコンプレッサーの動作音が聞こえ始め、15分程度でデータ取得は完了し、収集した物質の結晶化工程が開始される。やがて、透明な色の結晶化サンプルがシャーレに収納されて取り出し口に滑り出てきた。画面に表示された「終了」という文字を確認してから、再度「植物モード」に切り替えてからデータを収集する。欲をいえば、2つのモードを同時に遂行できたら厳密な意味での比較ができるんだがな、と今回の実験における問題点を考えながら私は植物モードの結晶化サンプルが出てくるのを待った。

 測定開始から30分が経過した頃、淡い萌黄色をした1 cm程度の結晶化サンプルを手にした私は、謎の物体を試作機から取り出して再び滅菌バッグに入れてから輸送箱に収納し、小脇に抱えて工学部の2階にある木村教授の居室を訪ねた。木村教授は学生に呼ばれたとかで不在だったが、教授室の前室に秘書の前田さんがいたので、事情を説明しデータ解析申込書と暗号化データの入った携行型メモリーを入れた封筒を木村教授に渡してくれるように依頼をした。動物モードと植物モードで得た2つの結晶サンプルは、学部横断型研究支援センター内に設けられた結晶解析センターの窓口から成分分析を依頼して、工学部を後にした。

 生物学部研究棟の検疫室に戻ってきた私は、謎の物体の入った輸送箱を実験台の上にそっと置いた。脇に設置された共用パソコンを使ってログインした後で、マイページからウェブメールを開き、新着メールをチェックする。

 医学部の根元教授からは返信が届いていた。

 生きた真菌が採取できる様なら、培養した後で抗真菌剤の感受性試験を行うこともできるが、現在の病状が進行・悪化している場合には、それと並行して一般的な治療プロトコルを開始した方が良い、という意見が文末に申し添えてあった。

 細胞や大腸菌を培養する実験の際に、カビの増殖を防ぐ目的で抗真菌剤を使用したことはあったが、生体に投与した経験はなかったので、戸惑いを感じながらブラウザを閉じた。

 私は実験台の上に置かれた輸送箱から謎の物体を再び取り出して、眺めた。投与方法は一体どうすればいいのだろう、と漠然と思った。

 不透明化領域は今や、全体の3分の2以上を占めており、明らかに真菌感染による病態は悪化していることが予想される。しかし、この物体の全体をどんなに眺めても、目や鼻や口などのめぼしい器官が見当たらない。この状況で、物体をどのように扱えばよいのか、皆目見当がつかなかった。

 突如、実験室の入り口に設置されている内線電話の呼び出し音がけたたましく鳴り響いたので急いで駆け寄って受話器を取ると、電話口から木村教授の興奮した声が聞こえてきた。

「森野君か。さっきのデータを簡易解析した結果についての連絡なんだが、ものすごく興味深い結果がでたんだ。代謝反応自体は確認できるので、生きた生物であることは間違いないと思う。ただ、要点だけ言うならば、この検体の代謝的特徴は、、といえばいいのかな。こんな代謝様式は、今までに見たことがない。そうだな、こういえばいいか。この物体が食べ物を食べるのかどうかは分からないが、もし何らかの方法で食物を摂取することがあれば、取り込んだ食物から栄養を吸収し、エネルギーを産生することが可能だ。だがこの生物のすごい所は、食べ物のような栄養成分を取り込むことができなくても、植物でいう『光合成』のような代謝様式を持っていて、どうやらそこからもエネルギーを得ることが可能なんだ」


 私はすぐにでも、解析結果の詳細を直接聞きに行きたい気持ちをぐっとこらえて、木村教授に聞いた。


「先生の解析結果からも、この物体が生物であることの証拠を得られたと思うのですが、この生物はおそらく真菌、カビに感染していて、弱ってきているようなのです。医学部の根元先生に治療用プロトコルについて相談したのですが、病状が進行しているようであれば、すぐにでも抗真菌剤を投与した方が良いと言われました。しかし投与方法をどうすればよいのか悩んでいます。何か良い方法はあるでしょうか」


 木村教授は電話口で少し考えてから、自身と医学部の根元先生、薬学部の安西先生と私の4名で緊急会議を開催した方が良いだろう、と言い、自分が両教授に連絡して算段をつけるから、君は簡単な経緯を説明できるように準備をしておいてくれ、と言ってから、電話は切られた。


 こうして急遽、「謎の生物」を救う方法について話し合う「緊急会議」が開催されることとなった。


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