11話 魔法少女・朝宮光
光に会う度に腹が減った。
日が昇っているうちは案外理性が強かった。
彼女を家まで送り届け家へ帰ると、毎晩空腹感でどうにかなってしまいそうだった。
「聞いてください! 三年生の先輩達が修学旅行から帰って来たんです!」
「へえ」
「写真が廊下にいっぱい貼り出されてて、欲しい物を選んで買えるらしいんです! いいなぁ、私も早く行きたいなぁ、北海道」
「寒いだけだろ」
「そうなんです! 東京はこんなにぽかぽかしてるのに写真の中の先輩達はみんな厚着してました! 流石に雪は降ってなかったみたいですけど! お魚とかカニとかとっても美味しそうでした! それから友達とお泊りなんて羨ましいです! きっといっぱい夜更かしして恋バナとかするんですよね!」
自分の中学時代の修学旅行を思い出す。
秋の沖縄は暑かった。
海にも入れた。
男子達は皆、クラスメイトの女子の貴重な水着姿に夢中だった。
俺はというと同い年のガキに興味は無く、たまたま居合わせたお姉さん方にナンパをした結果、コワモテの男に揺すられ金をむしり取られた。
帰り際、クラスメイト達がお土産を買い漁る中、一人寂しく唯一交通系ICカード決済が出来るカフェでレモンティーを飲んだのだ。
ろくな思い出じゃねえ。
「二年後かぁ~、その頃には彼氏も出来てますかね?」
「さあ」
「ミクるん、何か冷たくないですか? ほぁっ! もしかして、今日で私とのカンケーが終わっちゃうのが寂しいんですか?」
そう、今日で全てが終わる。
残る金平糖はあと一粒だけ。
つまりあと一度変身すれば、死ぬ。
彼女は魔法少女として戦う使命が終わるだけだと思っている。
先輩の修学旅行の事でテンションが上がっているのはもちろんだろうが、きっと戦いも最後だという達成感も相まっての事なのだろう。
「大丈夫ですよ。私が魔法少女じゃなくなってもミクるんとは友達ですから! ちゃーんと修学旅行のお土産だって買ってきます!」
「友達になったつもりは無いんだが」
「そんな! それどころか一度お付き合いまでした仲なのに!」
「一瞬でフラれたがな」
やはり彼女は嬉しそうだった。
俺が冷たい態度を取ってしまっても彼女はずっと笑顔を絶やさない。
何故だか俺は、胸が苦しくなった。
いや、理由くらい分かっている。
人間としての俺がちゃんと残っているのだ。
俺の理性が彼女を死なせたくない、二年後も十年後も生き続けてほしいと思っているのだ。
あの夜、先輩の家で魔法少女の肉を食べた時、俺はさっさと彼女を死なせて食っちまいたいと思っていた。
だが今の俺はそんな気にはなれない。
だからだろう。
こんなおかしな提案をしてしまったのは。
「今週残り二日、悪魔退治は休みにしようか」
「ほぁ? 何でですか?」
「週末、北海道に行こう。旅費は俺が出す」
「えっ、えぇ~、でもぉ~……」
言葉の上では渋っていても彼女の表情は綻んでいた。
「両親に許可は取れるか?」
「それはきっと取れると思います。あんまり家に居ないですし」
「じゃあ決まりだ。今日はこのまま帰ろう、送るよ」
帰り道、彼女の下手くそな鼻歌が可笑しかった。
それでも楽しそうな彼女の横顔と小さな歩幅を眺めていると、俺がまだ人間の心を持っているのだと確認できた。
鳴る腹の虫はコンビニ弁当で抑えようと思ったが、やはり夜になると空腹に襲われた。
そんな自分を許してしまう夜の闇だった。
その闇が明け、また暗くなり、それを二回繰り返すと、まだ早朝だというのに彼女からのメッセージが届いた。
『目が覚めちゃいました! なんとパパからお小遣いまで貰っちゃったので木彫りのクマを買おうと思います!』
要らないだろ、とだけ返した。
待ち合わせは新宿駅のバスターミナル。
ここから羽田空港までのバスが出る。
電車に乗った方が安く済むが、彼女の念願にして最初で最後の旅行だ。
財布事情でケチらないと決めた。
そもそも、悪魔になる前と比べると食費が必要無くなったから経済的な余裕が生まれた。
その分例のバーで金は使ってはいるが、来月少し我慢すれば良いだけだ。
だからという訳では無いが、近くのカフェでキャラメルフラペチーノを二つ買って彼女を待った。
「ミクる~ん! じゃなかった、未来さ~ん!」
「何だその荷物は」
小さな身体からはみ出すほど膨らんだリュックサックを背負い、特大のキャリーケースまで転がしながら彼女がやって来た。
「ふへへっ、向こうに着いてからのお楽しみです!」
俺はキャラメルフラペチーノを渡し、改めてバスの時間を確認した。
「まだ三十分くらいあるな。飯でも買っておくか?」
「はい! お腹ペコペコです!」
そういえば俺もこれくらいの歳の時は朝から白飯を茶碗山盛りで食べてたっけ。
いつからだろう、寝起きに食欲が湧かなくなったのは。
バスターミナル内にコンビニがあった。
俺はさっき飲んだキャラメルフラペチーノで十分だ。
悪魔としての空腹感はやはり満たされないが、人間としてのカロリー摂取に於いては十分過ぎる程に摂れた。
もちろん奢るつもりだった。
だから十分にも及ぶ彼女の長考を隣で待っていた。
しかし彼女は「パパからお小遣い貰ったので!」と言って聞かなかったからおとなしく引いた。
コンビニの前でスマホを弄って待っていると、館内放送が流れた。
運行見合わせの案内だった。
放送によると、近辺で事故が起きたのだという。
フライトに間に合う羽田空港までの別のルートを確認すると、急いで電車に乗れば間に合いそうだと分かった。
「お待たせしました!」
「悪い、光。バスが止まってるらしいから電車で行くぞ」
「ありゃ、分かりました!」
急いでバスターミナルを出て新宿駅まで走る。
重そうな荷物は全て俺が受け持った。
競馬のハンデ戦に臨む競走馬の気持ちが少しだけ分かった気がした。
一方彼女はというと走りながら器用にサンドイッチを食べていた。
喉に詰まらせないか心配になったが、やはり器用にペットボトルのお茶を飲んで事無きを得ていた。
新宿駅までの道のり、と言っても大きな車道を挟んで向かい側だが、そこに居る街の人々はどこか忙しなかった。
スーツを着ているサラリーマンが走るのは通勤を急いでるからだろうが、私服の若者達まで走っているのは奇妙だった。
更に奇妙なのは、ほとんどの人間が同じ方向に駆けている事だ。
すれ違う女性の表情を見て分かった。
皆、逃げている。
その瞬間、嫌な想像が脳裏を過った。
どうか勘違いであってくれと祈りもした。
しかし直感とは得てして嫌な時にこそ当たってしまうものだ。
────グァアアアアア!
人々が走る方向とは反対側から獣の咆哮のような音が聞こえた。
そしてその方向から異様な空気が漂ってくる。
これまでに何度も体験したからすぐに分かった。
悪魔が出た。
クソッタレ!
そりゃ叫びたくもなるさ。
俺の中に残る人間としての理性が悪魔としての本能を必死に抑え込んで作った機会。
それがこんな形でぶっ壊されるだなんて我慢ならない。
隣を見ると、彼女も気付いているようだった。
その表情は目に見えて寂しげだった。
「光……」
「そうなんですよね」
「ああ、間違いない」
「私は、魔法少女です。悪魔から街のみんなを守る正義のヒーローです」
「そう、だな」
「でも、私、悪い子みたいです」
「そんなこと無い」
「そんなことあります! だって、だって私! 戦いたくないって思っちゃいました! きっと悪魔を退治したら飛行機には間に合いません! みんなが危ないのに私、知らんぷりして空港に行きたいって思っちゃいました! そんなの、魔法少女失格です」
「それで良い」とは言ってあげられなかった。
新宿には例のバーもある。
知能の無い低級悪魔は人間と悪魔を判別できない。
だからここで暴れられるのは迷惑なのだ。
それに人間としての俺も、犠牲になる街の人々を無視出来なかった。
そりゃ他の魔法少女が駆け付けて退治してくれるかもしれない。
だがあの悪魔に最も近いのは俺達なのだ。
他の魔法少女に任せれば被害は拡大する。
「未来さん、お願いです。私に戦えって言ってください。未来さんに言われたら戦える気がするんです。北海道もすんなり諦められる気がするんです。またいつか、それこそ修学旅行で行けば良いやって思えるはずです。だから、お願いします」
言えない。
だってこの機会を逃せば彼女は北海道に行けないのだから。
二年後の修学旅行には行けないのだ。
それだけの期間を、俺の内に巣食う悪魔が許してくれないのだ。
俺はただ、俯いて黙り込むしかなかった。
そんな俺を見て彼女もまた、逃げも出来ず挑みも出来ず、その場に立ち尽くしてしまった。
────ピロロン!
彼女のスマートフォンの通知音だった。
何度も連続で鳴っている。
彼女が震える手でスマートフォンを確認すると、頼もしい笑顔で俺に言った。
「友達が新宿に居るそうです」
待て、行かないでくれ。
頼む、俺を人間で居させてくれ。
「不思議。今、未来さんの心の声が聞こえた気がしました」
「済まなかった。君を魔法少女にしてごめん。だから頼む、光、行かないでくれ」
俺は彼女の小さな身体に縋った。
小さな腕が俺を優しく包む。
温かい。
彼女の生きている証を肌で感じる。
柔らかい腕が愛おしく、失いたくないと心から思った。
それと同時に、美味しそうだと思う俺も居た。
「ごめんなさい、飛行機はキャンセルしてください」
「嫌だ! 乗ろう! 急げば間に合う! タクシーでも拾えば良い! だから頼むよ光、悪魔退治なんて止めてくれ!」
「ダメですよ、未来さん」
彼女の小さな両の掌が俺の両頬を包み込み、優しく顔を上向かせた。
涙でぼやける視界の中で、彼女の顔がそっと近づいてくる。
やわらかい。
先輩よりもずっと温かい温度が俺の唇に触れた。
「日は昇ります。どんなに悲しいことがあっても、必ず」
太陽のような君は、太陽じゃない。
「朝宮光は、魔法少女ですから」
彼女は走り出した。
俺はそこに座り込んだまま、遠くで彼女が光を纏うのが見えた。
彼女は飛び立ち、悪魔が居るビル群へと姿を消した。
追いかける気力も俺には無かった。
「あぁ、腹が、減ったな」
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