10話 悪魔の本能
「なんだか久しぶりな気がするね」
ある夜、先輩の家へ招かれた。
何かを期待しないでもないがおそらく何も起こらないだろう。
「調子はどうだい?」
「順調ですよ。すっかり悪魔退治も慣れたみたいです」
赤ワインと先輩お手製の肉料理を食べながら話す。
人間の身体で食事をするのは久々だ。
ここ最近は魔力消費を抑える為に妖精さんの姿で居る時間の方が多かった。
ワインはワインの味がする。
肉の種類の判別はちょっと自信が無い。
「で、いつなのかな?」
「このままのペースならあと一週間くらいです」
「ふふっ、楽しみだよ。何せ他の下僕からの上納が減っているものでね」
「えっ、下僕って俺だけじゃないんですか?」
「妬いてるのかい?」
「いや、別にそんなんじゃ……」
というのは強がりだ。
本当はめちゃくちゃ妬いている。
今にも嫉妬で暴れ出してしまいそうだ。
別に先輩が他の誰とキスをしてようがセックスをしていようが構いやしない。
ただ主従契約は別だ。
悪魔になりたての俺だからそれに特別感を覚えているだけなのかもしれない。
魔界では珍しい話では無いのかもしれない。
ただ俺はどうにも先輩が他の人間や悪魔とそういうことをしている様子を想像すると胸糞悪かった。
……やべえ、心の中読まれるんだった。
「ははっ、その通り。スケスケだよ、未来君の汚らしい嫉妬心。だが安心してほしい。主従契約は必ずしもディープキスをする必要は無いんだよ。自分の体液を相手に飲ませるだけで良いんだ。これまでは血を飲ませて契約をしていたんだよ」
「じゃあどうして俺にはキスを?」
「酔った勢い、なんて答えは如何にも大学生らしいと思わないかい?」
「嘘ですね。悪魔は酒に酔わない。試したんですよ」
「じゃあ未来君にとって嬉しい理由かもね」
先輩は悪戯っぽく微笑みワインに口を付ける。
口の周りを舌で舐めとる仕草が大学生男子には刺激的すぎた。
今日新しく開けたはずのボトルがもうすぐ空になる。
酔わずとも酒が進むのは美人な先輩と一緒だからか、もしくは案外ワインの味そのものが好きなのか。
「初めて契約した魔法少女の死に際に立ち会うとひどくショックを受ける子も多い。未来君はどうだろう。光ちゃんだったか。平気そう?」
「どうですかね。何も感じないなんて事は無いと思います」
「そうか。なに、心配は要らないよ。彼女が死んでから少しの間は私が面倒を見てあげるからね。それに君、大学にも全く行ってないだろう」
「まあ、はい」
思い返せばこの一ヶ月の間、光に付きっきりだった。
そのせいで先輩の言う通り大学はサボり通した。
既に落単が決まった講義もある。
その分は来年度の俺に頑張ってもらうしかないのだが、こんな生活が来年も続いていたらそうもいかなくなる。
先輩に話題を持ち出され、ようやくそういう事態への危機感が湧いてきた。
「無理に付き添う必要は無いんですかね」
「そうだね。悪魔退治の時だけ会う、なんて妖精さんも少なくは無いよ。特に未来君や私のような学生だと自分の生活も守らなくてはならないだろう? 悪魔だからって万能ではないんだ。人間と比べて食費は掛からないが、やはり生きていくには先立つ物は必要だ。就職はしておいた方が良いと思うよ」
どうして悪魔に、それ以前にサークルの先輩でしかない人に将来の心配をされなくてはならないのか。
聞かれていても言うぞ。
俺の将来を心配するなら結婚してください。
家族からの言葉なら聞く耳も持っている。
「ははっ、好きだよそういうところ」
文句の一つでも出るかと思いきや、先輩はなんだか楽しそうだった。
「実は昨日届いたばかりの魔法少女の肉があるんだ。食べるだろう?」
「えっ、うーん……」
即答は出来なかった。
魔法少女なんて他人事だった一ヶ月前なら断る理由も特に無かったのだが、光という魔法少女が身近になった今となると少し抵抗がある。
食べながら彼女の顔を思い出してしまいそうでそれがどうしても不快なのだ。
「さっきのローストビーフも魔法少女の肉だったんだけどね」
「えぇ……」
「冗談だよ。私の家で初めて食べた時以来、一度も食事を摂っていないだろう? 死んだら元も子もないじゃないか」
それもそうか、と先輩の厚意を受け入れることにした。
生肉では食欲が湧かないだろうという先輩の思いやりで、食べやすいサイズに切って炒めてくれた。
キッチンで調理をしている先輩の後ろ姿を見ていると、悪魔である事とは関係の無い悪戯心が芽生えた。
「ちょ、ちょっと! 危ないだろう?」
「いやぁ、ははっ」
フライパンと菜箸から手を離せない先輩を後ろから抱きしめた。
そのまま両手でたわわな果実を優しく撫でる。
先輩に反抗するつもりが無いのだと分かると、服の内側に手を滑り込ませた。
うーん、手に馴染む。
程好い張りがあり、揉んでも揉んでも飽きる気がしない。
イケるのではないかという考えが頭に浮かび、右手はそのままに左手は下半身を目指した。
「ストップだ」
「聞こえません」
俺は先輩の言葉だけの弱い制止など無視し、先輩が履いているデニムのボタンを外してチャックを下ろした。
「ステイ」
「っ!」
動けない。
先輩の「ステイ」という言葉を聞いた途端、左手どころか身体の全体が石になったかのようにピタリと動かせなくなった。
「主従契約のオマケでね。下僕は主が魔力を込めて口にした命令には逆らえないのさ。さあ、もう浅はかな真似はしないと約束出来るね?」
動けないのだから声も発せないし頷けもしない。
せめてもの想いで瞳で肯定を伝える。
あ、というか心の中で答えれば良いのか。
約束しますよ、不本意ながら。
「よろしい。動いても良いよ」
「ちぇっ、これじゃあいつまで経っても無理って事じゃないですか」
「分からないよ? 未来君が私にとって魅力的な雄だと証明されれば、その時は身体だって私の将来だって捧げよう」
「それは重いっすわ」
「さっきはプロポーズしてくれたじゃないか!」
無邪気に笑う先輩は悔しい程に綺麗だった。
「その命令するやつ、妖精さんから魔法少女には使えないんですか?」
「残念ながら出来ない。それが出来てしまえば悪魔退治なんてさせずに殺すだろう? それでは害獣駆除の役目を負わせられないじゃないか」
「なるほど」
所詮下僕は下僕か。
俺はいつまでも先輩に逆らえず、それでいて抱けもせずせっせと食糧を運んでくるしかないらしい。
まさか働きアリに共感する日が来ようとは思ってもいなかった。
そう思えば女王アリのイメージに先輩はピッタリだな。
「ちょっと、止めてもらえるかな?」
「えっ?」
「その、アリを思い浮かべるの……。虫は苦手なんだ」
意外な弱点を発見。
アリの大群、カブトムシ、クワガタ、空飛ぶバッタの群れ、雄を食う雌のカマキリ、ハチの巣から一斉に飛び立つミツバチ……。
「勘弁してくれ! ほら、これを見ろ!」
「わーお」
俺の頭の中から虫達を追い出す手段として、先輩は自ら服を捲し上げてセクシーなパープルの下着を見せつけてきた。
見事、俺の頭の中は目の前にある巨乳でいっぱいになった。
「また命令して考えるのを止めさせれば良かったんじゃないですか?」
「あっ……」
先輩は頬を赤らめながら服を元に戻した。
勿体無い事をしてしまった。
ゴキブリ。
「考えるのを止めろ!」
「まったく、未来君は悪魔よりも悪魔然としているね。ほら出来た、魔法少女炒めの完成だ」
良い香りだ。
素材について考えなければ今すぐにでも食べたい。
「うん、美味しい。未来君も食べてくれよ」
美人はそれだけで有利だ。
それが人の肉だと分かっていても、先輩から勧められるとすんなりと箸が伸びた。
「食べてくれよ」という言葉に魔力がこもっている可能性にさえ考えが及んでしまう。
「込めてないよ。理性が邪魔をしても君は既に悪魔なんだ。本能の部分で魔法少女の肉を求めてしまうのさ」
ひとかけらだけ口に含む。
塩胡椒で味を付けているおかげか、抵抗無く咀嚼できた。
十分に咀嚼し、飲み込む。
「あぁ……」
「ふふっ、美味いだろう」
美味いなんてものじゃない。
食道を通り胃に届くのが明確に分かる。
腹の奥で何かが弾け、快感が身体中に広がる。
先輩がイリーガルなクスリにハマっているのではないかと疑った事もあったが、これがまさにそれだ。
これまでに食べてきたどんな肉よりも美味しいと確信を持って断言出来る。
前回魔法少女の肉を食べた時、俺はまだ人間だった。
その時はこんな感覚は感じなかった。
いや、もしかすると酒が回っていて気付かなかっただけなのかもしれない。
だが今、悪魔になった俺には分かる。
これを食べられるなら、人の命なんて軽い。
「たんとお食べ」
気が付けば箸が止まらなくなっていた。
食べたい、もっと食べたい。食えば食うだけ気持ち良くなる。
食べる、飲み込む、気持ち良い。
それを繰り返しているうちにあっという間に平皿は空になった。
「おかわり」
「無いよ」
「そんな!」
「言っただろう。上納が減っているって」
「嘘だ、まだ隠しているんでしょう」
「隠してなどいないよ」
「クソッ……」
「多いんだよね、初めて悪魔として魔法少女の肉を食べた時に興奮する子。だが未来君、あと一週間だ。たったの一週間でまた食べられるじゃないか」
ああ、そうだった。
光はもうすぐ金平糖を使い切る。
そうすればまた食べられるんだ。
次はどんな調理法で食べよう。
また先輩に手料理を振舞ってもらおう。
そうすれば先輩の分も少しくらい分けてもらえるかもしれない。
「強欲な子だね」
「当たり前じゃないですか」
だって俺は悪魔なのだから。
「好きだよ、そういうところ」
その夜は先輩の家に泊めてもらった。
やはり期待したようなご褒美は無かった。
先輩は自分のベッドで眠り、俺は掛布団を床に敷いて寝た。
二つの欲が邪魔をして睡眠欲はあまり無かった。
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