5話 初契約

 翌日、俺はまた病院を訪れていた。


 昨日と同じように中庭でティータイムを堪能している。


 あのお日様少女がどんな病態なのかが気になる。


 とはいえ、あの子を魔法少女候補に決め打った訳ではない。


 現代医療技術で治せる病気なら奇跡の力なんて使う必要が無いし、悲惨な末路を迎える運命などデメリットでしかない。


「昨日のお兄さん!」


「昨日ぶり。咳は?」


「今日は元気です! お兄さんは?」


 そうか、二日連続で病院を訪れるなんて傍から見れば通院しているように見えるのか。


 だからこの子は俺も何かの病気を患っていると思っているのだろう。


「平気だよ。俺が病気なんじゃなくてお見舞いに来てるんだ」と嘘を吐いた。


「お見舞いですか……」


 少女は顔に影を落とした。


「どうかしたか?」


「いえ、お兄さんがお見舞いに来てくれるその人が羨ましいな、って……」


「君だってたまには来るだろ? 親とか友達とか」


 更に少女の顔が曇る。


 やべえ、地雷踏んだかも。


「パパとママはお仕事が忙しくてお見舞いには来ません。お友達は一人も居ないです」


「学校の友達は居ないのか? 居るだろ一人くらい」


「行ったことないんです。ちっちゃい頃から身体が弱くて、家と病院を行ったり来たりでしたから」


 可哀想な子だ。


 この年頃なんて学校が一番楽しい時期だろうに。


 小学校と中学校は自分含めみんなバカだから楽しい。


 高校や大学に上がるとみんな賢くなって人間付き合いが面倒になる。


 飲みサーで楽しくやってる俺は勝ち組の部類だろう。


「良ければ俺がお見舞いに来てやろうか?」


「ほんとですか! でもお兄さんお仕事とか学校は? 無職なんですか?」


 今すぐ悪魔のエサにしてやろうか。


「大学生は暇なんだよ」


「ほわぁ、大学生…… おっきぃ……」


 不思議な言葉選びをする子だと思った。


 ベンチでいろんな話をした。


 会話とは言えない。


 外の世界を知らない彼女の為、俺がこれまでに体験してきた学校の話を延々と話させられた。


 彼女はどんなくだらない話でも興味深そうに目を輝かせて聞いていた。


 この子、ラウンジとかキャバとか向いてそうだな。


 一方的に話すのが疲れた頃、逆に彼女がこれまでどんな生活をしてきたのかを聞いてみた。


 しかし話のタネにはならず、ただ一言「ずっと入院してた」で完結した。


 頭の中で次の話題を探しながら、気まずい沈黙を誤魔化そうとレモンティーを飲んでいると、彼女は懐から一冊の小さなノートを取り出し見せてくれた。


「これは?」


「やりたいことリストです! いつか元気になったらやりたいことを書いてるんです!」


 一頁一行目、学校に行きたい。


 二行目、友達と遊んでみたい。


 三行目、友達と授業を受けたい。


 四行目、給食が食べたい。


 五行目、ドッジボールがやりたい。


 六行目、カラオケに行ってみたい。


 七行目、友達と交換日記がしたい。


 八行目、彼氏が欲しい。いきなりませやがった。


 九行目、旅行に行ってみたい。


 十行目、プリクラを撮ってみたい。


 十一行目、ファミレスに行きたい。


 十二行目、テストを受けてみたい。


 十三行目、思いっきり走りたい。


 これ以上は見てられなかった。


 この少女は何も悪くないのにどうしてこんな当たり前の事の数々が叶えられないのだろう。


 この世の理不尽さに腹が立ってくる。


 しかしどれもこれも、この子が運が悪かった。


 その一言に尽きる。


 この子は悪かないが、他の誰かが悪い訳でも無いのだ。


 ただ彼女の運が無かっただけなのだ。


「いつか絶対に病気を治して、きっと全部叶えるんです。日は昇る! だから私の身体もきっと治るんです!」


 やがて日も落ち肌寒さを感じる頃合いとなった。


 看護師が迎えに来て彼女は今日も寂しい病室へと帰る。


 看護師に手を引かれながら歩く彼女が振り返った。


「お兄さん、なんて名前ですか?」


「未来だ。君は?」

朝宮あさみやひかりです。また明日ね、未来さん!」


 彼女の言う通り俺は明日ここに来るだろう。


 その次の日も、またその次の日も。


 そしていつか彼女を騙す。


 それに俺は罪悪感を感じるだろうか。


 感じてほしい、せめて心は人間であってほしい。


 元よりクズだと言われてきた俺だが、少女を騙して何も感じない悪魔ではないはずだ。




「彼氏になってください!」


 翌日、彼女は中庭に来るなりほざいた。


「説明を求む」


「今日だけでいいので!」


「だから説明を求む」


「やりたいことリストです!」


 昨日見せてくれた小さなノート。


 そういえばその中に「彼氏が欲しい」という文言があった気がする。


 彼女はずっと孤独だったのだろう。


 好きな人どころか友達の一人も居ない寂しい人生を送ってきた。


 そこに俺が現れた。


 別に俺が好きだと言ってるのではない事くらい分かっている。


 一緒になって恋人ごっこをしてくれる相手に初めて出会い浮足立っているのだろう。


「いや待て、何故俺がそんな事をしなくちゃならない」


「だって病院じゃ出会いなんて無いんですもん。このまま彼氏が出来ないくらいなら未来さんに一日だけ付き合ってほしいんです」


「退院すれば彼氏くらいすぐに出来る」


「いーいーかーら!」


 俺の手を強引に引っ張りどこかへ向かう彼女。


 エレベーターに乗り上へ上へ。


 屋上からはビル群がよく見えた。


「風が涼しいですね!」


「ああ、そうだな」


「ここ、覚えてますか?」


「覚えてるも何も初めて来たんだが」


「恋人ごっこです! こほん。初めて会った場所、未来さんが告白してくれた場所」


 俺から交際を申し出た設定になってるじゃないか。


 勘弁してくれ、こんな乳臭いガキに興味は無い。


 何より胸が小さい、というか無い。


 壁だ、絶壁だ、こいつの胸は。


「……懐かしいな、覚えてるよ」


「別れましょう」


「何でだよ!」


「今日はそれを伝える為に呼んだんです」


 一日彼氏をやってくれと頼まれた気がしたんだが、そのファーストイベントでフるってどういう情緒してんだこの女。


「長くないんです、私」


「何が」


「命」


 太陽の黒点のように冷たく細い声音だった。


「よしっ、ありがとうございました! これで消せます!」


 彼女は懐からやりたいことリストを取り出し、ペンで「彼氏が欲しい」と書かれているであろう場所に罫線を引いた。


 たったこれだけの茶番で彼女のやりたいことが一つ叶った。


 いや、叶った事になったのだ。


 彼女は恋人との日々の幸福を知ること無く死ぬのだろう。


 知った気になって、自分を無理やり納得させて、そして不完全燃焼のままに死ぬのだろう。


 彼女は運が悪かった。


 その考えは変わらない。


 だが死ぬにはまだ早過ぎるとも思う。


 恋人は出来ないかもしれないが、せめて好きな人の一人くらいは出来てからで良いはずだ。


 世間知らずの彼女では友達と遊べないかもしれないが、せめて共に授業を受けてからで良いはずだ。


 修学旅行には行けなくとも、友達と電車に乗って隣町に遊びに行ってからで良いはずだ。


 死ぬのはそれからで良いはずだ。


「光、魔法少女って知ってるか?」


 これなら罪悪感は感じずに済みそうだ。


 どうせ何もできずに死ぬくらいなら、せめてやりたいことを一つでも叶えてから死ねば良い。


 死に様は残酷かもしれない。


 戦いの使命は彼女には重すぎるかもしれない。


 だけど少なくとも学校には行ける。


 それで良いじゃないか。


 どうせ長くはもたない命だ。


 彼女にとってもデメリットが無い。


 俺からすれば願ってもない恰好の獲物だ。


 初めての契約になる。


 ここで凄惨な光景を見てトラウマにでもなってしまえば俺の命まで長くはもたなくなる。


 それなら少しでも、悪魔に食われても仕方無いと思える少女で慣れていこう。


 やがて心は死ぬだろう、会社務めのサラリーマンのように。


 その後は契約さえ出来れば誰だって良い。


 まずはここで経験を積ませてもらおう。


 だから、仕方無いんだ。


 そして俺は悪くない、むしろ彼女に希望を与える救世主となる。


 感謝しろ。


 悪魔だろうが神だろうが、願いを叶えりゃ同じだ。


「スイキュアみたいな、ですか?」


「アニメは観てたか?」


「はい! 毎週観てます!」


 俺は獣の姿を思い浮かべた。


 一気に身体が縮み上がる。


 魔力のコスパを考えれば常にこっちの姿で居るべきなのだが、どうしても人間の身体の方が都合の良い場合が多い。


 だからこの姿になったのは先輩の家ぶりだ。


「えっ、えっ!? 未来さんが妖精さんになっちゃいました!」


「実は俺は妖精さんなんだ。光、君の願いを一つだけ叶えてあげよう。その代わり、魔法少女となってこの街を悪魔から守るんだ」


 やはり彼女は驚いていた。


 驚いて冷静さを欠いているようだった。


「えっ、えっ? なんっ、えっ、こほっこほっ!」


 驚くあまり正常な呼吸を失ってしまい、発作を起こしてしまった。


「光、願うんだ。余命が何だ、君が願えば病気だって治る。そうすれば学校にだって行けるようになる。きっと友達も出来る。好きな人が出来て彼氏になってくれるかもしれない。さあ、願うんだ光。俺の手を取って」


 短く肉球の付いた前足を伸ばすと、苦しそうな彼女も手を伸ばした。


 二つの掌が重なり互いの心の中で叶えたい願いを叫ぶ。


 病気を治したい。


 触れている手と前足の間から光が漏れだす。


 そこから硬い物質が顕現し互いの手を押しのける。


 これが先輩の言っていた金平糖か。


 小さな瓶に宝石のように輝く金平糖が沢山詰まっていた。


 それはゆっくりと彼女の手に収まり、やがて二人を包む光は収束した。


 いつの間にか、彼女の咳も止まっていた。


「契約完了だ。よろしく、光」


 俺は目の前の少女を騙した。


 先に待つのは約束された絶望。


 無惨な死。


 なのに彼女は満面の笑みで涙を流していた。


 無知は罪か、それとも罰か。


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