第2話 自覚
次の日は午前中だけ授業を受け、午後からはサボることにした。担任からは出席日数が足りなくて卒業できないぞと、口うるさく言われるが気にしていない。出席日数の問題で卒業できなかった人を私は知らない。事実、留年している人も卒業できなかった人もいない。先生たちも不良の面倒なんて見たくないのか、何とか卒業させているのだろう。
屋上に出る階段の踊り場で、夜崎さんが壁に寄りかかりながら寝ていた。初見でキツい印象を持ったが、じっくり見ると意外に整っていて綺麗な顔をしている。背も高く、スラッとしていてモデルとかできそう。
夜崎さんを起こそうかと思ったがやめた。本当は屋上で一緒にお喋りしたかったが、無理に起こして機嫌を損ねられても困る。
屋上の扉のドアノブに鍵を差し込み回す。ガチャリ、と大きな音を立てた瞬間、夜崎さんが大きく伸びをして起きた。
「やっと来たか」
「おはよう。もしかして私のこと待ってたの?」
夜崎さんが小さく頷いた。なになに、私と友達になりたいの? 昨日は会話らしい会話はなかったけど、それが心地よかったのかな。
「屋上の鍵はお前しか持ってないからな」
私を待ってたんじゃなくて、私の持っている鍵が目当てですか、そうですか。そうだと思ってたから別にがっかりとかしないけど。
「夜崎さんも屋上の鍵を複製すればいいのに」
私たちは屋上に出て、昨日と同じように隣同士で大の字になって寝転がった。
「そんな犯罪紛いなことできるわけないだろ」
「不良なのに?」
不良が犯罪どうのこうのと気にするのがおかしくて笑いながら聞いた。すると夜崎さんがキッとこちらを睨みつけてくる。結構迫力がある。
「言っておくけどな、あたしは不良じゃない。周りが勝手にそう思い込んでるだけだ」
「授業サボったり、髪を金に染めてるのに?」
「それだけだろ。あたしは喧嘩ふっかけたり、万引きとか一度もしたことない。見た目だけだ」
適当に流されるかと思って軽口を叩いてみたが、意外なことに熱弁されて思わず怯んでしまう。これ以上不良ネタを言うのはやめよう。
「それはそれとしてさ、やっぱり鍵の複製したら? 好きなときに好きなだけ自由にサボれるよ」
「だから、犯罪に巻き込むなって」
これが何の犯罪なのかは分からないが、巻き込む、という意味ではすでに遅いのではないだろうか。もう立派な共犯者だ。
「それに、お前がいれば屋上に出入りできるだろ」
「春子」
何を言われたのか分からなかったのか、夜崎さんがぽかんと口を開け固まった。私は黙って夜崎さんを見つめ返す。やがて夜崎さんがゆっくりと口を開いた。
「……何だって」
「だから、春子。私の名前。お前じゃない」
「あ、そう。それはそれとして、お前面倒くさいな」
「春子」
「お前」
「春子」
私は夜崎さんの顔を見つめ、何度も自分の名前を連呼した。お前呼びをやめない限りこれを続けるつもりだ。
しばらく「春子」「お前」と不毛な呼び方論争が繰り広げられたが、夜崎さんが折れた。
「春子、面倒くさいな、やっぱり」
私に目を付けられたのが運の尽きだったな、夜崎さん。私は一人微笑んだ。
それからしばらくは屋上で夜崎さんと過ごす日々が続いた。無論、雨の日は屋上には行かないし、夜崎さんと顔を合わせることはなかったが。
最初は金髪で背も高いし、怖い人かと思っていたが、一緒に過ごすうちにその印象は払拭された。こちらから話しかければ普通に受け答えしてくれるし、名前で呼んでもらえるようになった。たまにグイグイ話しかけると面倒くさそうに会話を打ち切ることもあるが。
「夜崎さんはさあ、最初何で私のことを助けてくれたの」
五月のゴールデンウィーク前日、今日も屋上で朝から二人でサボっている。
「最初? 助けた? 何の話だ」
まだ五月だというの今日は真夏のように暑い。二人で建物の陰にいるのだが、汗が噴き出る。毎年暑い日くらいは保健室の方が快適だとは思いつつもここに来てしまう。快適とは言えないが、この不快な暑さが嫌いではない。好きでもないけど。
夜崎さんも暑いのか汗をかき、制服であるワイシャツの第二ボタンまで開け、パタパタさせて空気を取り入れようとしている。ちらちら見える胸元とそこに流れる汗が色っぽく、思わず凝視してしまう。
「私が不良に絡まれてたとこを助けてくれたじゃん。忘れちゃった? 私たちの馴れ初めだよ」
馴れ初めって確か、恋愛関係で使う言葉だったかな。私は変なことを言ってしまったかもしれない。でも、言ったら悪いが、夜崎さんが言葉の意味を正確に理解しているか怪しいし、大丈夫だろう。
「ああ、あのときのことか。……何であんな事したのか、よく分からん」
夜崎さんがよりいっそう制服のワイシャツをパタパタさせ、下着が見える。青。眼福です。
「授業後の寝起きでぼんやりしてたから、無意識か、機嫌が悪かったのかも」
無意識の内に声をかけ、そこから二人の関係性が発展するなんて、まるでこれは……。
「『マリみて』の祥子さまみたいだね」
この場合、私が主人公に当たるわけで。でも、先輩後輩ではなく同級生だし、タイが曲がっているなんて可愛いものじゃなく、不良に絡まれていた場面だし、言ってから全然違うか、と反省した。もう少し物事を考えてから発言した方が良さそうだ。ただ、夜崎さんといるとなぜか軽口が叩けてしまう。
「……よく分からんが」
案の定夜崎さんは、何言ってるんだ、という目でこちらを見てきた。
「大体、『マリみて』て何だよ」
私の例えが良くなかったのはあるけど、どうもそこから伝わっていなかったみたいだ。説明不要な名作百合小説で、私が中学生の頃、爆発的に流行った。完結から何年も経っているのに色褪せない面白さというのは凄い。
「女子校が舞台の学園小説なんだけど……」
「小説か。じゃあ知らん」
私が説明しようとしたところで、小説という単語が出た瞬間、夜崎さんが間髪入れず遮った。
「あたしが文字を読む人間に見えるか?」
「漫画もあるよ」
夜崎さんが小説を読む人間に見えないのは明らかだったが、それは言わずにおいた。変に拗ねられて会話が終わってしまっては困る。
「漫画だろうと同じ、そういうのを読む文化があたしにはない」
それは残念。共通の話題でもあれば話が弾むかと思っていたのに。
涼しさを求めるのを諦めたのか、夜崎さんはワイシャツで扇ぐのをやめていた。その代わり動かないことで体温の上昇を防ごうとしているのか、じっと動かず空を眺めている。
ワイシャツが汗を吸い、その所為で下着が透けて見える。決して見たいわけではないが、いやどちらかといえば見たい気もするが、興味をそそられ、自然と目が吸い寄せられてしまう。薄い胸が周期的に上下する。私は一体どうしてしまったのだ。
「やっぱり読んでみたいな、さっきのマリ……何とか」
物思いに耽っていた私は驚き、夜崎さんの胸から視線を無理に逸らし、顔を見つめた。
「『マリみて』ね。……でも、ごめん。持ってないんだ」
すると夜崎さんが不思議そうに私の方を向いた。今日初めて顔を見て会話しているかも。
「好きなのに、持ってないのか」
「うん、まあね」
私は曖昧に返事をすることで誤魔化し、この会話を終えようとした。夜崎さんも
「そういうもんか」
と呟いてそれ以上聞いてくることはなかった。
午前の授業が終わるチャイムが鳴った。
私は持参した弁当と水筒を広げ、お昼を食べ始めた。夜崎さんもコンビニで買ってきたパンを袋から取り出し食べ始めた。午前中からサボる場合、私たちはお昼ご飯を屋上に持ち込み一緒に食べるのが習慣となっていた。特に会話があるわけではない。
夜崎さんはさっさと食べ終わり、すぐに寝転んで目を閉じてしまう。屋上でサボっている間、夜崎さんは常に寝ている。話しかけると反応が返ってくることが大概だから、ただ目を閉じているだけだ。サボって退屈を持て余しているようにしか見えない。
私も私で、寝るか図書室から借りてきた本を読んでいるだけで、何か生産的なことをしているわけではないから人のことをとやかく言えない。
「明日からゴールデンウィークだね」
私はお祖母ちゃんが持たせてくれるお弁当を食べながら話しかけた。
「そうだな」
いつものことだが、気のない返事が返ってくる。無視されているわけではないが、こちらに特に興味もなさそう。午前中『マリみて』に食いついてきたときは少し驚いた。
「夜崎さんは何するの」
「毎日無気力に寝ているだけの人間が何かするように見えるか?」
夜崎さんは自嘲気味に呟いた。確かにサボってばかりだけど、休みなんだから友達なり家族なりと出かける用事があるのではないだろうか。そう聞くと、
「そういうのもない」
と少しだけ寂しそうな表情をした。すぐにその寂しそうな表情は消えた。
「家族の人たちは忙しいの?」
一緒に遊ぶ友達いないの、とは聞けないから家族について聞いてみた。ほとんど毎日屋上で過ごし、学校が終わったら一人で帰るような人だから友達はいないのだろう。それに、周りから恐れられているし。
「……さあ」
あまり触れて欲しくないのか、それきり話しかけても生返事しかしなくなってしまった。私はこれ以上会話を続けるのを諦め、お弁当を食べることにした。夜崎さんと知り合って、一ヶ月くらい経っているのに、夜崎さん本人のことを何も知らない。話してくれないし、個人的なことを聞いても答えてくれない。もう少し私に心を開いてもいいんじゃないだろうか。
「休みなんかより、ここで過ごしている方がいい」
あまりにも小さな呟きだったから、聞き逃しそうになったが、休みよりここにいたる方がいいって言った? それってつまり……。
「休みで家にいるより、私と一緒にいた方が楽しいってこと?」
私の問いかけに夜崎さんがはっとし、こちらを見た。まるで自分が今した発言が無意識に口から出てしまったみたいだった。
「まあ、そうだな」
これまた意外に素直な返答が返ってきてしまった。つまり、あれか、遊びに誘って欲しいってことなのかな。イマイチ距離感がつかめないが、ここら辺で一歩踏み込んでみてもいいのか。
「……一緒に遊びに行く?」
「それは、いいや」
私がおずおずと尋ねると即断られてしまった。距離感の把握が難しい。今のは遊びに誘って欲しかったのではないのか。誘い受けかと思ったのだが。
午後の授業開始のチャイムが聞こえてきた。私はこれ以上の会話を諦め、お弁当を片づけ、読書に戻った。
一日の終わりを告げるチャイムが鳴り、私は座ったまま大きく伸びをした。ずっと同じ姿勢でいたから全身が固まっている。隣で夜崎さんが欠伸をしながら起き上がり、同じように伸びをしていた。
夜崎さんは毎日授業が終わるまで帰ろうとはしない。そういうところは律儀というか何というか。いや、授業をサボっているのだから律儀も何もないか。
じゃ、と小さく夜崎さんが挨拶をし、帰ろうとする。私もまたね、と小さく答えたところで、夜崎さんを引き留めた。
「ちょっとだけ待って」
ワイシャツの背中に砂埃がくっついてしまっている。雨ざらしの屋上にシートやらを敷かず直に寝転がるからこうなる。今日は暑く、ワイシャツが汗を吸ってしまい余計に汚れがくっつきやすくなっているようだった。
私は駆け寄って、背中を優しく叩いて埃を振り払う。
夜崎さんに触れている、そのことが私をどうしようもなくドキドキさせる。今日に限らず普段も砂埃がついて気になっていたが、今日は特別酷かったから思わず砂埃を振り払ってあげたくなってしまった。決してやましい気持ちがあったわけではない。
ワイシャツは汗で少し湿っている。ジトッとした気配が掌に伝わってくるが嫌な気はしない。むしろ他人の汗という普通は触れないものに自然に触れることで変な気分になってくる。
青の下着がうっすらと浮かんでいる。私はなおも砂埃を払いながら凝視してしまう。中学の友達でホックを外す名人がいた。もし今の私にその技術があれば遠慮なく使うだろう。どういう反応をするだろうか、それに……。
色々な考えが浮かんだが頭を振って追い払った。夜崎さんにそういうことをするのはもう少し仲良くなってからだ、今じゃない。
「なあ、もう良くないか」
上から夜崎さんの声が聞こえ、我に返った。
「ようやく綺麗になったよ」
私はたった今終わったように振る舞った。夜崎さんに対して変な考えを抱いたことを悟られては不味い。
「次、春子な」
夜崎さんはそう言うと私の両肩をつかみ、その場で半回転させた。私はなされるがまま、背中を夜崎さんに差し出した。
夜崎さんが私の背中の汚れを払ってくれている。夜崎さんが私に触れている。私の汗を吸ってしまったワイシャツを――と変な方向に思考が行きそうだったが、砂埃を払う夜崎さんの力が意外にも強く、現実に引き戻された。
「……ちょっと手加減してもらえると。結構痛いなあって」
「ああ、悪い。でも落ちなくてな」
夜崎さんはしばらく私の背中についた砂埃と格闘し、やがて
「大体落ちた」
と言ってから再び挨拶をし、帰っていった。
普段は何で一緒に帰ろうとしないのか、と不満だったが今日ばかりは助かった。夜崎さんに触り、触られただけだというのに私の中の妙な高揚感はなんなのだろうか。夜崎さんの胸元や下着を見て劣情にも似たような感情を抱くなんて、セクハラ親父みたいだ。一体全体私はどうしてしまったんだ。
私はその場に蹲り、頭を抱え、しばらく動けなかった。
ゴールデンウィークは時間の流れが遅く感じた。普段は時間の流れなんて意識しないのに、なぜか今回だけ時計の進みが遅くイライラしてしまった。普段と同じように休みを過ごしているだけなのに。朝昼晩とお祖母ちゃんが作ってくれるご飯を食べ、町の図書館から借りてきた本を一日中読む。気晴らしに、ずっと日向ぼっこをしているお祖母ちゃんに話しかける。普段のサイクル通りで、いつもならすぐに時間が過ぎていくのに。
ゴールデンウィークがようやく終わり、休み明け初日は一限にも出ずに屋上へ繋がる階段の踊り場に向かった。屋上にいると、夜崎さんが来たときに分からないからだ。それにいつ来るかも分からないのだから一限に出ている暇などない。
夜崎さんは一限が終わった後に来た。久し振りに夜崎さんに会えて、思わず顔がほころぶ。が、すぐに私の笑顔は驚きで引っ込んだ。右頬に大きなガーゼが張られている。怪我でもしたのだろうか、そういえば初めて会ったときもガーゼをしていた。
「お、久し振り」
私の心配をよそに夜崎さんが軽く右手を挙げ挨拶してきた。私も何とか軽く挨拶を返す。
「それ、どうしたの……」
私は屋上の鍵を開け、日差しを避けて座りながら、恐る恐る聞いた。果たしてこれは触れていい話題なのだろうか。
「まあ、ちょっと……」
夜崎さんはこちらを見ずにぼそっと答えた。多分これは触れて欲しくないのだろう、私は夜崎さんの雰囲気から察した。それでも、心配になってしまう。顔に大きなガーゼなんて普通じゃないことが夜崎さんに起こっているのだろうから。
「喧嘩でもしたの? 駄目だよ、綺麗な顔なのに……」
夜崎さんに鋭く睨まれ、あまりの迫力に押し黙ってしまった。私に絡んできた不良を追い払ったときの比じゃない。
「うるさい! 何だっていいだろ!」
「……よくない」
私は夜崎さんの迫力に気圧されながらも絞り出したが、夜崎さんはそれを無視し狸寝入りを始めてしまった。こうなるともうどうしようもない。私は諦め本を取り出したがあまり内容が頭に入ってこない。
「……悪い、さっきのは八つ当たりだ」
突然夜崎さんが謝ってきたので、私は慌てて本から顔を上げ夜崎さんの方を向いた。夜崎さんは正座して私の方を見ている。
「イライラしてたんだ、悪い。……ごめん。でも、この傷のことは聞かないでくれ」
「そうは言っても……」
「頼む、言いたくないんだ」
夜崎さんが必死に頼み込んでくる様子を目の当たりにし、私はこれ以上何も言えなかった。
「春子って距離感おかしいよな」
お昼を食べながら夜崎さんが話しかけてきた。朝八つ当たりしてしまったことを気にしてか、こちらの反応を伺っている。それに夜崎さんから話しかけてきたのはこれが初めてではないだろうか。
「おかしいかな」
ガーゼで覆われている場所が痛むのか、口を動かすたび少し顔をしかめている。
「ああ。普通はあたしに話しかける奴なんていないのに、春子はお構いなしに来るじゃん」
距離感に関しては、おかしいというよりつかみきれないのだ。相手が金髪で周りから恐れられている不良だから、というわけではない。もっと別の理由がある。それは私に友達がいないことだ。小学校、中学校まではそれなりにやってきていたはずが、この荒れた学校に入ると、私と話が合いそうな人が誰もいなかった。その所為で二年間ずっと一人だった。一人でいる時間が長かったためか、気がつけば人との距離の測り方が分からなくなっていた。
「夜崎さんと……」
友達になれるかと思って、と言おうとしたが直前で違和感があり最後まで言えなかった。友達なら、顔に大きなガーゼが張ってあったら心配するのは当然だ。でも、その人の胸や顔、あまつさえ下着を見て変な気を起こすのだろうか。触れたい、触れられたい、などと思うことがあるのか。今年のゴールデンウィークだけ時間の流れが遅かったのは、夜崎さんの所為だろうか。夜崎さんに少しでも早く会いたかったからなのか。
夜崎さんは私の言葉の続きを待っている。顔のガーゼが痛々しいが、整っていて、スカートから覗く足も白く細くて綺麗だ。
多分、私は夜崎さんを好きになってしまったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます