第9話
「アレンスキー隊より入電! 潜入路
「ブーゾフ隊より同じく、潜入路
「……これで、他の十六本は全て空振りです。同志大尉、本当に奴は、ここを通りますかね?」
剥き出しのコンクリートの低い天井から、ぽたり……ぽたり、と雫がブーツの足元に落ちる。
部下の問いにバザロフは、薄暗い通路の遥か先を見据えたまま、小さく首を振った。
「いや。まず間違いなく来ないだろうな」
「…………」
怪訝な表情を浮かべる先任軍曹と共に何とも腑に落ちない表情でバザロフを見つめる部下たち。
部下たちの気持ちは分からないでもない。
が、あの男を知る上でもこれだけは、はっきりしておかなければいけない。
ミハイル・ゲオルギエヴィッチ・ソコロフ
聞き取れないほどの小さな声でそう呟くと、バザロフの皮手袋に覆われた大きな拳が「ぎゅっ……」と苦し気な音を立てた。
五年前の大攻勢の失敗に伴う粛清は、同時にその執行に携わった人民内務委員会に多大な恩恵をもたらした。
ただ一つの例外を除いて。
そう、
「あの男だけだ」
バザロフは、ポツリと言った。
「第六八三民生委員会の幹部で粛清を免れたのは」
そう。
バザロフのこれまでの人民内務委員の経歴において唯一、ただ一人だけ取りこぼした粛清対象。それが、当時、国家人民軍第六八三民生委員会においてその参謀少佐の地位にいたソコロフだった。
あの男の父親であり、国家人民軍第七親衛軍団司令だったゲオルギィ・ソコロフ上級大将の逮捕から二時間後。
逮捕に赴く、まさにその直前になって突然下された中止命令。
解せない。
と、当時のバザロフは思った。
が、今は違う。
あの男を知れば知るほどに分かる。
あの男は、粛清を『免れた』のではない。
そう、
(奴は粛清を『逃れた』んだ)
そして、それは取りも直さずバザロフの敗北であり、引いては人民内務委員会の敗北だった。
国家と党を守る盾である人民内務委員会。
その魔手から史上唯一逃れた男。
この国の、党の根幹をなすべき人民内務委員会にとってこれ以上その存在は許されるべきではない。
あってはならない事なのだ。
そう。
絶対に。
「あの……お言葉ですが同志大尉、その事とこれとどのような――」
「理由か?」
バザロフは、両のレッグホルスターから拳銃を抜き放つと重ね合わせて、
ジャカッ!
二丁のスライドを纏めて勢いよく引いた。
手入れの十分に行き届いた銃から響く小気味よい音。
マカロフ自動拳銃
国家人民軍の正式装備であり、兵隊たちの昔なじみの頼りになる相棒だ。
「ただでさえ状況が芳しくない第一七七民生委員会が、量子転送兵器を奪われたと知った時点で、一発逆転をねらって連中の指導者である『聖少女』の暗殺に乗り出すだろう事は誰の想像にも難くないだろう。それは当然、地下世界のあの
「はあ……当然、その前に何とかしようとしますな」
「そうだろう。そして、いいか? そのためには、是非とも押さえて置きたい重要な点が一つある。それが何だか、君は分かるか?」
「はぁ……。えぇと……敵の潜入箇所……連絡線……でしょうか?」
「そうだ。そして、そこまで考えた時、暗殺を行おうとする側が絶対に避けなければいけない事は何だ?」
兵隊たちが顔を見合わせた。
「まさか――?」
「そう言う事だ。だから奴のように無駄に知恵の回る姑息な男が、こんな所を通る筈がない」
バザロフ以下、人民内務委員の十五名の隊員が現在いるのは、幅二メートルも無い古い搬入路。
民生委員会を含む地下世界への潜行者たちの通り道の一つ。
と、いう事は即ち――
バザロフは、左右の部下たちに指示を出すと戦術支援システム『ラトニク』を起動する。
空中投影された戦況図に次々と浮かび上がる敵の存在を示す無数の赤い
その数、およそ三十。
「ですが、同志大尉。そこまで、お分かりでしたら、どうしてここに? 同志大佐殿は……」
「……………」
バザロフは、軍曹の言葉に直接応えることなく、ゆっくりと歩き出す。
凄惨な笑みを頬に微かに浮かべながらこの疫病神は、その本性を死神へと変えつつ胸の中で呟いた。
――
(同志大佐? そんなもの知った事かっ!)
「同志諸君!」
両の手にマカロフを握り締めたバザロフの声が響く。
「各自、現在位置にて命令あるまで待機! 本官以外、戦闘に参加することを禁ずる!」
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