第132話 マスター

「だけどまだ解放のバベルが!!」


 東宮は泣き崩れる膝に手をつき、必死の思いでパソコンにしがみついた。すぐに式場前の監視カメラ映像に画面を切り替えると、映るものを見て、ついにその膝を落とした。


「止まっている……」


 開会式は始まっている。だが解放のバベルは完全に地上に姿を現す途中で停止している。これではファインドソフトの電波は放出されない。

 宮部とてプログラムされたファインドソフトを止めることはできないはず。もうあの者に管理権はない。それに自分にだって、もう誰にも止めることができないはずなのになぜ……

 東宮は顔を見上げた。


「なにをしたんだ……最後にそれだけを教えてくれ」


「さあ、私には分からない。私の仕事はあなたのようなテロリストをただ捕まえるだけだ」


 沢渡は眉一つ動かさずに、意気消沈する東宮の腕に手錠をかけた。


 その時、解放のバベルの内部で起こっていた謎。

 宮部にはもうコンピューターを制御することはできなった。由良島が存在していないことを分かっても、この行いに何の意味も持たないことを悟りながらも、世界の終焉を最前列でただただ見ていることしかできない。

 練り上がっていく解放バベルの内部で、その核となるメインコンピューターを見上げながら、立ち尽くしていた。


「お前はここから離れないのかい?」


 宮部の背後から声をかけたのは印波だった。


「印波さん、なんであなたが……」


「少し話でもしようと思ってな」


「私とですか……」


「それ以外におらんだろ。君も僕も一人の男に取り憑かれた者同士だ」


 すると宮部はほんの少しだけ口の元から笑みをこぼし、印波の目を真っすぐと見つめた。


「今頃になってようやく気が付きましたよ。あの時、私は確かに由良島を殺した。核の位置を見誤ることなんて決してない。つまらない罪悪感で、本当は生きていたという幻想にすがっていた。自分の過去を信じることすらもできなかった。

『タイムリープを何度も繰り返し、恋人を助ける。それは恋人を助けているわけでない。恋人がいる世界に自分だけが逃げ込み、何十何百という恋人の死体から目を背けているだけだ』

 これは私の好きな小説のセリフです。私は過去から逃げていただけだ。タイムリープがエゴイズムであるように、この世界も、そして私のやってきた行いも、全て現実からの逃避だったんです。人は凄惨な過去を背負って生きなければならない。目を覆いたくなるような現実を見なければならない。それが生きることの本当の意味なんですよね」


 宮部は懐から一冊の小説を取り出すのだった。それは常盤宗の『時を刻む』である。


「そんな文字に教えられたのか」


「こんな文字の羅列でも人は救えますよ。私はいまこうして救われました」


「まさかその小説を読んだ人間がいたとはな。たったの一千部も売れなかったダメな作家だ」


「彼は作家ではなかった。ただし物語という手法を使って教えてくれた。印波さん、いや私にとっては常盤宗先生。最期にあなたに会えてよかった」


 宮部はそう言うと、床に転がっていた血の付いたメスを拾い上げる。それを胸に押し当てた。


「こいつを止める方法が見つかったのか」


「はい」


「そうか」


 宮部は笑顔だった。笑顔でメスをぐっと押し込み、自分の核を潰すのだった。もう間違えるはずもない、これは二回目のなのだから。


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