第129話 マスター

 沢渡は目を瞑り、耳を澄ませた。思考をやめてから数時間、ここ数十分の間に外はさらに賑わい、祭りは盛大になっている。この奈落にさえも大衆のざわめきが聞こえてくるほどだった。

 そして、この隣にそびえたつ巨塔からは地上に姿を現すためのモーター音が地響きとなり、胴体にまでその振動が伝わってきた。

 だが地響きの中に、人の足音を感じた。ここの職員が助けにきてくれたのか。いやあの者たちは沢渡のことをよく思っていなかっただろうし、そんな倫理観など欠落している。

 ならバラバラになってもなお、生き延びるヒューマノイドを被検体にでもしようと思っているのか。真意がどうであろうと、この暗い奈落から抜け出せるならいい。沢渡は自分にそう言い聞かせたが、不安や不満が収まることは決してなかった。

 いよいよ誰か来たのか、目を瞑った沢渡のまぶたの向こう側に影が落ちる。

 ゆっくりと目を開くと、そこに見えたのは持永と樽井の顔だった。

思いもよらぬ人物に驚いた。そして惨めさから来る怒りが腹の底から沸き上がった。


「俺を笑いに来たのか」


「あんたの正義に賭けに来たのよ」


 持永はそう言うと、沢渡の体を持ち上げた。


「なにをするつもりだ?」


 樽井は質問を無視して、散らばった四肢を拾い集める印波に声をかけた。


「印波さん、どうですか」


「右腕ならまだ再接着ができそうだ。だが他はなぁ……」


「お前ら、俺を助けるつもりなのか」


「そうよ」


「どこまでお人よしいなんだよ」


「違うぜ沢渡。俺たちは漫画に出てくるヒーローじゃねぇ。ただ室長の部下ってだけだ」


「これもあいつも命令だから動いているのか」


「いや、あんたも分かっているだろ。こいつを止めなければ日本は終わる」


「それと俺の命がどう繋がる?」


 樽井はメモ用紙を沢渡の眼前に突き出した。


「これはあんたのメモだろ。ずっと探っていたんだろ。この異常事態を止める方法を」


「見つけたのか」


「ああ、しっかりとな。あんたはあの橋から落ちる瞬間、わざと拳銃を残していっただろ。俺からは見えていたぜ。あんたは俺たちに自分の正義を託したんだ。違うか?」


 沢渡は睨みつけたまま、黙り込んだ。


「よし、右腕はこれでなんとか……」


 印波が迅速な再接着の施術を完了した。その瞬間、沢渡の腕に神経が繋がる。伸ばしたくても伸ばせなかった腕を存分に伸ばし、樽井が持っていたメモ用紙を奪い取った。

 メモ用紙を見つめると、沢渡は呟いた。


「一本でいい。俺に歩ける分だけの足をくれ」


「ああ、なんとかする」


 印波はバッグを漁りながら、ぶっきらぼうに答えた。


「いよいよ、やる気になったのね」


「俺ははなからそのつもりだ。お前らなんて関係ない、俺には俺の忠誠と正義がある。ただそれだけだ」


 片足の再接着はどちらとも不可能だった。そのため臨時用の義足と、松葉杖で補った。これでようやく歩くことができる。沢渡には全てが見えていた。そしてその全ての真実を孕んだまま、東京自然公園へと歩を進める。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る