第127話 マスター
東宮は通信を受け取った瞬間、落胆した。
いったいどういう仕掛けか見当もつかない。まるでマジックだ。一度も目を離さなかったのに、その姿はいきなり、忽然と消えた。
ネックマイクを外すと、何も言わずにモニターに背を向け、何も言わずに拳を握り締めた。そのまま出口へと歩いていく。
「東宮部長、どちらへ……」
オペレーターが声をかけると、たった一言だけ呟いた。
「少し一人にさせてくれ、次なる作戦を考える」
東宮をそう言い残すと、指揮官車両から降りた。手にはダッシュケースを大事そうに抱え、誰も寄せ付けない様子だった。
園内をあてもなく歩き回った。緑の中で数時間、ずっと同じ場所を何度も。
まるで待ち合わせに遅れた人を待つかのように、暇を持て余した人間のように、ただただ闊歩していいた。
そして人目のつかないところまで移動すると、木の陰に隠れて、ダッシュケースからノートパソコンを取り出した。
EYEの通信を遮断し、ノートパソコンをオンラインに接続した。インターネットの電波元はファインドソフト、そこからアルファオメガにアクセスし、渾沌のスレットを表示させる。
舌なめずりをすると、マウスパッドをタップし、画面をスクロールさせた。
国際展覧会の開会式まであと十分。解放のバベルはいよいよ地上に昇り始める。会場には大勢の大衆が集まり、スレットは大いに盛り上がっていた。
皆が渾沌という一つの幻想に期待を抱き、そのマスターを神格化している。いったいその組織が何なんか、どのような目的があるのかも分からず、集団催眠のように大きな共同体は膨れ上がっていった。
半ば、渾沌を知らない人もその集まりに興味を示し、開会式の会場の前に足を止めた。
その盛り上がりが最高潮に達した瞬間、マスターのIPアドレスを使って最後のスレットが書き込まれた。
この書き込みにホストはない。アルファオメガと完全に同居したシステムによって自動で生成されていく。
内容は一つ、
――渾沌のマスターは由良島天元であるという告白。
その真実は起爆剤となった。スレットに流れる文字の弾幕はスコールのように降り注いだ。その事実に日本中が熱狂し、陶酔した。もう由良島に集まった認識の嵐を止めることは誰にもできない。
そしてAR世界を超える新たな時代と目して、解放のバベルが姿を現す。
全ては一つのシナリオによって繋がり、そして最高のクライマックスを迎える。渾沌という謎におしなべて魅了された人類こそが、このシナリオのオーディエンスであり、登場人物であり、主人公なのだ。
演説者などいなかった。日本語というたった一つの言語、たった一つの紡がれた文字によって、人類は酔狂と化した。
東宮はその様子を、じっと見つめ、どこから勝ち誇った表情を浮かべていた。
「東宮部長、いや東宮……」
その声に腰を抜かす、まさか誰かに見られたというのか。パソコンのディスプレイからゆっくりと顔を出すと、そこに立っていたのは沢渡だった。
片足には臨時用の義足を付け、残った四肢はたった一本の右腕のみ、かろうじて残った左脇に松葉杖を挟み、驚嘆する東宮を睨みつける。
そして驚いたことに、その腰を支えていたのは持永と樽井だった。
「沢渡、お前なんでそいつらといるんだ……」
東宮は瀕死状態の沢渡の体を案ずるよりも先に、持永と樽井の存在を問い詰めた。だが二人に応答はない。まるで全てを見透かしているような目で、東宮のことを見つめている。
「お前まで血迷ったというのか、沢渡! そいつらはテロリストだぞ!!」
東宮は立ち上がって叫んだ。
「テロリスト……そいつはどちらだ?」
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