第126話 上洛

「最低だけど、最高の気分だよ」


「それはよかったな」


 由良島は彦根の顔を見るなり、拳銃のトリガーを引いた。大きな発砲音が講堂に鳴り響いたが、誰もその音に気が付いていない。やはり由良島が干渉し、AR上で曖昧化したものはヒューマノイドには認識されていないのだ。

 撃ち込まれた弾丸は彦根の耳を掠めて、背後にそれていった。

 決してわざと外したわけではない。確実に彦根に額を狙っていた。だが彦根はそれが分かっていたかのように、すでに動いていたのだ。

 ホルスターから拳銃を抜いた彦根は、大きな弧を描きながら回り込む。

 由良島は彦根に向けて、発砲を続けた。だが肉体が共鳴している彦根には恵奈の体の動きが手に取るように分かった。

 そしてなんと言っても、この体が馴染んでいる。むしろヒューマノイドの時よりも動きやすい。

 彦根はフェンスを蹴り上げると、体をよじり、斜角に銃口を向けた。

 続けざまに二発、放った弾丸は確実に恵奈の足を捉えていた。

 一方、由良島が発砲した弾丸は彦根の二の腕を掠め、鮮血を噴き出させたが、致命傷にまでは至らなかった。

 印波のメスにより傷を負った足とは反対の太腿に弾丸をめり込む。

 由良島は苦悶の声を上げなら、その場に膝をついた。

 どうやら、動きが鈍くなっているらしい。印波によって負わされた傷はかなりの痛手だったのだ。

 由良島の手から拳銃を零れ落ち、足が赤く染まった。

 一応、骨は外している。恵奈には申し訳ないが、こうするしかなかった。致命傷にはならないはず……だが今後、もしかしたら歩きづらくなるという後遺症が残るかもしれない。

 彦根はそんな罪悪感を胸に、倒れ込む由良島に近づいた。


「あんたの負けだ。その体は恵奈に返すんだ。そしてとっとと成仏しやがれ」


「甘いな」


 由良島は顔を上げると同時に、殴りかかってきた。しかし彦根にはそれが見切れている。その腕を掴み上げたまま、恵奈の体を投げ飛ばした。

 ここに来て学生時代に培ってきた柔道がまたしても役に立つとは、あの脱線する電車の中でとっさに受け身をとれたのもそのお陰だった。

 由良島の体は宙を舞うと、背中から落ち、視界は天に向いた。


「大人しくしろ……恵奈の体を傷つけたくない」


 彦根はがっしりと馬乗りになり、首元を肘で抑えると、銃口を額に押し当てた。


「撃てないと分かっている拳銃ほど怖くないものはない」


 由良島は息を切らしながら呟いた。


「どちらにせよあんたはもう動けないだろ」


 由良島は答えず、ただただ不敵な笑みを浮かべていた。


「とってとあの解放のバベルとやらを止めるんだ。そしてあんたに洗脳された者たちを解放しろ。そしてその体は恵奈に返せ、あんたの悲願はもう成し遂げられない。死んだ人間が生きていいのは、せいぜい思い出話の中だけだ」


 すると由良島はぎろりと彦根を睨みつけた。


「桐吾、お前は私が全てを動かしていると思っているのか。私をこの体から追い出せば全て解決すると?」


「違うのか」


「私は実態を持たない。ただの記憶と因子による結晶体に過ぎないんだ」

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