第124話 体躯
「なぜ大学なのでしょう……もしや次なる戦略のために」
「いや、奴も人間だったというわけだよ」
印波は神戸行の文字を見て、古い記憶を呼び起こした。確か高校を卒業し、上洛するときに乗った新幹線も神戸行だった。もとい当時はリニア新幹線などという大層なものではなかったが。
それから二年後の春、由良島と出会った。あの屈辱の一年を思い出すたび、吐き気がする。そうだった。だが今となってはそれも学生自体の思い出として心に残っている。
もしも由良島にも少しの人間らしさを残っているなら、昔を懐かしむ心があるなら、奴はあの景色に向かっているのかもしれない。
文化祭の日、講堂の屋上から眺めた青空と、男二人の女々しい会話。印波にはもうなんとなく分かっていた。
「僕にとって、京都大学が人生を転換する思い出の地であると同時に奴にとってもそうだったのかもしれんな」
「なら俺は京都に向かいます。リニア新幹線で今から追えばまだ間に合うはずだ」
「そういうと思って、乗車券はもう発行済みだよ」
朱雀がそう言って、小型タブレットを渡してきた。そうかもう、ヒューマノイドではないから、手をかざすだけでは認証されないのだ。
「ありがとう、朱雀君」
彦根はタブレットを受け取ると、印波に言った。
「あのクソ親父と決着をつけてきます」
「ああ、存分にやってこい」
印波は深く頷くと、指をさした。
「先ほど来た水路をそのままずっと歩いていけば、品川に繋がっている。まぁ待て、その前に服を貸してやる」
「す、すみません」
彦根は自分が裸だったことに照れ笑いを浮かべた。
印波からスーツを受け取ると、ラボの奥で着替えた。思いのほかサイズはぴったりで、少し驚いた。思い返してみれば、こうやって袖を通して、スーツを着たことはなかった。
思ったよりもネクタイが苦しかったため、それはつけず、ボタンを二つ開けた。そしてズボンとジャケットに間に挟まれていた革製のベルト。彦根はこれがいったい何なのかすぐに分かった。
「素手じゃ心細いだろ」
印波は着替えが終わると、ダッシュケースを彦根に見せた。中身を空けると、そこには拳銃が保管されていた。
「これは……」
「見覚えがある、だろ」
「恵奈の銃ですね」
それは恵奈が生嶋事件の時、彦根をドローンから救ったオートマチック式の拳銃である。
「これは元々、僕が恵奈に貸していたものなんだ。まぁあいつはその後もどこからともなく拳銃をくすねてきたがな。これを君に渡すよ。そいつは君の命を救った拳銃だ。今度は君が恵奈の命を救う番だ」
印波から受け取った拳銃は重たかった。だがごつごつとした形が柔らかい手のひらに食い込んで離さない。
「ありがとうござます」
彦根はそれを懐のホルスターにしまう。
印波、朱雀、持永、樽井、四人の顔をそれぞれ順番に見つめていった彦根は最後に胸の拳銃に手を置き、振り返った。
「じゃあ行ってきます」
立ち去る彦根の背を皆が見つめていた。そこに言葉は不要だった。黙した四人は小さくなっていく背中をただ見送った。
彦根の姿が見えなくなった頃合いに朱雀が呟く。
「行かなくていいの? 由良島と話を付けたいのは彦根君だけじゃないでしょ」
そう言われた印波は首を横に振り、こう答えた。
「いいんだ。これからの未来を創るのは老いぼれじゃない。旧世代に引導を渡すのはいつだって新世代だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます