第122話 体躯

 二度も自分の体を拝むことになるとは……だがあの日、ストリップ劇場で印波と出会い、ここに連れてこられた日からすでに決まっていたのかもしれない。

 大きな銀色の筒が起き上がる。モニターを映し出される「開」の文字に、息を飲む。吹き出す液体窒素の冷たさ、そしてこの薄明り、だがもう驚きはしない。

 彦根は瞬きすらも忘れ、その体躯を見つめた。


「彦根君、あそこのベッドに寝たまえ」


 傍らに置かれたベッド。決して寝心地はよさそうではない。


「すぐにできるんですね」


「ビビったか」


「いえ、まったく」


 彦根は皆に背を向け、そのベッドに向かう。


「室長……」


 持永と樽井はその背中に声をかけた。


「なに、どうってことないさ。俺は変わらない。ヒューマノイドだろうが、生身だろうが、俺が帰る場所は第四管理室だ」


「待ってますよ」


「待たせてばかりで悪いな」


「いいですよ。そのほうが室長らしいです」


「ああ、ありがとう」


 彦根は振り返らずに、笑った。そしてベッドに腰かけると、そのまま寝ころんだ。ベッドの下からは見たことのない器具が触手のように這い出ていた。その一本一本の先がプラグのようになっていて、それが壊れた彦根の機体に接続されていく。

 頭の上には貯水タンクのような大きなコンピューターがあり、印波がその奥のコントールパネルを操作していた。


「準備はいいな」


「ええ、いつでも大丈夫ですよ」


「よし」


 彦根の脳内意識、細胞情報、神経記憶、人が生きてきてきた情報の全てがダビングされていく。もしもこの世界が五分前にできていたとしても、それを否定することはできない。そんな思考実験があったが、まさしく今、目の前で起こっていることはそれを肯定してしまうような光景だった。

 保管されていた体は彦根のものだが、彦根ではない。皆が知っている彦根はヒューマノイドである。人間が、人間という情報がいまマイグレーションされていく。

 皆の知る彦根が段々と鉄塊に変わっていく。

 その事実に二人のヒューマノイドは筋肉チューブを硬直させた。いままで勝手に刷り込まれてきた教育や文化ではジェンダーをただの前時代的の一言で片づけてきた。だがこうして人の魂を容易に動かす技術を目の当たりにすると、機体に依存した生命体の異常性を思い出させる。

 行き過ぎた科学。行き過ぎた技術。地球の営み、生命の神秘が、人が生み出したとんでもない技術によって打ちのめされていった。ヒューマノイドとARという世界にいつの間にか慣れていた。宗教も国家も歴史上権威を握ってきた万物を掌握する科学技術と情報社会、今になって彦根や宮部が抱いていた疑問を肌で感じることできる。

 そしていま、彦根が体を起こそうとしている。血の通った肉体が筋肉を介してゆっくりと動き出す。まぶたが開き、ガラスではない水晶体で新たな世界を刮目した。


「気分はどうだね彦根君」


 印波がコンピューターの奥から顔を出した。


「もう終わったんですか」


「君にとってはほんの一瞬の出来事だっただろうが、マイグレーションは完了している」


 彦根は自分の手のひら、そして首から延びる体を見下ろした。


「これが生身か」


「何か変化は?」


 樽井が問いかけた。


「まぁ少し、寒いかな」


「ほらっ」


 印波が毛布を腕にかけながら、彦根に近づいた。そして毛布を肩から掛けると、こう言った。


「ジェンダーはヒューマノイドと違って、風邪も引くし、腹も減る、暑けりゃ体は怠いし、寒ければ動けない。そして簡単に死ぬ」


 傷つけば血が出るし、その血が一定量喪失されれば死に至る。骨が折れれば尋常ではない痛みを伴う上、動くことすらもできない。もうヒューマノイドと違って神経系の回復はかなりの時間を要する。

 人は簡単に死ぬ。その言葉を反芻した彦根は大きく頷いた。


「ええ、分かっています。だけどそれがヒトだ」



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