第121話 体躯

 数分前――

 車内では、持永が不思議そうな表情でその真意を伺った。


「ヒューマノイドには見えない秘密の道って何なのよ。それがこの自然公園にあるっていうの?」


「うん、存在するんだ」


 朱雀が後部座席から答えた。


「ここにAR物はない、それは知っているよね」


「ええ、知っているわ」


「つまり東京自然公園にはAR世界と現象世界の狭間が存在する。イミテーションをAR映像で植物として認識する場所と生きた植物をそのまま視覚情報として受け取る境界線がるんだ」


 朱雀がそう言うと、車は大きく旋回した。自然公園の入り口には大きな石彫の柱がある。そこには大きく「東京自然公園」と書かれていた。

 車体のヘッドライトは完全にその石柱へと向いていた。


「ちょっと、レイレイ……このまま行くとぶつかるわよ」


 レイレイは一切の躊躇なく、アクセルを踏み込んだ。


「おい、前見えてんのかよ」


 前に座っていた樽井と持永の二人は顔を見合わせる。


「大丈夫だ。僕には見えている」


「見えているって、俺たちにはただの石壁にしか見えないんですけど」


「つまり公安も同じってことだよ」


 朱雀がそう言うと、身を乗り出した。


「そのまま真っすぐだ。その先に地下フロントへと繋がる道がある」


 二人には朱雀が何を言っているのか分からなかった。このままだと猛スピードで石柱に突っ込み、木っ端微塵だ。だがエンジンの回転数は上昇し、さらに加速した。


「ヒューマノイドには見えない線、それは空間の歪みを描く線だ」


 印波がそう言った瞬間、車は石柱に突っ込んだ。持永は思わず、目を瞑ったが、衝撃はない。気が付くと、車は水路の脇を走っていた。


「何が、起こったんですか……」


 樽井は頭を抱えながら呟いた。


「成功したようですね」


 彦根もほっとしたような声を上げた。


「この世に完璧なんてない。特に境界は不安定になる。ヒューマノイドの目では決して見ることのできない世界の真実だよ」


 朱雀がそう言って、笑った。


「今頃、奴らは実態もない車に銃口を向けているだろうよ」


「俺たちはどうなって……」


「さっきも言ったけど、AR世界と現象世界の境界にできた歪みを通ったのさ。ヒューマノイドには観測することができない空間の狭間。この抜け道はEYEには映らない」


「なら今頃、地上ではどうなっているの?」


「AR情報だけが引き継がれている。だからこの車の抜け殻が公園内にはあると思うよ」


「情報社会というものけったいなものだな」


 印波は水路の天井を見上げながら言った。

 ここは実態の世界、一方地上は情報の世界。ゆえに車の実態はこちらの世界に来ることができたが、車の覆うAR情報だけが地上に取り残されたのである。

 水路を走る電磁力スポーツカーの車体はメッキの色をしていた。塗装や装飾はすべてAR映像によるものだったらしい。それが今の常識であり、人の視認するのは地上に取り残してきた抜け殻のほうなのだ。


 走行すること数分、一行は地下フロントに到着した。持永と樽井は始めて見る世界だった。情報というハリボテに頼っていない、本物の文明社会に驚嘆した。放水路の壁に建てられ、アリの巣状に広がった居住区の建築技術は芸術の域に達している。

 そこに印波が百年間守り続けたラボがある。その最深部に保管されていたのが、彦根の体だ。

 五人は蒼白い光を発する巨大な棺の前に立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る