第120話 宵の明星 

 わざわざ東京の真ん中、それも市街地から途絶された自然公園に逃げ込むのは、なんのためだ。覚悟を決め、民間への被害を最小限に収めるための配慮か、それとも……

 東宮は頭を振って、取り越し苦労の妄想を留めた。我々の仕事はテロリストを検挙する、ただそれだけだ。この完璧な包囲を突破できる一手など、とうに詰んでいる。


「すぐに全体を向かわせろ。包囲が完了し次第、発砲を許可する」


「了解です!」


 各予測ルートに散らばっていたSCT各班が東京自然公園に集まりだした。その場所を囲むようにして、渋滞を縮小させ、交通被害を最小限に収める。空に映った宵の明星が太陽に変わる頃には規制もある程度は解かれているだろう。

 通勤ラッシュまでは間に合いそうだ。東宮はほんの少しだけ、胸をなで下ろした。だがまだ油断はできない。窮鼠猫を噛むという言葉があるように、追い詰められた奴らは何をしでかすか分からない。常にモニターを見つめながら、予測ルートの変更がないかを確かめていった。


「奴ら本当に自然公園に向かうつもりだな」


「ええ……もうすでに一帯の避難誘導は完了しています」


「分かった。ただし絶対に目を離すなよ」


 東宮は緊張感を持ちながらも小さく息を吐いた。

 自然公園には何もない。あるのは大きな池と木々。この公園は保護区となっているため、自然も映像物ではなく、すべて本物だ。この環境下でも適応するように品種改良を行った植物がすくすくと育っている。ここは都内で唯一、生の自然と触れ合うことのできる天然植物園なのだ。広さは六千平米で、中心には木々に個々まれた丘がある。休日は子供連れやカップルがここでピクニックを楽しむ。そんな喉かな場所だ。決して重機を抱えたSCTが似合うような場所ではない。

 だが赤いスポーツカーは車体を旋回させ、公園内へと入っていった。


「いま侵入を確認しました」


「よし、囲め!」


 東宮の合図とともに、装甲車が入り口を封鎖する。木々の間で待機していた隊員も姿を現し、上空に集まったヘリコプターからは空挺部隊が降下してきた。さらにドローンが一帯に散らばり、通信電波の傍受、無線ランとの途絶を徹底的に行い、クラッキング対策に万全の体制を見せた。

 赤いスポーツカーは自然公園に入ると、速度を緩め、丘の頂上でその動きを止めた。それを囲むように、隊員たちが重火器を構える。上空でホバリングするヘリコプターからはスピーカーを用いた説得が始まった。


「大人しく車から降りなさい」


 だが車体は微動だにしない。ひび割れたガラスが反射して、中の様子がどうにも見えない。あまりの静けさに現場の緊張感が高まる。


「変な動きを見せたらすぐに撃ち込め、それまではゆっくりと近づくんだ」


 後方に停まった指揮官車両から東宮が全体へと指示を出す。

 隊員たちはインカムに入った指示に応答しつつ、距離を詰めていく。慎重に、ゆっくりと、だがそれでも動きはない。異変に気が付いた班長が先行し、銃口を向けながら、運転席へと近づく。


「とっとと降りてこい。お前らは完全に包囲されているぞ」


 だが車体はピクリともしない。これは流石におかしい。車に仕掛けがないことを確認した班長は思い切って、運転席のドアに手をかけた。

 だがその手が車体をすり抜けたである。


「なに!?」


 班長は何度も手をかざした。だが不思議なことに目の前にある車体をこの手で触ることができないのだ。


「どうされたのですか」


 班長は眉間にしわを集めながら振り返った。


「これはただのAR映像だ。ここに車はない……」



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