第112話 体現

「分かりました……」


 持永は俯いていた顔を上げた。


「絶対に地下フロントまで護衛します」


「ああ、頼んだ」


「ところで由良島はどこにいったの?」


 背後から朱雀が声をかけた。

 周りを見渡しても恵奈の姿が見当たらない。先ほどまで目の前にいたのに、どこかに消えてしまった。まさかもうすでに視認ができなくなっているのではないだろうか。四人がそれぞれ、辺りを見渡していると、宮部が奥を指さした。


「奴はあっちだ」


 宮部の人差し指の先には血痕の轍が出来ていた。その血痕はメインコンピューターの奥にある扉へ続いていた。


「奴はあそこから逃げていった」


「宮部先生、あの扉はどこに繋がっているのですか」


 すると宮部がその人差し指を天に向ける。


「あれは地上に繋がるエレベーターだ。解放のバベルにはもう一つの連絡橋がある。だが地上の連絡橋は一方通行だ。戻ってくることは決してできない」


「由良島は地上に逃げたというのか……」


「なら俺たちもそこから地上に出よう。まだこいつは使えるはずだ」


 彦根はそう言って手を開いた。そこには塗られた由良島の遺伝子データが残っている。


「ですが、室長。樽彦が」


 すると印波が言った。


「僕たち三人で彦根君を地下フロントまで連れていく。だから下で待たせている青年はお前に任せたぞ」


「うん、わかった。僕が必ず連れ出すよ」


 樽井との脱出を託されたのは朱雀だった。深く頷くと、皆に背を向けた。

 行動が始まる。それぞれが立ち上がり、大きく息を吐いた。ただ一人、宮部だけはその場に座り込んだまま動こうとしなかった。生気が抜けたようにうつろな目をしていて、首も折れ曲がっていた。

 彦根ら三人はメインコンピューターの奥へ、朱雀は踵を返して、来た道を戻る。上へと続くエレベーターには同じような認証システムがあり、由良島の遺伝子データがなければ通ることができない。いま思い返せば、恵奈の体こそが由良島の遺伝子データそのものだったのだ。

 肩を担がれながら中に入った彦根はふと気が付いたように言った。


「八六五番機に樽彦を任せてしまいましたけど、由良島の遺伝子データがなければ、地上に上がることができないのでは?」


 そしたら印波が含み笑いをした。


「安心せい。八六五番機、朱雀日和は僕が作った完全無欠の自立志向型AIだ。まだ施策途中であるがゆえに日和の能力は人間離れしている。つまり人の常軌を逸したAIロボットだということだ」


「なるほど」


 彦根は深く追求せず、印波に呼応するように笑みを浮かべた。


「あの二人ならきっと脱出できる。そんな根拠のない信頼がありますよ」


「そうか。樽彦もいい上司を持ったな」


「その上司の上司がいいからですよ」


「俺もいい部下を持ったものだ」


 照れ笑いをした彦根はエレベーターのモニターを見上げた。そこにはリアルタイムの3DCG映像が映っている。三人を乗せたエレベーターが地上へと近づいていた。


「もうすぐ着くぞ」


 彦根がそう言うと、扉が開いた。暗いエレベーターから出ると、吹き抜けから差し込む有明の空が出迎えた。


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