第110話 体現

「他に……」


 由良島は死んだ。だが由良島を模した人物が他にいる。それが渾沌のマスターとなって皆を先導したのか。いったい何の目的があって。恐らくその人物がファインドソフトとドローンを利用するために宮部を陥れたのだろう。ならそれは一体……

 彦根が口元を押さえ、熟慮に没入した瞬間、持永の叫び声が聞こえた。


「危ないっ」


 彦根の体が宙に浮き、持永に倒された。その直角線の先の壁には弾痕が刻まれていた。まだ新しく熱された鉄が赤く光っていた。

 その対角線上に立っていたのは恵奈だった。見たことのないほど恐ろしい顔をした恵奈の腕の先には硝煙を燻らせる拳銃があった。


「恵奈……なにをして……」


「桐吾、あの女の息子はそのような名前だったのか」


 声質は恵奈だ。だが口調が違う、声調も違うように思える。まるで解離性同一性障害の裏人格が出てきたような、同じ顔なのに表情もまったくの別人で、話し方や仕草も恵奈には思えなかった。

 何をとっても、まず恵奈が彦根の銃口を向けるなどあり得ない。


「由良島、お前なのか」


 印波が息の籠った声でそう言った。


「久しいな。百年越しの再会と言ったところか」


「やはり……血統因子が起因して由良島は吸収されていたんだ」


 宮部が不気味に笑い出す。だがそれを遮るようにはっきりと断言した。


「違う。こやつは由良島ではない。恵奈の体に残された血統因子そのもの。つまり由良島が存在していた証明そのものが、表に出てきただけだ」


「さすが秀才なだけはある。呑み込みが早いな」


「舐めるなよ、天才」


由良島は鼻で笑うと、彦根を睨みつけた。


「ここまで皆を導いた影響の輪の中心はお前か、桐吾」


 由良島はそう言うと、リボルバーのシリンダーを外し、慣れた手つきで銃弾を一発だけ交換した。それを憔悴する彦根の額に向ける。


「今度は脅しじゃないぞ」


 アウラジウム弾丸だ。これが彦根に当たれば、生嶋同様にヒューマノイドは消失する。交換した弾丸には血が付いていた。まさにその弾丸は恵奈に撃ち込まれた弾丸だった。


「させるか!」


 由良島がトリガーを引き込まんとした瞬間、印波が懐から何かを取り出した。目にもとまらぬ速さで投げつけられた銀色が輝き、恵奈の太腿に刺さった。苦悶の表情を浮かべながらも放たれた弾丸は宙に消え、太腿には三本のケミカルメスが残った。

 恵奈の細くて美しい足が真っ赤な血に染まっていく。


「悪いな、恵奈。帰ったら治療してやるから、少し耐えてくれ」


「この死損ないが!!」


 由良島はそう言うと、惨痛の目で印波を睨みつける。

 体を後ろに倒し、距離を取りながら、拳銃を構える。狙った先は印波だ。向けられた銃口が唸りと共に眩い光を発し、全弾が発射された。凄まじい破裂音が響き渡り、真っ白い硝煙が舞い上がる。


「父さん!!」


 薬莢が落ちる金属音と朱雀の叫び声が暗い天井へと抜けていった。

 だがその弾丸が印波の体を貫くことはなった。死を覚悟し、目を瞑っていた印波がゆっくりと目を開けると、そこには手を広げ、老体を身を挺して守り抜いた彦根の姿があった。


「俺はここだぜ。しっかり狙えよ、クソ親父」

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